2016年11月6日 『語らずにはおれない喜び』(ルカ8章26-39) | 説教      

2016年11月6日 『語らずにはおれない喜び』(ルカ8章26-39)

 イエスの弟子たちは、イエスから直接いろいろな教えを受け、また、様々な場面で主イエスの力ある働きを見ていましたが、彼らの信仰はまだまだ不十分でした。それで、主イエスは彼らの信仰の目を開くために、ルカの福音書8章の後半で、4つの出来事を彼らに経験させられました。先週は、その一つ目として、ボートで湖を渡っている時に突然の嵐に襲われるという出来事がありました。弟子たちは死ぬことを恐れてパニックに陥りましたが、イエスは、嵐に命令することによって、嵐を鎮められたので、彼らは、主イエスには自然をも支配する権威を持っていることを知りました。嵐がやんだ後、弟子たちはボートで、湖の反対側の岸に着きましたが、そこで、2番目の出来事に遭遇しました。湖の岸辺で彼らを待ち受けていたのは、悪霊に取りつかれた男でした。聖書は、この世に悪霊が存在することをはっきりと教えています。私たちが信じている神も霊的な存在です。聖霊が私たちに働くときに、私たちに平安を与え、不思議な喜びや力を与えます。しかし、ヨハネの手紙第一の4章に書かれているのですが、イエスを告白しない霊、つまり、聖霊以外はすべて悪霊であり、反キリストの例です。悪霊は、人々の心に平安や喜びを与えず、むしろ人々を恐怖心でしばりつけます。世の中にはオカルトと呼ばれる様々な悪霊の働きがあります。青森県にはイタコと呼ばれる死んだ人と話をするという人がいますが、これも悪霊の働きです。韓国の朴大統領が影響を受けていた人も悪霊にかかわっていたと思われます。偶像礼拝や占いなども私たちはきっぱりと断ち切らないと影響を受けますので、注意しなければなりません。悪霊の働きの共通点は、私たちの心を本当の神様から遠ざけることにあります。

(1)悪霊の働きに縛られていた男(26-27節)
 主イエスと弟子たちがガリラヤ湖の向こう岸で出会ったのが、悪霊に取りつかれてどうすることもできない男でした。ルカの記述によると、この人は裸で、家に住まずに墓場に住んでいました。また、この人は鎖や足かせで縛られていましたが、それを断ち切るほどの怪力を持っていました。そして、悪霊に支配されて荒野をさまようこともありました。彼の生活は、悪霊によって破壊されていて、自分で自分をコントロールできない状態になっていました。この男の姿は、私たちには異様に見えますが、今の時代にも、いろいろなものに縛られて自分をコントロールできない人が多くいるのではないでしょうか。お金やこの世の成功を求める欲望に縛られている人もいます。ドラッグやお酒に縛られている人もいます。若い人の中にはラインなどにはまって、一日中そればっかりしている人もいます。ゲームにはまっている人もいます。これらの人々は、自分がはまっているものに支配されて、それをやめることができず、自由を奪われているために、正しい生活ができず、体を壊し、精神的に壊れ、考え方も壊れている人も多いのではないでしょうか。みじめな人々です。しかし、主イエスは、このような人をも救う力のある救い主です。
今回、イエスと弟子たちがボートでガリラヤ湖の反対側に来たのは、22節にあるように、主イエスが「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたことがきっかけでした。主イエスは、この時、この悪霊に取りつかれた男を助けて自由にするために湖を渡ろうと言われたのです。村の人々にとっては、どうしようもない人間でしたが、主イエスの目には一人の尊い人間でした。主イエスは、この男を助けたいと思われたのです。

(2)悪霊に対するイエスの力28-33節)
 イエスは、この男を助けるために、まず悪霊の名前を尋ねられました。悪霊は「レギオン」と答えました。レギオンとはラテン語で大勢の人を意味します。ローマの軍隊で、レギオンとは6000人の兵士を意味するからです。この男は多くの悪霊の力によって人格を引き裂かれていました。男はイエスを見ると大声で叫びました。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうかわたしを苦しめないでください。」 悪霊はイエスが誰であるかを知っており、イエスが自分たちよりも権威を持っていることを知っていました。主イエスが悪霊に「この男から出ていけ」と命令されたのですが、悪霊はここから出ていくと、主イエスによって31節に書かれている「底知れぬところ」に行くことになるのを恐れて助けを求めているのです。「底知れぬところ」とは、悪霊が最終的に裁かれて閉じ込められる場所を意味します。彼らは神から永遠の裁きを受けることを知っていて、何とか、そこから逃れるために近くにたまたまいた豚の群れに入りたいとイエスに頼んでいます。なぜ、豚に入ることを願ったのかその理由はよく分かりませんが、永遠のさばきを逃れるために、悪霊たちが必死になって時間稼ぎをしていました。イエスは彼らの願いを聞き入れました。すると悪霊が豚の群れに入りました。すると、豚はパニックになって次々に崖を駆け下り、湖に飛び込んで溺れ死んでしまいました。
 村の人々は、豚の群れが溺れ死んだのを見て驚き、そして、イエスに「自分たちの村から出て行ってくれ」と頼みます。村の人々にとっては、一人の男のことよりも、商売のために飼っていた豚の方が大切でした。彼にとって、毎日の生活で得なのか損なのか、いつもそのことを考えていましたので、主イエスが来たことによって、商売道具の豚が死んでしまったことに腹を立てて、イエスを追い出そうとしたのです。しかし、イエスは、何よりも一人の救いを大切にされました。この人は、悪霊に取りつかれるという大きな苦しみを経験し、自分ではどうすることもできずにいました。しかし、主イエスは、その一人の男に目をとめて解放してくださいました。いろいろなものに束縛されてしまって、自分ではどうすることもできないような生き方をしている人をも、主イエスは救うことのできる力を持っています。

(3)主イエスによって解放された人
 悪霊から解放された人はどうなったでしょうか。35節には「イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。」と書かれています。人々は、その姿を見て、喜ぶのではなく恐れを感じました。信じれられないことが起こったからです。悪霊から解放された人は、本来の姿に戻っていましたが、村の人々は、そんなことには無関心です。豚が死んだこと、混乱が起きて経済的に損をしたことのほうが重要でした。しかし、悪霊から解放された人の心は喜びで満たされていました。それで、38節に書かれているように、彼はすぐにイエスの弟子になってイエスについて行きたいと言いました。自分に新しい人生を与えてくれた主イエスとともにいることを願いました。しかし、主イエスは彼に「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを話して聞かせなさい。」と言いました。それは、このガリラヤ湖の東側の地域、この男が初めてイエスを信じた人物で、この地に主イエスについて語る人が必要だったからです。彼は、イエスの言葉に従って自分の地域に残りました。周りにはイエスを反対する人が大勢いたはずです。しかし、彼は、恐れることなく町中に出て行って、主イエスが自分の人生にどんなすばらしいことをしたのかた町中の人々に語って行きました。悪霊に支配されたいた時、彼の人格は壊れていました。しかし、主イエスには、壊れた人格をも回復する力を持っておられます。彼はそのことを体験したのです。私たちは、この世のいろいろなものから影響を受けて、人格までも影響を受けることがあります。自分が生きている意味も分からなくなっている人もいます。しかし、イエスと出会う時、イエスが十字架で表してくださった愛を自分への愛として受け取るときに、人は新しくされます。あなたは、今、何かに支配されていませんか。本来の自分を失っていませんか。主イエスはあなたをも解放する力を持っておられます。

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