2016年4月3日『復活のイエスと出会った弟子たち』(ヨハネの福音書21章1-14節) | 説教      

2016年4月3日『復活のイエスと出会った弟子たち』(ヨハネの福音書21章1-14節)

 21章1節の冒頭に、「この後」と書かれています。これは、ヨハネの福音書20章に記された出来事から少し時間がたっていることを示しています。20章では、主イエスが復活した朝の出来事、その日の夕方に、戸を閉めて隠れていた弟子たちの前に現れてくださったこと、その時、弟子の一人トマスがたまたま居合わせなかったので、イエスの復活を信じられなかったのですが、そのトマスのために1週間後の日曜日の夕方に再び弟子たちの前に姿を現されたことが、記されています。その時から、少し時間が経過し、イエスが十字架で処刑された時に味わった深い悲しみと衝撃、イエスの墓が空っぽだと聞かされた時の驚き、そして、復活の主との出会いによる喜びと勝利、様々な激しい感情が駆け巡った時から少し時間がたって、弟子たちの心も落ち着きを取り戻していたことと思います。マタイの福音書によると、主イエスは復活の朝に出会った女性たちに、「弟子たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会えるのです。」と言っておられます。弟子たちは、女性たちからそのことを聞いて、エルサレムから自分たちの故郷であるガリラヤに戻っていました。エルサレムからガリラヤまでは200キロ近くあります。その道を歩きながら、弟子たちは、十字架の出来事やイエスの復活のことなどを思い返しては、あれこれと話し合っていたことでしょう。以前は理解できなかったイエスの言葉の意味も少しずつ分かるようになっていました。
 そして、ある日、主イエスがもう一度ご自分を弟子たちに現されました。場所は「テベリヤの湖畔」と書かれています。テベリヤの湖畔とはガリラヤ湖のことです。ヨハネが福音書を書いたのは一世紀の終わりごろと考えられていますが、その頃、ガリラヤ湖は、テベリヤ湖という名前で呼ばれるようになっていました。テベリヤというのはガリラヤ湖の西の湖畔にある町の名前です。この町はヘロデ・アンテパスという人がローマ皇帝ティベリウスにちなんでテベリヤと名付けられました。今でも、テベリヤは大きな町で、聖地旅行でガリラヤ湖に行く時は、テベリヤのホテルに泊まることが多いです。1節に「ご自分を弟子たちに現された」と書かれていますが、14節でも「イエスが(・・・)弟子たちにご自分を現された」と書かれていることを見ると、主イエスは、選ばれた人々にだけご自分の姿を見せられたと考えられます。復活の後、主イエスは、自分を信じるクリスチャンたちにだけご自分の姿を現されて、信仰のない人々は復活のイエスを見ることができなかったように思います。

