2017年8月20日 『一つになって働く』(ネヘミヤ記3章1-8節) | 説教      

2017年8月20日 『一つになって働く』(ネヘミヤ記3章1-8節)

 今から2500年ほど前、ユダヤ人たちはバビロン、現在のイラクに戦争で敗れて、大部分が強制的にバビロンに連れて行かれ、外国の地で生活しなければなりませんでした。しかし、神様が新しい王をバビロンの東のペルシャに起こし、この新しい王によってバビロは滅びました。新しい王クロスは非常に心の広い人物で、ユダヤ人たちが自分の国に帰ることを許可し、そして、エルサレムの神殿を再建するように彼らを励ましました。バビロンにいたユダヤ人たちは大きく3回に分かれてイスラエルに戻りましたが、第一回目の帰還の民たちは、エルサレムの神殿を再建しました。しかし、町を守るための城壁は長い間再建されることがなく、エルサレムの人々は、常に敵の攻撃にさらされていました。そのような状況を知った、ペルシャ王の側近であったユダヤ人のネヘミヤは、エルサレムに戻って城壁を再建することを決心し、王の許可をもらって、エルサレムに戻り、城壁の再建にとりかかりました。

(1)ネヘミヤの働きの目的
 ところで、彼はなぜペルシャでの恵まれた地位や生活を捨ててでもエルサレムの城壁を再建しようと思ったのでしょうか。彼の思いは一つです。それは2章17節の言葉に現れています。「エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」彼は、エルサレムに住む人々が、周囲の民族からののしられていることに我慢ができませんでした。それは、エルサレムがののしられるのは、神様自身がののしられていることと同じだからです。もともとエルサレムはダビデ、ソロモンの王によって築かれた壮大で美しい町でした。詩篇の48篇の1,2節にその美しさが歌われています。「主は大いなる方。大いにほめたたえらるべき方。その聖なる山、われらの神の都において。高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。」シオンの山とはエルサレムのことです。神の都エルサレムは、神の栄光に満ちた麗しい町でしたが、ネヘミヤの時代には、荒れ果ててたままになっていました。彼は、永遠の神の都と呼ばれたエルサレムが周囲の人々からあざけりの的になっていることに耐えられなかったのです。
 ネヘミヤが戻って来るまで、エルサレムに住む人々は、いつ敵が襲ってくるか分からず常に不安を感じていて、自分の家を再建することもせずにいたと思います。そのようは状況が長く続くと、次第に人はその状態に慣れてしまって、希望を失い、エルサレムの町の回復など無理だと思い込むようになります。こんな生活でも仕方がないという心境だったでしょう。そんなところにネヘミヤがやって来て、彼らを励まし、何よりも、神様の栄光のためにエルサレムを再建しようとチャレンジしたのでした。キリスト教の歴史を見ると、信仰のリバイバルは神様は、しばしば一人の人物のビジョンから始まります。ネヘミヤは神様から与えられたビジョンを熱を込めてエルサレムのリーダーたちに語りました。しかも、彼はまだエルサレムに到着して2,3日しかたっていませんが、エルサレムの住民が直面していた困難について、17節で「私たちの直面している困難」と言っています。彼らの問題を自分の問題として考えています。ネヘミヤが訴えたのは、この働きが神から与えられたものであり、神の栄光のためのものであるという点でした。これまでの経緯について述べた時も、ペルシャ王の心に働いてくださった神の偉大な力について、また、一つ一つ神様が必要な考えを与え、導いてくださったことも話しました。それを聞いたエルサレムのリーダーたちの心が動きました。ネヘミヤの信仰とビジョンが彼らを動かしたのです。

