2016年11月27日 『主イエスの系図』(マタイ1:1-17) | 説教      

2016年11月27日 『主イエスの系図』(マタイ1:1-17)

 今日からアドベントに入ります。アドベントとはラテン語で「到来」「やって来る」という意味を持っています。クリスマス礼拝の日曜日までの4週間を「神が人となってこの世に来られるのを期待して待つ時」として過ごします。教会のカレンダーは、アドベントから1年が始まります。教会はこの時からクリスマスの飾りつけを行いますが、礼拝堂の中にはアドベントクランツを飾ります。元々は、常緑樹の木の枝を丸くして、そこに4本のろうそくを立てました。丸くした木の枝をクランツと呼びますが、これは「冠」という意味があり、救い主イエスは、幼子として生まれましたが、王としてこの世界を支配するべき方であるという尊敬の気持ちを表しており、常緑樹は、永遠のいのちを表しています。ろうそくは4週間、最初の週は1本、次の週は2本というように、毎週ろうそくを増やして行き、クリスマス礼拝の時に4本全部ろうそくに火をともします。

 今日から4週にわたってクリスマスに関するメッセージを語りますが、今日は、マタイの福音書に記された主イエスの系図について学びたいと思います。普通、人が初めて聖書を読む時に、新約聖書のマタイの福音書から読み始めますが、いきなり、舌をかみそうな名前ばかりが記された系図が出てくるので、多くの人は、そこを飛ばして、18節から読み始めます。私たちにとっては、なじみのない、また、どんな意味があるのかわからない系図です。しかし、マタイの福音書は、ユダヤ人に向けて書かれた福音書であり、ユダヤ人にとっては、歴史が始まった時から、系図は非常に大切なものでした。イスラエルの人々は、主イエスよりも1500年前の時代、エジプトに住んでいて、エジプト人の奴隷として非常に苦しい生活をしていました。彼らの苦しみの叫びを聞いた神は、モーセと言うリーダーを立てて、イスラエルの人々をエジプトから脱出させ、その後モーセの後継者であるヨシュアのもとで、現在のイスラエル地方に住みつくようになりました。その土地を獲得した時に、イスラエルの人々は土地を部族で分けました。そのため、イスラエルの民は自分が住むべき場所を知るためには自分がどの部族の一員であるのかを知っておかなければなりませんでした。この伝統はイエスの時代まで続いていました。そのため、主イエスが生まれた時代、ローマ帝国がイスラエルを支配するようになっても、イスラエルの人々の住民登録は、出身部族に基づいて行われました。マリヤとヨセフは、住民登録をせよとローマ帝国から命令が出た時に、彼らが住んでいた町ナザレから遠い出身部族の町ベツレヘムまで行かなければならなかったのも、そのためでした。。
 それにしても、マタイはなぜ、福音書の冒頭にこのような退屈な系図を書いたのでしょうか。それは、マタイがこの福音書を書いたのは、イエスが何をしたのかということよりも、イエスが誰であるのかを人々に伝えるためであったからです。普通、誰かの伝記を書くときには、その人が人生の中で何をしたのかを中心にして書きます。しかし、マタイが伝えたかったのは、イエスが誰であるのかということです。イエスを信じる信仰も、イエスが誰であるかを知って、そして信じるのです。イエスがこういうことを言ったとか、こんなことをしたから信じるのではなく、イエスが誰であるのかを知って信じるということです。