 この時には、11人の弟子すべてがいたのではなく、ペテロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子たちとは、ヨハネとヤコブ、そしてほかに2人の弟子、全部で7人が集まっていました。彼らは、イエスと会えるのを楽しみにして待っていました。ガリラヤ湖の海のにおいや波の音を聞いて、ペテロはどうしても、昔やっていた漁に出かけたいという衝動にかられたのではないでしょうか。ペテロが他の弟子たちに「私は漁に行く。」と言うと、ヨハネやヤコブももともと漁師なので、他の弟子たちも「私たちも一緒に行こう」と言って、7人が、漁に出かけることになりました。以前の生活が懐かしくて、みなで楽しげに漁に行くための道具をそろえて、小舟に乗り込んで漁に出かけました。最初は、みなで和気あいあいと楽しく漁をしていましたが、彼らの経験と知識を使って何度網を下ろしても、その夜は、魚は一匹も取れませんでした。夜が更けるにつれて、彼らが網を下ろす回数がだんだんと減って行き、にぎやかにしゃべっていた会話も少なくなって行きました。彼らは疲れ切ってしまい、結局何もとれないまま家に帰ることにしました。
 弟子たちは、小舟のうえで漁に疲れていたため、ガリラヤで主に出会うと聞いていましたが、そのことを考える余裕も失っていたようです。そんな時、復活の主イエスは、湖の岸辺に立って、彼らのことをじっと見ておられました。私たちが、まったく気が付かない時、主はいつも私たちを見ておられます。イエスは、彼らが何をしていたのか、今、どんな状態なのかすべてのことを知っておられます。ところが、弟子たちには、それがイエスであることが分かりませんでした。湖の岸辺には漁師から魚を買う人が立つことがあったので、弟子たちは、朝明けの薄明りの中で、イエスをそのような仲買人と思ったかも知れません。また、イエスが弟子たちに現れる時に、自分を現すという言い方がされているので、この時には、弟子の目には分からない姿であったのかも知れません。イエスは彼らに尋ねました。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」子供たちとは、「若者たちよ」という意味でしょう。「食べる物がありませんね。」この言葉は、イエスが弟子たちが一晩中漁をしても一匹も獲れなかったを知っていながら、嫌味で言っている言葉のように聞こえますが、「何か食べるものでもありませんか。」というような意味です。ふつう、漁師は自分たちの漁について質問されても本当のことは言わないそうです。たくさん取れた時には、よい漁場を教えたくないので、黙っています。また、魚が獲れなかった時は、漁師のプライドがあって、獲れなかったとは言わないのだそうです。しかし、弟子たちは、イエスの質問に対して、正直に魚が獲れなかったことを告白しています。この弟子の姿は、私たちの信仰を示しているように思います。自分の力でいろいろやってもできないことがあります。特に、私たちが神に救われるためには、神の助けがなければ自分の力で得ることはできません。神様に受け入れられるために、自分がまったく無力であることを認める時、また、自分がしてきた失敗や、無力さを認める時に、神様の救いの働きが始まるのです。使徒パウロは、私たちは土の器のように壊れやすい者だと言っています。ただ、その壊れやすい土の器の中に私たちは宝である主イエスを持つことができます。パウロは言いました。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(2コリント4:7-9)この時も、弟子たちが自分の無力さを認めたことによって、彼らは主イエスの奇跡の業を見ることになりました。
 主イエスは彼らに言いました。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」信仰者に求められることは、神の言葉に従うことです。7人の弟子たちの多くは、もともと漁師でした。プロの漁師たちが一晩中働いても、魚は一匹も取れませんでした。そんな彼らに対してイエスは、漁師でもないのに、「船の右側に網を下ろしなさい。そうすれば取れます。」と言われました。弟子たちは、疲れていましたし、魚が獲れなかったので機嫌も悪かったと思います。しかも、その言葉を誰が言っているのか、弟子たちはまだ知りませんでした。彼らは、主イエスの言葉を無視することもできたでしょう。ただ、彼らは、その声に何かしら権威があるのを感じたので、、彼らは、イエスの言葉に従って船の右側に網を下ろしました。網をおろした瞬間、驚いたことに、おびただしい数の魚が網にかかりました。あまりにも数が多くて、弟子たちは網を引きあげることもできないほどでした。これは奇跡です。イエスは一晩中、弟子たちの舟に魚の群れが近づかないようにし、そして、今は船の右側に魚の群れを導いていたのです。実は、彼らがイエスと行動を共にしたばかりのころにも、同じような出来事がありました。その時も、一晩中働いても魚は全く獲れなかったのですが、イエスの言葉に従って網を下ろすと、網が破れそうになるほどたくさんの魚が獲れました。そして、イエスは弟子たちに「これからのち、あなたがたは人間を獲るようになるのです。」と言われました。このことを思い出したのか、弟子ヨハネは岸辺に立っているのが主イエスだと分かりました。それでヨハネはペテロに「あれは、主イエスだ。」と言いました。ペテロはいつもすぐ行動に出るタイプです。彼は漁をするために、腰布だけを身に着けていました。イエスに敬意を表すためにペテロは急いで上着を着て、上着を着たまま海に飛び込みました。舟が岸に着くのを待つことができなかったからです。上着を着たまま泳ぐのは大変だった思いますが、ペテロはそこまで考えずに飛び込んでしまいました。他の弟子たちも舟に乗って陸地に近づきましたが、大量の魚が入った網を引っ張っていたので、なかなか前へ進めません。ペテロは、とにかく、一瞬でも早くイエスに会いたかったので、そんな恰好で必死に泳ぎました。弟子たちが陸にあがると、主イエスは、弟子たちのために朝ごはんを準備しておられました。主イエスが、疲れて空腹の弟子たちのために温かい食事を準備してくださったのです。イエスは、弟子たちを愛していました。誰でも、自分が愛する人に対しては、優しくなります。自然にその人のために何かをしてあげたいという気持ちになります。この時も主イエスは弟子たちに対する愛を豊かに表してくださいました。