(2)ネヘミヤとともに働いた人々
 3章には、ネヘミヤがどのようにエルサレムの城壁を修復工事をしたのか、工事をした場所と、その工事に加わった人々の名前が記されています。工事に加わった人々は様々でした。1節には大祭司エルヤシブとその兄弟の祭司たちの名前が記されています。彼らは宗教の専門家ですから、普段は壁の修理のような仕事はしません。しかし、彼らは、城壁を再建する働きは神様のための働きであると考えたのだと思います。一般の人々も働きました。3章に記されている多くの名前や記事を見ると工事に携わった大部分は男の人ですが女性も働きました。12節を見ると、シャルムという人が自分の娘と一緒に修理をしていると記されています。また、8節には金細工人や香料作りという専門的な技術持った人の名前が記されています。このように見ると、神様のための働きには、工事の素人も専門家もみな、働いていたことがわかります。神様のための働きにはすべての人にその役割があるのです。使徒パウロは、このことを教えるために、コリント教会に送った手紙の中で、教会の中の一人一人のクリスチャンを体の中のいろいろな器官に例えています。1コリント12章6節には「働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。」と記されていますし、27節には「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」と記されています。エルサレムの城壁は、工事に加わった人々がそれぞれ自分に与えられた役割を果たすことによって、再建されて行きました。
 またこの工事には、エルサレムに住んでいる人々だけでなく、近くの町や村に住んでいる人々も、エルサレムにやって来て仕事に加わりました。2節にはエリコの人々が、5節にはテコアの人たちが修理したと書かれています。エリコはエルサレムの東20キロ、テコアはエルサレムの南20キロ離れたところにある町です。自分の家を出て、エルサレムに滞在する場所を見つけて工事をすることは、犠牲が大きかったと思います。自分の家、自分の町で生活するほうがずっと楽ですし安全です。しかし、彼らは、ネヘミヤの言葉を伝え聞いて、神様の栄光のために、自分たちもその働きに加わることを願って、大きな犠牲を払ってでもこの工事に加わりました。
 一方で、工事に加わらなかった人もいました。5節に「テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの主人たちの工事に協力しなかった。」と記されています。さきほど述べたように、エルサレムから20キロ離れたテコアの町の人々も工事に加わったのですが、すぐれた人たちは工事に協力しなかったと書かれています。すぐれた人たちとは、テコアの有力者でリーダーたちでした。彼らは工事の妨害はしていませんが、城壁再建の工事に協力しようとしなかったのです。3章で工事に協力しなかった人として記されているのは彼らだけでした。彼らは自分たちの身分を考えて、肉体労働をすることは自分にはふさわしくないと思ったのでしょう。彼らは、楽な道を選んだのですが、工事に協力することによって得られるあらゆる祝福を受けることができませんでした。テコアの町の人々は、リーダーたちが働かなくても、立派な工事をなし遂げました。そのことが27節に記されています。「テコア人が、突き出ている大きなやぐらに面している所から、オフェルの城壁までの続きの部分を修理した。」
 工事に参加した人々はどのように働いたのでしょうか。たくさんの働きをした人々もいました。例えば、20節にバルクという人について「ザカイの子バルクが、城壁の曲がりかどから大祭司エルヤシブの家の門のところまでの続きの部分を、熱心に修理した。」と記されています。この人だけに「熱心に」という言葉が使われています。この言葉はヘブル語では「燃えた」とか「火が付いた」という意味の言葉です。彼は、文字通り、工事のために心も体もすべてのエネルギーを燃やして壁の修理を行いました。しかしながら、多くの人は自分が住んでたいた家の近くの修理を行いました。10節「ハルマフの子エダヤが自分の家に面する所を修理した」、23節「ベニヤミンとハシュブが、彼らの家に面する所を修理した。そのあとに、アナネヤの子マアセヤの子アザルヤが、自分の家の近くを修理した。」28、29節「馬の門から上のほうは、祭司たちがそれぞれ、自分の家に面する所を修理した。そのあとに、イメルの子ツァドクが、自分の家に面する所を修理した。」これを見て分かるのは、再建工事は、すべての人が同じように働いて行われたのではなく、一人一人が、自分の賜物や能力に応じて働いたということです。大切なことは、みなが、一つになって、神様の栄光のために、エルサレムがそしられないために、その思いで働いたという点です。