(1)アブラハムの子孫、ダビデの子孫
 マタイの福音書1章1節には、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」と書かれています。アブラハムとはイスラエル民族の最初の人間です。もちろん、ユダヤ人にとっては誇りとしている人物です。また、ダビデとは、今から3000年前のイスラエル王です。ダビデ王の時に、イスラエルはすべての時代を通じて、もっとも大きな国を築いた人物で、今なお、ダビデはユダヤ人の英雄です。ダビデのシンボルは六角形の星で、イスラエルの国旗の中心にも、ダビデの星が描かれているほどです。アブラハムはイスラエル民族の出発点であり、ダビデはイスラエル王国の出発点となった人物です。
 アブラハムは今から4000年前、イエスの時代から2000年前の人物です。もともと、現在のイラクにあたる土地の人間でしたが、神に選ばれイスラエル民族の元祖となるために現在のイスラエルがあるカナンと呼ばれる土地まで導かれました。彼が75歳、妻のサラが65歳の時です。神様はアブラハムに約束しました。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」このように、アブラハムとその子孫は、人々の祝福を与える国民となることが約束されていました。しかし、実際には、アブラハムの子イサクはエサウとヤコブという双子のこどもの父親になりますが、この双子の兄弟は弟が兄をだまして長男の権利を奪うという出来事が起こります。そのヤコブには12人の息子が生まれますが、ヤコブがその中のヨセフを特別に愛したため、ヨセフは他の兄弟たちによってエジプトの奴隷として売り飛ばされてしまいます。その後、いろいろあって、ヤコブと11人の息子と家族は皆、エジプトにいたヨセフ頼ってエジプトに移住します。最初はエジプトで優遇されていた彼らも、いつの間にかエジプトの奴隷となり、非常に苦しい外国での生活をする民族となりました。彼らは、本当は他の民族を祝福するべき民族であったのに、彼らの自分勝手な生き方のために神様の約束が実現しない結果になりました。
 一方、ダビデはイエスの時代の1000年前のイスラエル王で、彼にも子孫が与えられ、その子孫について2つの約束が与えられました。一つは、ダビデに代わってエルサレムに神殿が建てられることですが、これは息子ソロモンの働きによって実現しました。もう一つは、第二サムエル7章13節に記されています。「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く建てる。」つまり、ダビデの王家は永遠に続くという約束でした。しかし、実際には、ダビデ王国は息子ソロモンまでは繁栄していましたが、ソロモンの後、イスラエルは北王国と南王国に分裂し、北王国はやがてアッシリアという国に滅ぼされてしまいました。イスラエル民族にはヤコブの息子の数に従って12部族いたのですが、北王国が10部族、南王国が2部族に分かれていました。北王国が滅んだ時に、イスラエル民族のうち10部族は消えてしまいました。結局残ったのはユダ部族と最小部族のベニヤミン族からなる南王国だけになり、イスラエルの民はユダヤ人と呼ばれるようになります。南王国はダビデの直接の子孫が王様になっていて、18代目まで、何とかダビデ王朝を続けていましたが、ついにBC6世紀にバビロンによって滅ぼされてしまい、ダビデ王朝は終わってしまいました。ダビデの王国は永遠に続くという神様の約束も、実現することはありませんでした。
 マタイが、イエスキリストの系図をアブラハムの子孫、ダビデの子孫と呼んでいることは、ユダヤ人にとって大きな意味を持っています。彼らは、神様がアブラハムとダビデに与えた約束を知っているからです。イエスが生まれた時代、イスラエルは外国ローマ帝国に支配されていて苦しい生活をしていましたので、神様の約束がまだ実現していないことは明らかでした。そのような彼らにとって、イエス・キリストが、アブラハムとダビデに与えた約束を実現する者としてイエス・キリストの誕生が語られていることは大きな期待を持たせるものでした。ただ、ユダヤ人たちは、この地上の生活だけを考えていましたので、彼らが期待したのは、世界を支配し、いつまでもイスラエルの王国が続くことを願ったので、当時、イスラエルを支配していたローマ帝国を滅ぼして強い国を創る王様を期待していました。イエス・キリストというのはイエスがファーストネームでキリストが苗字という意味ではありません。イエスが名前です。ユダヤ人の言葉であるヘブル語ではヨシュアと発音します。その意味は「主は救い」です。ヨシュアは、新約聖書の言葉であるギリシャ語では「イエス」と発音しますが、同じ名前です。例えばペテロはギリシャ語ですが、英語ではピーター、フランス語ではピエールと言います。イタリア語ではピエトロです。バチカンにある教会はサン・ピエトロ寺院と言いますが、そこにはペテロの遺体が葬られています。キリストというのはギリシャ語ですが、ヘブル語の「メシヤ」という言葉を翻訳した言葉です。もともとの意味は「油を注がれた者」という意味です。イスラエルの民は、旧約聖書の時代、特別の仕事に召された人に、神様がその働きを遂行できるように神の霊と力を授けることのしるしとして、その人に油を注ぎました。特別な仕事とは、王様と祭司と預言者でした。また、イスラエルの民は、旧約聖書に預言されていた、王様と祭司と預言者の力を持つ救い主が現れるのを待ち望んでいましたが、その救い主がメシヤ「油注がれた者」と呼ばれていました。ですから、イエス・キリストとは、救い主イエスという意味になります。ですから、アブラハムの子孫、ダビデの子孫であるイエス・キリストとは、アブラハムに与えられた神様の約束を実現する者、ダビデに与えられた神様の約束を実現する者であることをマタイは書き記しているのです。
 マタイの福音書の最後に主イエスが復活の後、天に帰る時、弟子たちに言われた言葉が書かれています。「わたしには天においても、地においてもいっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(28章18,19節)主イエスが天においても地においても一切の権威が与えられていると宣言されたことは、主イエスが永遠にこの世界を支配する者であることをあらわしており、ダビデの王国が永遠に続くという神の約束が実現したことを表しています。また、イエスが「あらゆる国人々を弟子にしなさい」と言って弟子たちを全世界に送り出したことは、アブラハムを通して全世界の人々が神の祝福を受けるという神の約束を表すものと考えられます。このイエス・キリストこそが神が約束された救い主であることを証明しています。

