無宗教からキリスト教へ|遠藤 浩範 兄
私が初めて聖書を読んだのは、高校生の時でした。倫理学の授業で宗教を学んだ際に配布された、ギデオン協会の新約聖書です。しかし、この時点では信仰に向かう心はなく、キリストによる癒しや復活などの奇跡についても全く信じることはできませんでした。ただ、同時期に読んだ遠藤周作の小説で栄光や奇跡を全く排除したキリスト像が示されており、こういう人がいたということは信じられると思ったことはありました。 その後、自分の興味のあった理科系の大学へ進学しました。一般教養を学んでいた時、宇宙の始まりについて、その広大な宇宙の中に環境の整った地球ができたこと、その地球に生命が生まれ、そして人間が誕生したことを考え、私の中で唯一絶対にして全知全能の創造主なる神、私の限られた想像をはるかに超える存在が確信されました。宇宙史において事象が偶然に起こる確率を考えるとそこに何らかの意思が働いていると考える方が合理的と思いました。
ところがこのアイデアはキリスト教とはこの時点で結びつきませんでした。身近にオウムや原理によって社会から離れていってしまった人がいて宗教アレルギーが私にあったからかもしれません。しかしもう20年近く日本型無宗教あるいは多宗教で生きてきたので、正月は神社かお寺へ初詣にはいくし、お守りは買うし、おみくじはひくし、占いには左右されるし、勝負事の前には特別にお守りを買ったりしていました。でも本当はこれって下らないと心の奥では常に思っていました。おそらく初詣にいってもいかなくても、お守り買っても買わなくても生活は何も変わらないだろうなと。でもいつもやっていたことをやらなくて悪いことが起きるのも怖いからとりあえず毎年いこうかなという程度のものでした。
大学卒業後は生活に追われ、自らの宗教観について考える余裕はありませんでした。職場の関係で、ある宣教師の方と親しくなりましたが、何故かキリスト教について考えることはできませんでした。 ところが、そんな1999年10月、大学の同級生から一本の電話があったのです。彼は自らがクリスチャンであることを公言していた私の数少ない友人の一人で、その内容というのが教会で青年会の修養会(いつもとは環境を変えて聖書を学ぶこと)を企画したのだが、みんな行けなくなって人数が足りないのだ、興味があったら参加してくれないか、というものだったのです。
そのときは一度ぐらい教会やその行事を見学してみるのもいいかなと全く軽い気持ちで参加しました。その修養会は軽井沢で行われ、その時自分を構成するものに体と心だけではなく、神と触れあうための霊の部分があると教わり、学生の時に確信した神の存在を改めて考えざるを得なくなりました。
その後、教会に通うようになり、自分が考えていた神、宗教観がキリスト教と同一であることがわかりました。自分が考えていたように神が全能であることを信じるとすれば奇跡物語も復活も信じざるを得ない訳で、実際どの様であったかは私の限られた想像力でははかり知ることはできませんが、聖書の内容、キリスト教を素直に受け容れることができるようになり、その年のクリスマスに洗礼を受けることができました。
ところが、私の信仰にとって最大のネックになったのは罪と許しの部分でした。私は自分が罪深い人間であることはずっと認識していました。信仰によって許されることも頭では理解していたのですが、自分のあまりの罪深さにこれが許されるととても信じられなかったし、キリスト教を信じるだけで許されるのでは虫がよすぎると思ったのです。しかし、聖書をより深く理解することにより自分の罪がその想像以上に最悪であることが示され、同時に神がその私を滅ぼすことよりも、全く罪のないキリストをその代わりに殺し、私を許して下さることを選んだことが示されました。
今でも隙を見せるとサタンがどうかして私にアプローチしようとしています。私のエゴがそれを助長することも感じます。しかし、キリストがそれを超えるこの世の全ての誘惑に打克ち、この世にある全ての怒り、嘲り、苦しみと悲しみを背負って十字架について下さったこと、キリストの復活によりその全てが、そして死さえもすでに敗れ去っていることを信じます。神がこの最悪の人間である私をキリストの十字架によって許して下さることを感謝します。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザヤ53章5節
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。ルカ5章32節