2016年9月4日 『不信仰の時代』(ルカ7章29~35節) | 説教      

2016年9月4日 『不信仰の時代』(ルカ7章29~35節)

先週は、牢屋に閉じ込められていたバプテスマのヨハネが自分の弟子を主イエスのもとへ送って、主イエスが本当に旧約聖書が預言していたメシヤ(救い主)であるかどうか確認させたという出来事について語りました。バプテスマのヨハネは、旧約聖書の時代に属する最後の預言者で、約束の救い主がこの世に来られるための準備をするという預言者にとって最も偉大な働きのために選ばれた、旧約聖書の預言者の中で最も偉大な人物でした。バプテスマのヨハネは、預言者として働くために、この世の人々の考え方に合わせることをいっさいしませんでした。神様から命令されたとおりに人々に語り、人々のために働きました。彼は、当時のガリラヤ地方の支配者ヘロデ・アンテパスの結婚は間違っているとはっきりと言ったために、牢屋に入れられ、最終的には、彼を嫌っていたヘロデ・アンテパスの妻と娘の策略によって、殺されてしまいます。主イエスは、このバプテスマのヨハネを、旧約聖書時代に生まれたすべての人間の中でもっとも偉大な人物であると宣言しました。しかし、主イエスは、同時に、主イエスを救い主と信じるクリスチャンは、どんなに信仰の小さな者であっても、ヨハネよりも優れているとも言われました。なぜでしょうか。それは、バプテスマのヨハネと違って、私たちは、主イエスの十字架と復活を知っています。また、私たちは、主イエスが今は聖霊となって、いつでも私たちとともにいてくださるということを知っています。使徒パウロも、初めてのキリスト教宣教師として厳しい迫害や身の危険を経験しました。しかし、彼は、ピリピの教会に書いた手紙の中で、「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」と述べています。彼は、ピリピの町で宣教していた時に、逮捕されて牢屋に入れられました。その時の状況では、彼は翌日、処刑されるかもしれませんでした。しかし、彼は牢獄の中で賛美歌を歌っていました。なぜ、パウロには、それができたのでしょうか?パウロは主イエスの十字架と復活を知っており、聖霊の働きを知っていたからです。私たちも、新約聖書の時代に生きていることを感謝しなければなりません。私たちには、み言葉があり、主イエスの十字架と復活を通して、神様の救いの計画を知っています。どんな小さな信仰者にも、主イエスが聖霊として、私たちがどこにいても、いつでも、ともにいてくださることも知っています。
 私たちは、主イエスの大きな愛と犠牲によって、救いを受けているのですから、この信仰の人生を最後までしっかりと生きていくことが、日本的に言えば、神様への恩返しになると思います。というのは、今の時代は、不信仰の時代だからです。もっとはっきり言えば、すべての時代、は不信仰の時代でした。主イエスが、ルカの福音書の29節から35節まで語られた言葉を読むと、主イエスの時代も不信仰の時代であったことがよく分かります。これは別の言い方をすると、クリスチャンとして生きることは決して簡単ではないということです。信仰を持って生きようとすれば、どこかで反対にあったり批判を受けたりします。しかし、私たちは、何よりも大切な救いを受けているのですから、この世の人々の言葉に流されないで、自分の道をまっすぐに歩んでいくことがどうしても大切です。

 以前、アメリカの大学で10人の学生による実験が行われました。10人は3つの長さが違う線を見せられて、一番長いと思う線に手を挙げるという実験です。それを何回か繰り返します。ところが、10人中9人には、1番長い線ではなく2番目に長い線に手を挙げるように指示されているのです。1人だけがそのことを知りません。実験が始まると、9人は間違った線に対して手を挙げます。秘密の指示を聞いていない学生は、びっくしりして当惑しながらも、他の9人に合わせて手を挙げるそうです。実験の結果、秘密の指示を知らない学生の75%は、間違っていると分かっていながら、他の学生に合わせて手を挙げました。この実験は、小学生でも高校生でも同じ結果がでたそうです。個性を大切にするアメリカでもこんな結果が出たことは驚きですが、私たちは、いつも、他の人々の目や他の人々の考えからのプレッシャーを受けています。そのために、正しいことを正しいと言えずに、長いものに巻かれてしまうのです。日本では、クリスチャンは少数派です。周囲の多くの声の影響を受けやすい環境にあります。しかし、この状況は、主イエスの時代も今もそれほど変わりません。今日の箇所で、主イエスが語っているのは、神を信じようとしない当時の人々のことを表しているからです。

