2013年4月7日 「主のイエスの言葉に従う」(ヨハネ21章1-14節) | 説教      

2013年4月7日 「主のイエスの言葉に従う」(ヨハネ21章1-14節)

 今日の箇所は主イエスが復活されてからしばらく経った時の出来事です。マルコの福音書の16章7節を見ると、イエスの遺体に香油を塗ろうとやってきたマグダラのマリヤたちに御使いが弟子たちとペテロにメッセージを伝えるように頼みました。そのメッセージとは「主イエスが、弟子たちより先にガリラヤに行くので、そこに行けば会うことができる。」というものでした。弟子たちは過ぎ越し祭りを祝うためにエルサレムに来ていて、その時に、主イエスは十字架にかけられたのですが、しばらくエルサレムにとどまった後、彼らは自分たちの生活の場であるガリラヤ地方に戻りました。彼らは、マグダラのマリヤから聞いた言葉を信じて、もう一度主イエスに出会うことを期待して、エルサレムから100キロほど離れたガリラヤ湖に戻りました。
 21章1節を見ると、11人の弟子の中で7人が、ある日、ガリラヤ湖の近くに集まっていました。彼らはガリラヤ湖の湖畔に集まって話しをしていたのでしょうか。元々漁師であったペテロが突然、「私は漁に行く」と言って立ち上がりました。なぜ、ペテロが漁に出かけたいと思ったのか聖書には理由が書かれていませんが、彼は自分が主イエスを3回否定したことで自分を責め続けていて、主イエスの弟子として生きて行くことに自信を失っていたかも知れません。ペテロが「漁に行く」と言うと他の6人の弟子たちも「自分たちも一緒に行く」と言ったので、彼らは皆で漁に出かけることになりました。主イエスの弟子たちの中には漁師がたくさんいたのです。

 彼らは久しぶりに漁に出るので、漁に出発するまでに船や魚を獲る網や道具を集めて、夜、湖の漁場に向かって船を出しました。彼らは夜通し漁を続けました。久しぶりに漁に戻って彼らは喜びを感じていたことでしょう。何もかもがなつかしく思えたに違いありません。親しい弟子仲間と一緒に漁をすることは本当に楽しかったでしょう。ところが、彼らは何度も何度も網を舟の右側にも左側にも下ろしたのですが、その夜は、魚は一匹も獲れませんでした。時間が経つにつれて喜びが薄れ、網を下ろす回数も減り、疲れと失望だけが残りました。夜が明け始めた頃、彼らは、くたくたに疲れて岸辺に戻りました。すると、4節に書かれているように、朝早く、主イエスが岸辺に立たれました。主は弟子たちが夜通し漁をして苦闘している姿も見ておられましたし、がっかりして疲れて港へ戻る姿をも見ておられました。復活の主は、今も私たちが生活している様子をいつも見ておられるのです。しかし、弟子たちには岸辺に立っているのが主イエスだとはわかりませんでした。まだ、船は岸辺から100メートルほど離れていたためなのか、朝もやの中で主イエスの顔が見えなかったのか、あるいは、主イエスが意図的にご自身の姿をわからないようにしておられたのか、理由は分かりません。ただ、漁を終えた漁船が岸に戻ってくる頃には、魚を買い付ける人が岸辺に立っていることが多かったので、そのような買い付け人と思っていたのかもしれません。主イエスが彼らに向かって話されました。「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」「子どもたちよ。」と訳されている言葉は「若者よ」あるいは「召使よ」とも訳せる言葉です。親しみを込めて語りかけたことを表しています。主イエスはすべてを知っておられたのです。弟子たちは、素直に魚が一匹も獲れなかったことを認めました。すると主イエスは彼らに「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば獲れます。」と言われました。彼らは一晩中、何度も網を下ろしていました。それでも魚は一匹も獲れなかったのです。しかし、彼らは、主の言葉に従って舟の右側に網をおろしました。すると、非常に多くの魚が摂れたので弟子たちは網を引き上げることができませんでした。弟子のヨハネは、「右に網を下ろしなさい」と命令した主の言葉や、以前経験したことと同じ奇跡が起こったことで、岸辺に立っているのが主イエスであることを悟りました。ある時、主イエスがペテロに「舟を沖に漕ぎ出して網をおろしなさい。」と言われたことがありました。(ルカ5章4節)ペテロは「夜通し働きましたが何一つ獲れませんでした。でもお言葉どおり網をおろしてみましょう。」と言って網を下ろすと、その時も網が破れそうになるほどたくさんの魚が獲れました。弟子たちは自分たちの力で夜通し働きましたが何も獲れませんでした。しかし、主の言葉に従った時には、たくさんの魚が獲れました。このことは一つの真理を教えています。クリスチャンにとって最も大切なことは、主の言葉に従うということです。ヨシュア記1章8節に次のような言葉があります。「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちに記されているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」主の言葉を聞いてしたがつ時に、神様は私たちに繁栄と祝福を与えてくださると約束されています。私たちの信仰生活の秘訣は主の声を聞くことにあります。2001年の5月にエリック・ワイヘンマイヤーという人がエベレストの登頂に成功しました。この人は目の病気で13才の時に失明しました。エベレストの山頂を目指して登る人で成功するのは10%の人だそうです。そして、これまでに165人が途中で命を落としました。しかし目の見えない彼は成功しました。成功の秘訣を尋ねられた時に、彼は答えました。「私の前を行く仲間に背中にベルがついていて私は常にそのベルの音を注意して聞いていました。そして、仲間の指示も一言も漏らさず聞いていました。また、氷にピッケルを打ち込んだ時の音にも注意して氷が安全かどうかを確かめていました。それが成功の秘訣だと思います。」

