2017年4月9日 『主イエスの十字架』(マルコ15:21-41) | 説教      

2017年4月9日 『主イエスの十字架』(マルコ15:21-41)

 主イエスの十字架への道は、総督ピラトの官邸から始まります。十字架刑を宣告された者は、4人のローマの兵士に囲まれて、十字架の横木を担いで処刑場まで歩かなければなりませんでした。それは重さが50キロほどですが、イエスの体は、それまでに鞭で打たれていますので、背中の肉が見えるほどに傷ついていました。歩きながらも、イエスの体からは血が流れ続け、体力はどんどん衰えていました。主イエスが何度もよろめくので、ローマの兵士は、イエスがこれ以上重い木材をかつぐのは無理だと思って、たまたま北アフリカのクレネ(現在のリビア)からエルサレムの祭りに参加するために来ていたシモンという男に、木材を運ぶように命令しました。彼にとっては、「なんで自分が」という考えがあったかもしれませんが、しかし彼の人生に大きな影響を与えたようです。マルコの福音書はローマにいたクリスチャンのために書かれた福音書と見なされていますが、マルコだけがクレネ人シモンを「アレキサンデルとルポスの父」と書いています。この二人はローマの教会においてはよく知られたクリスチャンであったと思われます。のちにパウロがローマの教会宛に書いた手紙の中にも、「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。」(16:13)と書かれています。シモンは、キリストを知らずに、ユダヤ教の祭りに参加するためにエルサレムに来ていましたが、無理やり十字架を運ばされることを通して、主イエスの十字架を目撃して、クリスチャンになり、その後家族も信仰に導かれたのです。

 イエスと二人の犯罪にはゴルゴタと呼ばれる処刑場につきました。ゴルゴタとヘブル語で「どくろ」を意味しますが、おそらくその辺りの景色がどくろのように見えたのでしょう。ラテン語ではどくろのことをカルバリと言います。2つの材木が組み合わされた後、十字架が地面におかれ、その上に犯罪にが寝かせられて両手首と重ね合わせた足の甲に太い釘が打ちつけられました。そして、あらかじめ横にほってあった穴に入れて十字架を立たせるために、ローマの兵士がローブを使って十字架を起こします。このような風景は、ローマ人はいつも見ていることでしたので、マルコの福音書には詳しいことは書かれていません。その時に、彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしましたが、イエスは飲もうとされませんでした。没薬をまぜたブドウ酒には、痛みを和らげる効果があるので、処刑の前に犯罪人に憐れみとして与えることが習慣になっていました。しかし、主はそれを飲もうとはされませんでした。それは、主イエスがはっきりした意識の中で、人間のすべての罪の罰という大きな苦しみを100%体験するためでした。主イエスは、最後まではっきりとした意識の中で苦しみを味わわれたましたが、それだけでなく、となりの犯罪人のために約束の言葉をかけたり、自分の目の前にいる人々のために赦しを願う祈りをささげたり、最後まで神の子としての働きを全うされました。

 26節には「イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。」と書かれていますが、罪状書きとしては奇妙です。このことについてはヨハネの福音書に詳しく書かれています。「大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」(19章20-22節)ローマ総督のピラトが「ユダヤ人の王」と書いたのですが、これを見たユダヤ教の指導者たちはひどく腹を立て、ピラトに何度も「ユダヤ人の王ではなく、彼は自分をユダヤ人の王と呼んだ」と書いてくれるよう頼んだのですが、ピラトは絶対にゆずらず、「私の書いたことは私が書いたのです。」と言っています。ピラトは、イエスがユダヤ教の指導者たちのねたみによって、十字架にかけられたことを知っていたので、彼らの脅迫に負けてイエスの裁判を投げ出したことを不覚に思い、ユダヤ教の指導者たちには怒りを感じていました。彼は感情的になってこのような罪状書きを書いたかもしれませんが、結果的に、主イエスについて正しい証言をしていることになります。救い主イエスは、私たち人間にとって真の王であり、真の祭司であり、また真の預言者であるからです。主イエスが生まれた時、東の国の博士たちが拝みに来ましたが、彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みにまいりました」と言っています。また、主イエスが十字架にかかるために最後にエルサレムの街中に入られた時、群衆は「ホサナ、祝福あれ、イスラエルの王に」と叫んで迎えています。そして、今、イエスが十字架に掛けられた時も、イエスの頭上には「ユダヤ人の王」という看板が掛けられたのです。不思議にも、ユダヤ教の指導者たちがどれほど、否定しても、つねに、主イエスはユダヤ人の王であると証しされています。主イエスの十字架は、イエスの私たちに対する愛を示すだけでなく、イエスの真実の王様としての権威を表すものでありました。