(2)系図に登場する4人の女性
 マタイは主イエスの系図にマリヤ以外に4人の女性の名前を記しています。ユダヤ人の系図に女性の名前を入れることは普通ありません。当時のユダヤ人社会では、女性には男性と同じ権利が認められていなかったからです。女性の名前が記されていることだけでもびっくりすることなのですが、その4人がどんな女性であったのか、それを知るとなおいっそう驚きます。4人とはタマル、ラハブ、ルツ、そして、ダビデ王の部下のウリヤの妻です。タマルは創世記38章に出てきますが、ユダ部族の頭ユダの息子の嫁でした。今日は詳しくタマルについて語る時間がありませんが、彼女は自分の立場を守るために大きな罪を犯した女性です。2番目のラハブはヨシュア記に出てきますが、彼女はヨシュアが征服したエリコという町に住む売春婦であり、外国人でした。ユダヤ人は外国人を犬と同じと考えていました。しかし、彼女は神を恐れる女性でしたので、ヨシュアがエリコを滅ぼした時に、いのちを守られ、やがてサルモンという人と結婚をして、ボアズという息子を生みます。後にボアズと結婚するのが3番目の女性のルツです。旧約聖書の中にルツ記という書物がありますが、彼女の人生を描いた書物です。彼女は神を恐れる信仰を持っていましたが、彼女も外国人でした。彼女はボアズと結婚をしてダビデ王のおじいさんにあたるオベデを生みます。最後の女性は名前ではなく「ウリヤの妻」と呼ばれています。彼女の名前はバテシェバと言いますが、なぜ、「ウリヤの妻」と呼ばれたのでしょうか。実は、ダビデ王は人生の中で一度大きな罪を犯しました。それは、自分の部下ウリヤの妻との不倫でした。ウリヤが戦場で戦っている時に、エルサレムの宮殿にいたダビデはバテシェバと関係を持って、彼女は妊娠してしまいます。ダビデは、そのことがばれるのを恐れて、王の力を使ってウリヤを戦場で死ぬような策略をします。人間的には完全犯罪でしたが、神は預言者を通してダビデに罪を認めさせ、悔い改めに導きました。バテシェバのおなかにいた赤ちゃんは死にましたが、その後、ダビデとバテシェバの間にソロモンが生まれ、ソロモンがダビデの次の王様になります。普通は、偉い人の系図を書くときに、もし問題のある人間がいれば、その人は系図から削除します。経歴に傷がつくからです。しかし、マタイは、系図の中に、あえて、人間的に考えると恥ずかしい女性を入れました。なぜでしょうか。それは、主イエスが、神から遣わされた救い主で、恵みに満ちておられる方であることを示すためです。主イエスは言われました。「私は、失われた人を探して救うために来たのです。」私たちの社会は、自分と考えが違う人、身分が違う人を追い出したり、壁をつくって関係を持たないようにします。しかし、主イエスは、すべての人を愛し、すべての人に新しい人生を与えるために、人間が作る壁を壊すためにこの世に来られたのです。それは男と女という壁であり、ユダヤ人と外国人の間にある壁であり、社会的に正しいとみられている人と軽蔑されている人との壁でした。聖書は、教えています。神の目にはすべての人は神が求める基準に達しない罪人です。しかし同時に、主イエスの愛、主イエスが私たちに与える救いには、男と女の区別も、ユダヤ人と外国人の区別も、奴隷と自由人の区別もありません。キリストにあっては、人間はみな一つなのです。イエスが生まれるまでの系図がどれほど、罪や恥で満ちていたとしても、神様の私たちに対する愛、恵みは変わりません。そしてどんな人も、このイエスを信じて新しい命にはいることを神様が願っていることをはっきりと示しているのが、この系図なのです。

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