9節から14節の箇所では、ガリラヤ湖のほとりで復活の主イエスと弟子たちがともに朝ごはんを食べるという場面が描かれていますが、この箇所は、この世と天国を比喩的に描いていると考えられます。これは確かに2000年前に起こった出来事でありますが、同時に、私たちクリスチャンが将来受ける天国の約束を表すものでもあるのです。土台のない海の上としっかりとした陸地、暗い夜と希望を感じさせる朝、苦労が多く実りが少ない働きと主イエスと共に食べる食事、これらはすべて、この地上における私たちの生活と、やがて私たちが迎えられる天国での生活のコントラストと言えるます。主イエスは弟子たちに「今獲った魚を何匹か持って来なさい。」と言われました。ペテロが船に乗り込んで網を引き揚げると153匹の大きな魚でいっぱいでした。主イエスは、すでに魚を焼いておられたので、魚を必要とはしておられないのですが、そこに、弟子たちが獲った魚をくわえてくださいました。このことは、主イエスは、弟子たちが働いて獲得したものを評価してくださることを意味します。第一コリント15章58節でパウロが述べているように、わたしたちの労苦は、主にあってむだではないのです。
 そして12節に記されているように、主イエスは弟子たちに「さあ来て、朝の食事をしなさい。」と言われました。主イエスは、永遠に崩れることのない土台を持つ天国という場所で、もはや暗くなることのない永遠の朝という時間に、私たちのために食事を整えて、私たちを待っておられます。主イエスは十字架にかかる前、最後の晩餐の時、弟子たちに言われました。「わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造ったものを飲むことはありません。」この時すでに、主イエスは、私たちと天国でともに食事をし、ともに飲む時が来ることを約束しておられました。また、弟子たちは、食事に招いてくれたのが主イエスであることを知っていたので、だれも、「あなたは誰ですか」とイエスに尋ねていません。私たちは、今も、ある程度イエスを知っていますが、天国では、私たちは、今とはまったく違った次元で主イエスを知ることになります。主イエスについて何も質問する必要がないほど、私たちは主イエスとの親しい交わりの中に入れられるのです。パウロは1コリント13章10~12節で次のように述べています。「完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」私たちの地上での生活は不完全です。主イエスと私たちは天国と地上とで離れて生活しています。聖霊の働きを受けて、私たちは地上での生活においても大きな助けを受けることができます。しかし、それでもこの地上では私たちは不完全です。海の上の弟子たちのようです。しかし、絶対に崩れない永遠の土台を持つ天国に招き入れられる時、私たちは完全な者に変えられます。もはや聖霊の助けは必要ありません。主イエスと顔と顔とを合わせて見るようになるからです。今は主イエスについて、神について、天国について一部しか知りませんが、その時には私たちは完全に知ることになります。ヨハネが「あれは主です」と叫んだように、私たちが天国に着く時には「あれは主イエスです。」と喜びの声を上げるのです。ですから、私たちは、堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励む者でありましょう。わたしたちは、自分の労苦は、主にあって、何一つ無駄でないことを知っているのですから。

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