 バプテスマのヨハネがイスラエルの人々に大きな影響を与えていたことは、29,30節に記された言葉からも明らかです。彼に対する考え方がユダヤ人の間で真っ二つに分かれていました。一般の人々はヨハネの教えを聞いて非常に興奮していました。というのは、旧約聖書の最後の預言者マラキの時代から、約400年間、イスラエルに預言者が現れていなかったからです。彼らは預言者を待ちわびていましたので、ヨハネの教えには熱狂的に答えています。彼らは、ヨハネの教えを聞いて、自分たちが神から離れて自分勝手な生き方をしてきたことを認めて、神が真実で正しい方だと認めて、彼から洗礼を受けました。その中には、当時、多くの不正を行って人々からひどく嫌われていた取税人も含まれていました。一方、ユダヤ教の指導者たち、エリートたちは、ヨハネの教えを受け入れず、30節の言葉によれば、「神の自分たちに対するみこころを拒みました。それで、彼らはヨハネから洗礼を受けようとしませんでした。パリサイ人や律法学者たちは自分たちは旧約聖書の専門家であり、聖書の教えを守って生活しているので自分たちは正しい人間だと思い込んでいたのです。彼らは自分たちが神から離れているとは思わず、ヨハネから洗礼を受けることも拒否しました。ヨハネを受け入れる人々とヨハネを受け入れない人々と全く2つに分かれていました。ただ、バプテスマのヨハネはイエスを救い主だと語りましたが、それを受け入れない人々が現れ、やがて、ヨハネに対しても批判的になる人々が現れるようになりました。人の心とは、それほどに変わりやすいものです。主イエスは、そのことをよく知っておられました。だから、主がエルサレムで病人を癒したり、悪霊に取りつかれいる人を解放したりして、力強い働きをされた時に、大勢の人々がイエスを信じたのですが、主イエスはご自身を彼らにお任せにはなりませんでした。それは、イエスがすべての人を知っておられたからであるとヨハネ2章24節に書かれています。主イエスは、私たちの心が変わりやすいことを知っておられたのです。十字架にかかる直前の日曜日に、主イエスがエルサレムの街に入られた時には、大勢のユダヤ人がイエスを熱狂的に迎えましたが、彼らの多くがそれから5日後の金曜日には、「イエスを十字架につけろ」と叫ぶ群衆に加わっていたのもその表れです。

 このような当時の人々の不信仰の心を見て、イエスは彼らの心を広場で遊んでいる子供たちのようだと言われました。「では、この時代の人々は、何にたとえたらよいでしょう。何に似ているでしょう。市場にすわって、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』」イエスは、「この時代の人々」と言われました。「時代」と訳されている言葉はルカの福音書では、たいてい否定的な意味で用いられています。11章29節では、主はこう言われました。「この時代は悪い時代です。しるしを求めている。」「時代」が意味するのは、主イエスを信じようとしない人々です。イエスは、信じようとしない人々を市場に座っている子どもに例えています。1世紀のパレスチナには、今のように、子供が遊ぶための公園はありませんでした。それで、子どもたちは町の中心部にあった広場に来て遊んでいました。子供たちが遊ぶときは、よく大人がしていることの真似をします。買い物ごっこをしたり、学校のまねをしたりします。主イエスの言葉によると、当時のこどもたちがよく遊んでいたのが、結婚式ごっこであり、お葬式ごっこでした。当時の人々にとって、結婚式とお葬式は、人生の中で、もっとも大きな、大切な出来事でした。子どもたちもその様子を何度も見て知っていました。イエスが言われた「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった」の言葉が意味するのは、広場に子どもたちが2つのグループになって遊んでいて、一方がもう一方のグループに結婚式ごっこをしようと誘っている様子です。それが「笛を吹いてやっても」という言葉の意味です。しかし、その誘いに対して、もう一方のグループは踊りに加わろうとしませんでした。彼らは、そんな楽しい気分ではないから遊ばないと言って、一緒に遊ぼうとしませんでした。すると、今度は、さっきのグループがもう一方のグループに向かって葬式ごっこをしようと誘います。それが、「弔いの歌を歌っても」という言葉の意味です。すると今度は、相手の子どもたちは、そんな悲しい気分になれないと言って、やっぱり遊びに加わろうとしません。誘った子供たちは、どんなにイライラしたことでしょう。相手の子供たちが、いろいろな理由をつけて一緒に遊ぼうとしないからです。

