2016年12月11日 『東方の賢者と愚かな王』(マタイ2章1-12節) | 説教      

2016年12月11日 『東方の賢者と愚かな王』(マタイ2章1-12節)

 今日の出来事は、主イエスが誕生したクリスマスの日から数か月過ぎたときのものと思われます。というのは、11節に、イエスを訪ねてきた博士たちが「家にはいった」と書かれているからです。主イエスは宿屋の馬小屋で生まれましたが、いつまでもそこにいたのではありません。生まれて8日目にはユダヤの習慣によって「割礼」の儀式を受けたでしょう。また、ルカの福音書2章に記されていますが、ヨセフとマリヤは幼子イエスを神様に捧げるためにエルサレムの神殿に行きました。その時、二人は貧しかったため、小羊をささげることができず、鳩をささげました。もし二人が、博士たちがベツレヘムを訪れた後に、幼子を神様に捧げたのであれば、二人は博士たちから高価な送り物を受け取っているので、普通の人と同じように小羊を捧げていたはずです。ヨセフとマリアはマリヤと赤ちゃんの体調が落ち着くのを待ち、また神様からの導きを待ちながらベツレヘムにとどまっていたのだと思います。
 当時ユダヤを支配していたのはローマ帝国ですが、ユダヤでは、ヘロデ王が王というタイトルを使うことが許されていました。彼はもともと外国人の血が混じっていて、王様になったのも、ハスモン家の娘マリアムネと結婚して手に入れた結果でした。彼は頭がよく、支配者としては能力を持っていましたのでローマ皇帝とうまく関係を持ちながらユダヤの国を強くしていました。しかし、彼は非常に疑い深い性格の持ち主で、自分の周囲にいる人間を次々に殺して行きました。彼は自分の妻も妻の母親も殺し、息子を二人殺しています。彼が死ぬ5日前には、三番目の息子も殺しました。ですから、マタイの福音書2章に記されている、ヘロデ王がベツレヘムの2歳以下の男の子を殺す命令など、ヘロデ王にとっては大したことではなかったのです。
 一方、2章に出てくる東方の博士たちは多くの謎に包まれた人物です。中世の時代には、この博士についていろいろな伝説が創り出され、博士の人数は3人で、カスパー、バルタザール、メルキオールという名前で呼ばれ、彼ら3人はノアの箱舟の息子を表すと考えられていたので、必ず3人のうちの1人はエチオピアの黒人として描かれました。しかし、実際には、マタイの福音書には、東の国から来た博士たちの人数や、名前、またどうやってイスラエルまでやってきたのか、どこの国の出身なのか、何も書かれていません。「東」とは現在のイラクにあたるバビロンを指していると思われます。主イエスが生まれる500年以上前に、バビロン帝国がユダヤ人の王国を滅ぼして、大勢のユダヤ人を強制的にバビロンに連行するという出来事がありました。その時いらい、バビロンにはユダヤ人の影響が強く残っており、その地域にも、旧約聖書に預言されている「救い主」を待ち望む信仰が広まっていたのです。ギリシャ語では「magi」と書かれていますが、この言葉は、手品をするマジシャンの基にな言葉です。彼らは、バビロンで広く行われていた星の研究をする専門家で、非常に裕福で人々から尊敬されていました

(1)博士たちの訪問
 博士たちが、はるばる旅をして、エルサレムに到着すると、彼らは人々に尋ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」実は、この時代、中東地域一帯に、偉大な王、偉大な解放者が現れるという期待が高まっていました。ローマ帝国の歴史家のスエトニウスもタキトゥスもそのことを記録に残しています。彼らが見た星が何だったのか、これまでにも、いろいろ研究されてきました。聖書は、その星について何の星であったのか記していませんが、博士たちが気が付いたのですから、特別に明るく光る星だったと思われます。主イエスが生まれた夜、羊の番をしていた羊飼いを特別に明るい光が照らしました。その光も博士たちが見た星と関係あるかもしれません。彼らは、星の後をたどってエルサレムに来たのではありません。彼らは、その星を見たときに、この星が、旧約聖書にしるされた救い主を表すものと確信して、救い主を探すために、エルサレムに来たのです。彼らがはるばる旅をした目的は、一つです。救い主を拝むために、礼拝するために、やってきました。「拝む」と訳されている言葉は非常に強い尊敬を表す言葉で、相手にキスをするとか、床にひれ伏すという意味が込められています。博士たちは、救い主に対して、非常に強い尊敬の気持ちを持っていたことが分かります。彼らはそれほどに救い主を待ち望んでいました。旧約聖書のエレミヤ書29章に次のような言葉があります。「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(12,13節)救い主は遠い方ではありません。心を尽くして探し求めるなら必ず見つかる方です。神様は、この博士たちをも、救い主のところへと導いてくださいました。

