2015年4月5日 『イエスの埋葬と復活』 (ルカ23章50節~24章12節) | 説教      

2015年4月5日 『イエスの埋葬と復活』 (ルカ23章50節~24章12節)

 主イエスは、金曜日の午前9時に十字架に掛けられました。お昼の12時ごろから3時間、エルサレムのあたりは奇妙な暗黒に包まれます。主イエスは、まったく罪のない神の御子でしたが、その暗闇の3時間の間、私たちの身代わりとなって、本当は私たちが受けなければならない神の裁きを受けてくださいました。この時、主イエスは大きな声で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。」と叫ばれましたが、それは正しく、私たちの代わりに神から見捨てられるという神の裁きを経験をした下さったことを意味します。主イエスは最後に「完了した」という言葉で息を引き取られました。「完了した」という訳されている言葉は、当時、借金の返済が終わった時に、書類に書かれていた言葉と同じ言葉です。するべきことは全部終わったという意味を持つ言葉です。十字架による死刑はもっとも厳しい死刑でした。磔にされた人間は、すぐには死なず、大勢の人の前で恥と屈辱を味わいながら、手と足に打たれた釘による出血と痛みの中で、苦しみぬいて死んだからです。多くの人間は神を呪い、人間を呪いながら死んでいきましたが、主イエスは、誰をもののしることなく、むしろ、自分を磔にした者たちを赦してほしいと父なる神に祈られました。23章47節を見ると、「この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうにこの人は正しい方であった。」と言ったと書かれています。百人隊長とは、死刑囚の死刑を執行するローマの兵士のリーダーです。その百人隊長も、十字架上のイエスの様子を見て、イエスが正しい方であることを認めています。ユダヤ教の指導者たちや群衆の多くは、主イエスの十字架を見世物のように見ていました。一方、イエスの教えにしたがって生きていた弟子たちや大勢の信者たちは、皆、悲しみに暮れていました。実は、十字架にかかる時が近づいて来たことを知られた主イエスは、弟子たちに、繰り返して話しておられました。「やがて自分が、多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならない。」しかし、弟子たちは、何度繰り返してこの言葉を聞いても、その意味を理解できませんでした。理解しようとしませんでした。そういう訳で、主イエスが息を引き取られた後、誰もが希望を失い、悲しみに暮れていたのです。