 このように例えで話した後、イエスは、今の時代の人々がバプテスマのヨハネや自分をどのように扱っているのかということを話しておられます。33、34節の言葉を読みましょう。「バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ブドウ酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ、食いしん坊の大酒飲み、取税人や罪びとの仲間だ。』と言うのです。バプテスマのヨハネは、預言者としての生活を追及して、いつも荒野で生活をし、らくだの毛皮を来て、食べるのは、野密といなごだけでした。彼の生活は、普通の人の生活とはずいぶん異なっていました。その時代の人々は、ヨハネは悪霊につかれているからそんな変わった生活をしているのだと批判しました。でも、実際は、彼らがヨハネをそのように批判したのは、彼のメッセージに対して反感を感じていたからです。彼らの心はかたくなで、ヨハネが言うように、自分の罪を認めることをせず、洗礼も受けようとしませんでした。自分が正しいことを証明しようとする人は、悔い改めを求めるヨハネの説教を受け入れることができませんでした。 一方、主イエスの生活スタイルはヨハネとは違って、普通の人と同じように人々と交わり、食事をし、ブドウ酒を飲みました。主イエスは、ある時、自分が花婿であり弟子たちは花婿に付き添う友だちのようなものだと言われました。どちらかと言えば、主イエスの働きは結婚式のような喜びに満ちたものでした。すると、そのようなイエスの姿を見て、パリサイ人や律法学者たちは、イエスのことを「食いしん坊の大酒飲み、取税人や罪びとの仲間」だと言って批判しました。彼らは、バプテスマのヨハネも救い主イエスも、受け入れず信じようとせず、むしろ批判しました。

バプテスマのヨハネと主イエス、それぞれの働きのスタイルは違いましたが、メッセージの中心点は、神から離れている罪の状態を認めて、悔い改めて、主イエスによる罪の許しを受け入れることです。そして、そこから新しい生活をスタートすることです。しかし人々は、ヨハネもイエスも批判しました。それでも、ヨハネもイエスも自分にゆだねられた働きをやめることはありませんでした。私たちの周囲にも、私たちを批判する人々や私たちに反対する人々がいます。しかし、それらの声に影響されて生きることはもったいない人生です。自分の人生を他の人々の意見によって支配されることはもったいないことです。主イエスを信じて、罪を赦され神の子として新しく生きる者となった私たちは、死ぬまで主イエスに忠実な弟子でありたいと思います。
 35節で、主イエスが言われた言葉、「だが、知恵の正しいことはそのすべての子供たちが証明します。」これは、何を意味しているのでしょうか。ここで言われている子供とは、主イエスを救い主と信じて神の子どもとされたクリスチャンひとりひとり、つまり、私たちを指しています。神様の知恵、神様の計画が正しいことは、クリスチャンひとりひとりの生き方によって証明されるということです。だからこそ、私たちは、つねに愛と謙遜の心を持たなければなりませんが、周囲の声、周囲の反対を恐れず、それに流されないで、神の子どもとしての生活を貫かなければなりません。

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