 午後12時ごろ全地が暗くなって、それが3時まで続きました。この3時間の間、イエスの言葉も、イエスをののしる人々の言葉も何一つ福音書には書かれていません。この暗闇の意味は何でしょうか。1つは神様の悲しみを表しています。この暗闇については旧約聖書のアモスという預言者が預言しています。「その日には、――神である主の御告げ。――わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、すべての腰に荒布をまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。」(アモス8:9,10)神の御子イエスの十字架の死は、一人息子を失った父親のような悲しみを父なる神に与えました。もう一つは、暗闇は神の裁きを表しています。旧約聖書のモーセの時代、ユダヤ人はエジプトを脱出しようとしましたが、エジプト王パロがされを拒否しました。そのために神はエジプトに10の災いを与えましたが、最後の災いの時、暗闇がエジプトを覆って、神の使いがエジプトのすべての家の最初に生まれた子供や家畜のいのちを奪いました。この暗闇の3時間、神様はすべての人間の罪をさばくために、すべての罪をイエスに負わせたました。3時間の間、繰り返し繰り返し、私たち人間の悪い考えや、悪い言葉や、悪い行いの罪が、イエスに鋭い釘のように打ち付けられたのです。このことについて、使徒パウロは次のように言っています。「神は、罪を知らない方イエスを、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)主イエスの十字架とは、父なる神が、すべての人間の罪をイエスに負わせて、その罪をさばいたことを表しています。つまり、主イエスが、私たちの身代わりにとなって裁きを受けてくださいました。いわゆるスケープゴートになられたのです。今、森友問題で、安倍首相夫人付きの谷さんという女性がファックスを送ったことで、すべての責任を谷さんという女性になすりつけているような印象があります。主イエスは、自分から進んで私たちの中にあるすべての悪いものを背負ってスケープゴートになって十字架にかかられました。スケープゴートとは谷さんのように自分に関係ない責任や罪を背負わされる人のことを意味する言葉ですが、もともと旧約聖書に書かれている言葉です。旧約の時代、人々の罪が赦されるために「贖罪の日」という日が決められていました。その日、ユダヤ教の祭司が人々の罪を1匹のヤギに負わせて、荒野に放つということをしていて、そのヤギはスケープゴートと呼ばれました。主イエスは、私たちの罪が赦されるためのスケープゴートになってくださいました。その目的は、私たちが、罪を赦されて新しく生きるためでした。私たちが生きるために、主イエスが自分から十字架にかかってくださったのです。三浦綾子さんの小説に「塩狩峠」というのがありますが、これは実話を基にしたものです。永野信夫という鉄道会社の社員が婚約者に結納を納めるため、北海道の名寄から札幌駅に向かっていました。列車が塩狩峠の頂上にさしかかった時に信夫が乗っていた最後尾の車両の連結器が外れて、その車両が後ろに向かって猛スピードで走り始めました。このままでは車両はカーブを曲がり切れず大事故になることを悟った信夫は乗客のいのちを守るために、レールへ飛び降りて、汽車の下敷きになって命を落としました。享年32歳でした。彼は、他の人のいのちを守るために自分のいのちを犠牲にしました。助かった人々は、永尾信夫に対して一生、恩を感じて生きたことと思います。それと同じように、クリスチャンは、自分のためにいのちを犠牲にしてくださった主イエスに対して感謝をもって生きる者なのです。あなたは、誰のためならいのちを捨てることができますか。また、あなたのためにいのちを捨ててくれる人がいますか。主イエスご自身がある時言われました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)イエスの愛を本当に知る時に、私たちの生き方が変えられるのです。

 イエスが大声をあげて息を引き取られた後、何が起きたでしょう。38節には「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」と記されています。エルサレムにあった神殿の内部は、長さ約30メートル幅10メートル高さ10メートルで、奥の10メートルが最も聖なる場所、手前の20メートルが本堂になっていました。そして、奥の聖所と手前の本堂の間に天上から床まで分厚いカーテンが下がっていました。奥の聖所は神がおられる所と見なされていて、罪を持つ人間は誰一人中に入ることが赦されず、人は中に入ると死ぬと考えられていました。ただ、一年に一度ユダヤ教のトップである大祭司だけが入ることが赦されていました。聖なる神様と罪を持つ人間を隔てていた神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けたのです。人間が自分の力で引き裂こうとしても絶対にできません。それほど分厚かったのです。しかも、人間が引き裂けば必ず下から上に裂けるはずです。この時、神の力が働いてカーテンが引き裂かれました。これは、人間と神とを隔てていたものがなくなったことを意味します。今、私たちは、いつでも、神様に直接祈りによって話しかけることが赦されているのも、当然のことではなく、イエスの十字架の結果であることを忘れてはなりません。 
 主イエスの十字架は神と人との間の隔ての壁を壊しただけではありませんでした。その様子を見ていた人の人生を変えました。主イエスの処刑を最初から最後まで監督していたのはローマ軍のリーダーである百人隊長でした。ピラトの官邸でのむち打ちも、イエスが十字架を担いで歩く場面も見ており、イエスの手足に釘が打たれて、地面に置かれていた十字架が起こされる場面も全部見ていました。それだけでなく、イエスが十字架の上で自分を苦しめている人々のために祈ったのも、目の前に立っていた母マリヤのことを心配していたことも、さらには一緒にはりつけになった犯罪を救いに導いたこともすべて見ていました。そして最後に主イエスが「すべては完了した。」と叫んで息を引き取ったところも見ていました。彼は、旧約聖書について何も知らない人間でしたが、その光景を見て彼の口から出た言葉は、「この方はまことに神の子であった。」という言葉でした。イエスの十字架の死は、見ている人にイエスが誰であるのかをはっきり示していたのです。主イエスはある時にこう言われました。「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」(12:32)イエスの十字架は、イエスを求めるすべての人を引き寄せてくださるのです。

 イエスが「完了した」と叫ばれると暗闇は消えました。闇が消えて光が現れました。イエスの十字架によって、私たちは罪の裁きと罪の呪いから救い出されて、永遠のいのちにいたる世界に導き入れられたのです。

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