 岸辺に立っているのが主イエスだと分かったヨハネは近くにいたペテロに「主です。」とささやきました。すると、ペテロは、漁をするために上着を脱いでいたので、あわてて上着を着て湖に飛び込みました。弟子たちは、もともと漁をするためにガリラヤ湖に来ていたのではありません。御使いからのメッセージで「ガリラヤに行けば主に会える」と聞いていたので、主に会うためにガリラヤにいました。それで、ペテロは主に会うためにふさわしい服として上着を着ていたのですが、漁をすることになったので、上着を脱いで上半身裸で働いていたのです。ペテロが最初にこの奇跡を経験した時には、彼は主イエスが神であることを確信し、同時に自分が罪深い人間であることを知っていたので、恐れを感じて、主イエスに向かって「主よ。私のような者から離れてください。私は罪深い人間ですから。」と言ったのですが、この時は、ペテロは誰よりも早く主イエスに会いたかったので、ゆっくりとしか進めない舟に乗っていることに我慢ができなくて、海に飛び込みました。しかし、同時に主イエスに会うために上半身裸ではまずいと思って上着を着て飛び込んだのでしょう。彼は、一生懸命泳ぎましたが、上着を着ていますからなかなか進まなかったことと思います。他の弟子たちは船にのって、たくさん魚が入った網を引きながら岸に向かいました。

弟子たちが陸地に上がってみると、岸辺に炭火が起こされていてパンと魚が用意されていました。そして、イエスが弟子たちに「今とった魚を少し持って来なさい」と言われたので、ペテロが舟に上がって網を陸地に引き上げ、魚を持って来ました。また、主は弟子たちに言われました。「さあ、来て、朝の食事をしなさい。」主イエスは弟子たちを食事に招かれました。夜通しの漁でクタクタに疲れていた弟子たちに主イエスは空腹を満たし、疲れを癒すための食事を用意してくださいました。イスラエルでは食事は、非常に親密な交わりを意味しました。ただ食べるだけでなく、色々な話をしながら食事をするのです。今日の箇所には2つの対照的な場面が描かれています。夜のガリラヤ湖と、すがすがしい朝の湖畔です。この二つの場面は私たちの人生を描いているとも考えられます。私たちが今生きているこの世は、暗闇の湖のような世界です。暗くて、寒くて、時には嵐が襲います。苦労が多いばかりで結果が得られないことも多い世界です。湖の上で一晩中魚を獲るのに苦労していた弟子たちの姿は、この世を生きる私たちを表しているのではないでしょうか。しかし、主は、その様子をじっと見ておられます。そして、岸辺に立って私たちを待っておられます。陸地に上がった弟子たちは主イエスに食事に招かれてどれほど楽しい時を過ごし、疲れも癒されたことでしょうか。湖の上は不安定ですが、陸地はしっかりしています。ここは、やがて私たちが行く天国を象徴していると考えられます。弟子たちが主イエスに迎えられて、主が準備してくださった食事に招かれています。私たちも、この世界でいろいろ疲れ果てることもありますが、やがては、決して消えることも崩れることもない世界に行き、そこで、主イエスといままでとは違う深い交わりをするように招かれているのです。主イエスは、今も、私たちを招いておられます。マタイの福音書11章28節の言葉を読みましょう。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

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