 ここで、ルカは一人の人物を紹介しています。アリマタヤのヨセフです。アリマタヤとはこの人が住んでいた町の名前で、エルサレムのすぐ北にありました。ルカは、彼が国会議員の一人で、立派な正しい人であったと書いています。当時のユダヤはユダヤ教が国の政治も裁判も行っていたので、ユダヤ教のトップ大祭司を議長とする70人で構成されるユダヤの国会、サンへドリンは最高裁判所の働きも担っていました。ヨハネの福音書19章38節には、彼がイエスの弟子ではあったが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたと書かれています。主イエスは、ユダの裏切りによって捕えられた後、最初に大祭司カヤパのところに連れて行かれたと書かれていますが、そこには国会議員が夜中にも関わらず集まっていました。この時には、出席議員の全員一致で、イエスの死刑が決まっているので、ヨセフは、この時、たまたま遠くへ出掛けていたのか、それとも、わざと呼ばれなかったかたのどちらかだと思います。ヨセフは裕福であり、家もエルサレムの近くであったので、エルサレムに家族のための新しい墓を用意していたようです。ヨセフが、主イエスの十字架によって処刑されることを聞いたヨセフは、どれほど驚き、また悲しんだことでしょう。彼は、自分の立場を隠すのを止めることを心に決めました。彼は、直接、ローマ総督ピラトの所へ行って、イエスの遺体を引き取らせてくれるように頼みました。主イエスが息を引き取ったのは午後3時です。ユダヤのカレンダーでは金曜日の日没の時間午後6時には、金曜日が終わり土曜日になります。ユダヤ人にとって土曜日は聖なる安息日なので、人はどんな仕事もすることができませんでした。彼は、自分がイエスの処刑を止めることができなかったことを深く後悔し、主イエスのために何かをしたくて、大きな危険を冒してまでも、主イエスの埋葬を行いました。しかし、もっと深く考えるならば、神様が彼の心に働いて、このような決断へと導かれたのです。というのは、彼の決断と行動によって、旧約聖書に記された神の預言が成就したからです。旧約聖書のイザヤ書53章には、主イエスの死について次のように預言されています。「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。」確かに、イエスは二人の犯罪人とともに十字架につけられました。しかも、普通、十字架で処刑された犯罪人の遺体は墓に埋葬されることはなく、エルサレムの南側にあったヒンノムの谷の中に投げ捨てられていたからです。
 ヨセフがイエスの遺体を撮り下ろそうとしていた時に、もう一人の国会議員であったニコデモがやって来ました。彼も、以前は主イエスを疑っていましたが、密かに主イエスの弟子となっていた人物です。ニコデモはユダヤ人の習慣にしたがって遺体に塗るスパイスを30キロほど持って来ていました。二人は、日没が迫っていたので、大急ぎで、イエスの体にスパイスを塗り、亜麻布で巻いて、ヨセフが用意していた墓の中に納めました。しかし、イエスの埋葬の場にいたのは二人だけではありません。ガリラヤからいっしょについて来ていた女性たちが二人のあとをついて行き、イエスの遺体が墓に納められる様子をじっと見ていました。ヨセフとニコデモは時間がなかったので、大急ぎでイエスの埋葬を行いました。女性たちは、イエスの遺体にスパイスが急いで塗られているのを見て、少し悲しい思いをしたことと思います。彼女たちは、もう日が暮れてきたので、今日は何もできませんから、土曜日が終わり日曜日になったら、もう少し丁寧にイエスの遺体にスパイスを塗ってあげようと考えていました。

 ユダヤ人は、一日の短い時間でもまる一日と考えるので、主イエスは金曜日の午後3時頃に息を引き取り、日曜日の朝早くに死から復活されましたが、これを三日目の復活と考えます。イエス・キリストの十字架の死と復活は、キリスト教信仰の中心です。使徒パウロは、キリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」と述べています。キリスト教会は、イエスの復活を信仰の中心に置いていたので、イエスが十字架にかけられた金曜日ではなく、イエスが復活された日曜日に礼拝をするようになりました。イエスの十字架の死は、罪のないイエスが私たち罪人のために身代わりとなって神の裁きを受けられたことを意味します。そして、イエスが復活されたことは、罪の裁きである死の問題を解決してくださったことを意味します。それで、イエス・キリストを信じる者は、これまで犯してきた様々な過ちが赦され神の裁きにあうことがなく、永遠に生きるいのちが与えられると聖書は約束しています。
 死んだ者が復活することは、2000年前の人間にとっても信じがたいことです。しかし、当時の状況を見てみると、イエスの復活があったとしか思えません。イエスの弟子たちは、イエスが捉えられた時に、誰ひとりイエスを守ろうとせず、皆、逃げてしまいました。彼らは、主イエスから繰り返して三日目に復活することを聞いていたのに、誰ひとりそれを信じず失望していました。また彼らは、自分たちも殺されるかも知れないと恐れて、部屋の中に隠れて集まっていました。日曜日の朝、つまり、主イエスが言っておられた三日目の朝も、弟子たちは、ただ悲しみにくれていただけでした。そんな中、イエスについて来ていた女性たちは、イエスの体にスパイスを塗るために、朝早く起きてイエスの墓に出かけていきました。ところが墓に行って見ると、墓の入口に置かれていた大きな石が脇に転がっていて、墓の入口が開いており、中に入ってみると、墓は空っぽになっていました。彼女たちが途方にくれていると、御使いが彼女たちの前に現れました。御使いは、彼女たちに叱りつけるように言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」そして、主イエスが言っておられた言葉を思い出すようにと御使いは言います。主イエスは、十字架にかけられる前に、弟子たちに繰り返し話しておられました。「私は多くの苦しみを受けて殺されるが、三日目によみがえる。」ところが弟子たちも、またイエスについて来ていた女性たちも、だれも、イエスの言葉を理解していませんでした。御使いの言葉を聞いて女性たちは、イエスの言葉を思い出して、それが今、実際に起こったことをようやく理解したのです。それで、女性たちは大急ぎで弟子たちが集まっている部屋に戻って、自分たちが見聞きしたことを弟子たちに話しました。弟子たちも、主イエスから、直接に、復活することを聞いていたのですが、弟子たちには、空の墓を目撃した女性たちの話したことさえも冗談のように思われて、彼女たちの話を信用しませんでした。3年半の間、彼らと生活を共にして、いろいろなことを教え、訓練したにもかかわらず、弟子たちが、主イエスの言葉を信じていない姿を見られた主イエスは、どんな思いがしたことでしょう。