(2)ヘロデの驚き
 ヘロデ王が東方の博士たちの言葉を聞いた時、ヘロデ王はひどく戸惑ったと書かれています。彼は、もともと結婚によって王の地位を獲得し、自分の地位を脅かす人間は次々に殺すことによって王という地位を守って来た人間です。周りには大勢の敵がいました。いつも、ヘロデ王は、人々を疑いの目で見ていました。そんな時に、東の国から博士たちがやって来ました。博士たちは東の国では裕福であったので、おそらく立派な身なりをしていたことでしょう。一般的に博士は3人と考えられていますが、当時、実際に、砂漠地帯で長い旅をするには、多くの食べ物や物資が必要だったでしょうし、彼らの世話をする召使いや部下たちも多くいたはずです。ですから、実際には、多くの人間やラクダ、ロバからなる大行列がいたことが想像されるのです。言わば、江戸時代の終わりに、アメリカから黒船に乗ってやってきたペリーの艦隊のような感じであったでしょう。ヘロデ恐れるのは当然です。しかも彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」と言っているのです。ヘロデ王は、ユダヤの王です。それなのに、博士たちは、新しいユダヤ人の王が生まれたと言っているのですから、それは、ヘロデ王が王としての地位を失うことを意味します。しかし、恐れたのはヘロデ王だけではありませんでした。3節には「エルサレム中の人々も恐れた」と書かれています。彼らが恐れたのは、彼らがヘロデ王のことをよく知っていたからです。これまでの経験から、ヘロデ王が恐れる時には、王によって疑われた人間が大勢殺されることを知っていました。
 ヘロデ王は、急いで、民の祭司長たちや学者たちを呼び集めました。そして、ヘロデは彼らに「キリストはどこで生まれるのか」と尋ねています。ヘロデは、東方の博士たちが探しているのがキリストだと考えています。キリストとは、旧約聖書が預言している救い主のことであり、普通の王とは違います。ヘロデは、彼自身外国人の血が混じっており、ユダヤ教を信じてはいなかったと思いますが、ユダヤ人の信仰、旧約聖書についてある程度知っていたようです。それで、ヘロデは博士たちが探しているのが旧約聖書に預言された救い主だと確信したのです。
 祭司長たちとは、ユダヤ教で礼拝を行う聖職者で、祭司になれるのは、レビ部族の人間で、さらに、モーセの兄アロンの子孫だけに限られていました。ここに集まっているのは祭司長ですから、祭司のリーダーたちと聖書を研究する学者たちが集められました。彼らは、宗教の専門家ですから、当然、旧約聖書のメシヤについての預言もよく知っていました。ヘロデ王が彼らに「キリストはどこで生まれるのか」と尋ねると、彼らは、聖書を開くこともなく、すかさず「ベツレヘムです。」と答え、さらに、旧約聖書のミカという預言者が書いた言葉をすらすらと暗唱しています。彼らは救い主が生まれる場所を知っていたのです。しかし、彼らはその預言について真剣に考えてはいませんでした。彼らも不思議な光を見たはずですが、救い主が生まれるという出来事にまったく無関心でした。博士たちは、彼らほど、聖書については詳しく知ってはいませんでした。しかし、不思議な星を見たときに、救い主の誕生を確信して遠いところから旅をしてエルサレムまで来ていました。一方、エルサレムにいたユダヤ教のリーダーたちは、救い主に関する預言をよく知っていたにも関わらず、救い主の誕生にはまったく無関心でした。
 次にヘロデは東方の博士たちを呼んで、彼らがいつ星を見たのかを尋ねました。博士たちが星を見たのは、エルサレムに向かって東の国を出発する前ですから、少し時間の差があります。それを確かめて、現在、救い主の赤ちゃんが何歳、何か月になっているのを確かめたかったのです。ヘロデにとっては、星が現れた意味はどうでもよいことでした。彼が考えていたことは自分の王座を守るために、その赤ちゃんを殺すことだったからです。博士たちから星を見た時期を聞くと、博士たちに、ベツレヘムにって救い主を見つけたら報告するようにと言って、彼らを送り出しました。