(3)修復工事が行われた場所
 城壁の修復工事が行われた場所については、エルサレムの北東の角にあった羊の門が出発点となり、そこから反時計回りに北の壁、西の壁、南の壁、東の壁を回って、最後に羊の門の隣の召集の門までが記されています。恐らく、3章の記録は、工事の公式の記録として書かれたものだと思われますが、この記事からもいくつかのことが学べます。エルサレムはこの地域の大都市であったので、各地からエルサレムに通じる道が作られていました。それで、エルサレムを取り囲む壁には、町の出入りのための門がたくさん作られていました。門といっても、かなり大きく、単なる出入り口ではなく、いろいろな集会や裁判のためにも使われていました。これらの門は木製でしたので、BC586年にバビロンによって町が焼き尽くされた時、門はすべて焼け落ちていました。城壁はくずれ門は焼け落ちていましたが、城壁の修理のためには、崩れたままで放置されている以前の石をもう一度積み上げることで対応できましたが、門は木製で焼け落ちていたので新しい材木が必要でした。それで、ネヘミヤはペルシャ王にお願いをして、国王が管理する森林から材木を提供してもらったのです。
 工事の出発点として羊の門が述べられていますが、文字通り、この門を通って羊がエルサレムに持ち込まれました。その多くは神殿でささげられるためのもので、門は神殿の近くにありました。ネヘミヤが羊の門を最初に記録したのは、エルサレムの町の最も大切な点が、そこに神の神殿が置かれていたことであり、そこで礼拝や、祭司の祈りがささげられていたからでした。教会を建て上げる時も、教会は神様を礼拝するための場所であり、祈りを捧げるための場所であることを忘れてはなりません。また、羊が持ち込まれて、そこで殺されることは主イエスの十字架を暗示しているように思います。教会も同様に、イエスの十字架の意味を第一に伝えて行かなければなりません。
 魚の門は、地中海でとれた魚が持ち込まれた門で、この近くに魚市場があったと思われます。エルサレムは北側以外はすべて谷に囲まれていたので、この門から中に入るのが一番入りやすいため、最も人通りが多い門でした。次は新改訳ではエシャナの門と訳されていますが、エシャナとはヘブル語で古いという意味です。ところが、門を入った町の北西の地域は当時新しい町と呼ばれていました。古い門を通って新しい町に入るとは、私たちの信仰を表しているようです。私たちが信じている神様の教えは何千年もの間変わっていない古い教えです。しかし、それを信じて中に入ると私たちは神の子どもとしてまったく新しい人生に入るからです。
 続いて、谷の門です。エルサレムの西から南にかけてヒンノムと呼ばれる谷がありました。そこから南に回ると糞の門があります。この門は今も残っています。名前の通り、エルサレムの町の中で出たごみや糞がこの門から運び出されて、ヒンノムの谷に投げ入れられていました。衛生上、谷に投げ捨てられたごみは絶えず火で燃やされていたので、谷からはいつも煙が上がっていました。そのため、ヒンノムの谷は地獄と同じイメージがありました。門の名前は美しくはありませんが、この門がなければ、エルサレムはすぐに汚れてしまいます。汚れたものはすぐに外に出さなければなりません。信仰生活にも、糞の門は必要です。心の中にある汚れたもの、罪はすぐに外に出さなければならないのです。
 東に回って泉の門、水の門があります。当時、大都市はほとんどが河の近くにありました。水を確保することが最も重要なことだからです。しかし、エルサレムは山の上に建てられていました。これらの門の近く、町の南東部にシロアムの池という泉があって、それがエルサレムの人々に水を与えていました。この水を町の他の地域に送るために、ヒゼキヤという王様がトンネルを掘ったことが有名です。(2列20:20)泉は、霊的には、いつも聖霊のシンボルとして描かれています。また、エペソ書には、「主イエスがみことばにより、水の洗いをもって教会をきよめる」という言葉あるので水の洗いはみ言葉を表していると言えます。水がなければ人が死んでしまうように、教会にみ言葉と聖霊の働きがなければ、そのいのちが滅んでしまうことを表していると思います。
 城壁の北東部には「馬の門」「東の門」「招集の門」が並んでいますが、最も大切なのは東の門です。この門は、エルサレムの神殿に直結していました。この門を通って主イエスが十字架にかかるためにエルサレムに入ったと考えれています。この門は16世紀にオスマントルコのスレイマン1世によって石で塞がれてしまい、今もふさがれたままで残っています。ユダヤ教もキリスト教も、救い主メシヤはこの門を通ってエルサレムに入ると考えています。そのため、救い主がエルサレムに入るの防ぐために、最初9世紀にイスラム教徒によって閉ざされました。その後、十字軍がエルサレムを取り返した時に一度開かれましたが、16世紀にスレイマン1世がそれを再び閉じた後、この門は今日にいたるまで塞がれたままになっています。聖書は、主イエスがもう一度この世に来られることを繰り返し預言しています。たとえ、この門が閉じられていようと、主イエスは必ずもう一度この世に来られます。主は、1度目は私たちの罪が赦されるために十字架にかかるために来られましたが、2度目は、この世をさばくために来られます。主イエスが再び来られる時、主イエスを信じている者と信じていない者がはっきりと分けられます。私たちは、主イエスがいつ来られても恥じることのないように、日々の信仰生活を続けて行かなければなりません。
 
 ネヘミヤ3章に記された修復工事から教えられることは、1)すべての人の存在と働きは重要であること、2)すべての人には神の働きを行う役割があること、3)一つになって働く時、一人一人の働きを合わせた以上の働きができることです。教会の働きは、まさにこの通りです。有名なサンフランシスコのゴールデンゲートフリッジは巨大な吊り橋ですが、実はたった二本の太いケーブルで支えられています。ただ、その巨大なロープは、それぞれ2万本のケーブルをより合わせて作られているのです。その細いほうのケーブルは一台の車を持ち上げる力があるそうですが、それらがよりあわされて1本の巨大ケーブルになると、あの巨大な吊り橋を支えることができるのです。教会の働きも同じです。1人だけではそれほど大きなことはできないかも知れませんが、よりあわされて一つになる時、神様のために大きな働きをすることができるのです。

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