 このように、主イエスの復活は誰にとっても、信じがたいことだったのです。しかし、この後、復活の主イエスと出会った弟子たちは、変わりました。それまでは、自分たちも殺されると恐れて隠れて集まっていましたが、彼らは、その後、堂々と人々の前でイエスの復活を説教するようになりました。また、弟子たちの多くは、復活を信じて復活を述べ伝えたために、殺されてしまいました。彼らが死ぬことをも恐れずイエスのことを人々に伝えたからです。もし、イエスの復活はなかったとしたら、弟子たちはイエスが死んだことを知っていたはずです。あの悟りの鈍い弟子たちが、復活がなかったこを知りながら、いのちの危険を犯してまでイエスの復活を人々に宣べ伝えるでしょうか。自分で嘘だとわかっていることに、人は自分のいのちをかけることができるでしょうか。しかし、主イエスの復活信仰はクリスチャンの力となり、ローマ帝国が執拗に250年間キリスト教を撲滅するために迫害を続けましたが、とうとう、ローマ皇帝自身が主イエスを信じるようになり、最終的には、ローマ帝国の宗教はキリスト教と決められました。イエスが復活したとき、イエスを信じていた人の数は120人ほどでした。しかし、そんな小さな群れが、250年後にはローマ帝国をひっくり返したのです。復活がなかったら歴史がこのように動くことはありえません。

 私たちの教会の名前にもなっている福音とは「良い知らせ」という意味ですが、それはキリストの復活の良い知らせを指しています。聖書によれば、、人間が死ぬとき、肉体は朽ち果てますが、目に見えない私たちのいのちは生き続けます。私たちの存在は消えるのではなく、まったく別の次元の世界に移されるのです。だから、主イエスを信じる者は、死を恐れる必要はありません。この世は、多くの悪いもの、憎しみ、愛のない人々などで満ちていますから、この世にあっては、私たちは多くの苦しみや悲しみを経験します。しかし、死の向こう側には、もはや、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない世界が待っています。以前のものが過ぎ去って、すべてが新しくなる世界が待っているのです。そのことを保証するのが主イエスの復活です。イタリアのローマの郊外にカタコンベと呼ばれる地下の墓場があります。ローマ帝国時代、クリスチャンたちは、地下に幅1メートル、高さ3メートルくらいの道を何層にも張り巡らせた迷路を作り、そこに礼拝所や隠れ場を作りました。イタリアに存在するカタコンベを合わせると、全長880キロになり、その地下道の壁には、約700万人のクリスチャンの遺体が葬られています。彼らは、250年間、地下の墓場で、迫害も殉教も恐れずに、信仰を守り通しました。彼らを支え続けたのがかれらの復活の信仰だったのです。

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