(3)救い主を礼拝する博士たち
 博士たちがエルサレムからベツレヘムに向かって出発しようとすると、再び、夜空に不思議に明るい星が現れました。10節には、彼らはその星を見て非常に喜んだと書かれています。そして星が博士たちを先導して進み、ついに幼子のいる場所の上にとまりました。ただ、これは、星が特別な動きをしたという訳ではなく、博士たちが向かうベツレヘムの方向にこの星が現れ、彼が進むと星も進むように見え、彼らが幼子がいる家を見つけて立ち止まった時に、星も止まったように見えたのだと思います。もうイエスの誕生からしばらく時間がたっています。ヨセフとマリヤはいつまでも馬小屋にいたのではなく、家に移り住んでいました。そして、神様から次の導きを求めて待っていました。博士たちは家に入ると、幼子を見て、ひれ伏して拝みました。とても不思議な光景です。東の国の裕福で高い身分の博士たちが、立派なガウンを着たまま、貧しい母マリヤに抱かれた赤ちゃんの前にひれ伏して、母マリヤではなく幼子イエスを礼拝しているのです。もちろん、博士たちは神様から特別に選ばれたヨセフとマリヤと出会って喜んだと思いますが、彼らが礼拝しているのは幼子イエスです。普通の人の目にどこにでもいる赤ちゃんです。しかし、博士たちはこの方こそ救い主であることを知っていました。
 博士たちは、救い主を敬う気持ちで、贈り物を差し出しました。それは、黄金、乳香、没薬の3つでした。黄金は王様に差し出す贈り物なので、イエスが王であることを示しています。乳香とは、ゴムのような木からとれる白い樹脂ですが、これを乾燥させて粉にしたものを燃やすととても良い香りがします。ユダヤ教の儀式では、祭司が礼拝の中で香をたいていましたので、乳香はイエスが祭司の働きをすることを示しています。没薬も、木から取れるオレンジ色の樹脂ですが、当時、死体を腐らせないための薬として、また苦痛を和らげる薬として用いられていました。主イエスは十字架にかけられたときに、没薬を混ぜたブドウ酒を差し出されました。没薬は、イエスの十字架と死を示すものでした。彼らは、贈り物をささげると、その家を出ました。それから、夢でヘロデの所に行かないようにとのお告げを受けたので、別の道を通って自分の国に帰って行き、歴史から姿を消しました。彼らが登場したことによって、その時までは、ヨセフとマリヤと羊飼いと一部の貧しい人たちだけが関わっていた出来事が、エルサレムのヘロデ王や身分の高ユダヤ教のリーダーたちにも知られることとなりました。
 今日の出来事には、救い主イエスに対する3種類の応答が描かれています。第一にヘロデ大王は、イエスを自分の生活を脅かす危険人物と見なして、イエスを救い主として受け入れることを拒否して、イエスを殺そうとしました。第二にエルサレムにいた祭司長や学者たちは、救い主の誕生については正しい知識を持っていました。聖書の預言の言葉も暗唱できるほどでした。しかし、救い主に対してまったく無関心でした。そして、第三に東の国から来た博士たちです。身分の高い立派な衣服を着た博士たちが、幼子の前で床にひれ伏し、幼子を救い主として最大の尊敬を込めて礼拝しました。そして、宝の箱を開けて、幼子に高価な贈り物をささげました。救い主のために、自分が持っている最高のものをささげました。私たちは、救い主イエスにどのような態度を取っているでしょうか。

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