2017年8月27日 『困難を乗り越える』(ネヘミヤ4:1-9) | 説教      

2017年8月27日 『困難を乗り越える』(ネヘミヤ4:1-9)

 今、ネヘミヤ記を読んでいますが、そこに記されているのは、今から2500年前の出来事です。当時、ユダヤ人たちは、バビロンとの戦争に敗れて強制的にバビロンに移住させられたため、イスラエルの東1000キロにあるバビロンに住んでいました。ところがバビロンがペルシャによって滅ぼされて、ユダヤ人たちはペルシャ王クロスの支配下に置かれましたが、クロス王は非常に優しい王で、ユダヤ人たちがイスラエルに帰ることを許可しました。それで、ユダヤ人たちがイスラエルに帰って行くのですが、イスラエルの都エルサレムは、バビロンによって破壊されたままで、城壁が崩れていたため、敵からたびたび攻撃を受けていました。そのため、町の復興は一行に進まず、そこに住んでいる人々の生活は非常に苦しいものでした。エルサレムの人々は、このような状況を見て「これは運命なんだ」とあきらめていましたが、その状況を知ったのがネヘミヤでしあ。彼はユダヤ人でありながらペルシャ王の側近になるほど有能な人物で、王の側近として宮殿で優雅な生活をしていました。しかし、エルサレムの悲惨な状況を知ったネヘミヤはペルシャでの恵まれた生活を捨てて、エルサレムに行き、エルサレムの城壁を修理することを決意しました。彼がこのような大きな決断をした理由は一つでした。エルサレムは神を礼拝する場所で神殿が建てられた場所です。そのエルサレムが崩れたままになっているのは、神様に対するそしりだ、神様が侮辱されていることだから、神様の栄光を取り戻さなければならない、そういう思いでした。彼は、神様に祈りを捧げ、十分に計画を立ててから行動に移しましたので、ペルシャ王の許可と協力を受けて、エルサレムに向かって出発しました。そして、エルサレムに着くと、エルサレムの住民のリーダーたちを集めて、彼らに向かって、「神様の栄光のために城壁を修理しよう」と訴えたました。すると、彼の話を聞いたエルサレムの人々はネヘミヤの熱意と神様の力を信じる信仰によって「修理をやりましょう」と立ち上がったのです。先週は、エルサレムを取り巻く城壁と門の修理には、たくさんの人々が携わり、一つとなって働いていたことを話しました。一人一人が、自分の力に応じて精一杯働いた力が一つとなると大きな力になりました。それによって城壁の修理は順調に進んで行きました。
 しかし、エルサレムの周囲に住んでいる人々は、この出来事を喜んでいませんでした。特にイスラエル民族の血を半分持っているサマリヤ人たちはエルサレムの復興には強く反対していました。それは、エルサレムが復興することによって、この地域の中の力のバランスが崩れ、サマリヤ人たちがそれまで持っていた力や利益が失われるかも知れないと思ったかったからです。物事が順調に進む時にこそ、私たちは心を引き締めなければなりません。敵は、神の働きが前進することを嫌います。エルサレムの住民が悲惨な状況に慣れっこになって現状のままで生活している時は、敵も何もしませんが、彼らが信仰に目覚め神の栄光のためにと動き始めた時に、敵も活発に動き始めるのです。信仰生活において、人々からの反対があったり困難な状況が起きるのは、言い換えれば、その人が正しい信仰生活を送っていることの証拠でもありますし、またその困難や反対をとおして私たちの信仰が成長するチャンスでもあるのです。神の敵は、困難をもたらして、働きを妨害しようとしますが、神様は、困難をとおして、信仰を持つ人々を建て上げようとします。私たちは、反対や困難を経験すると、どうしてもそれは悪いことのように感じてしまいますが、実は、それは神様が私たちを救いに導くものであったり、私たちの信仰を強めるものであったりもするのです。ロンドンのセントポール寺院の天上に壁画を描いていたソーンヒルという人が、一つのセクションを書き終わったので、後ろに下がって出来栄えを見ようとしました。ところが後ろに下がりすぎて、あと一歩下がれば足場から下に落ちて死んでしまうところでした。その状況に気づいたアシスタントが、いそいで絵筆をとって絵の一部に絵具を塗りつけました。それを見たソーンヒルは、慌てて絵に戻ってアシスタントから筆を取り上げました。絵も守られましたが、何よりも彼のいのちが守られました。人生の困難は、表面的には辛くて喜べるものではありませんが、実は、神様はその困難をとおして、私たちを強くし私たちを守ろうとしておられるのです。

(1)サヌバラテの怒り
 サヌバラテはサマリア人でした。ユダヤ人とサマリヤ人の緊張関係は、BC700年ごろにさかのぼります。当時イスラエルは北イスラエルと南ユダの二つの国に分かれていて、ダビデの時代と比べると勢力を失っていました。BC721年に、北イスラエルはアッシリアに征服されて、この時も、北に住んでいたイスラエルの10の部族の人々の多くがアッシリアに強制的に連れて行かれました。ただ、バビロンと違ってアッシリア王は、人々が少なくなった北イスラエルにアッシリア人や他の地域で捕まえた捕虜たちを連れてきて、そこに住まわせました。この人たちが残っていたイスラエルの人々と結婚することにより、民族の血が混じって、サマリヤ人という人々が誕生したのです。一方南ユダは、BC586年にバビロンによって滅ぼされて、彼らの主だった人々は強制的にバビロンに連れて行かれましたが、バビロンはアッシリアのように、人がいなくなった南ユダに他の地域から人を連れてきて住まわせることをしなかったので、南ユダの人々の血は混血になりませんでした。北に住んでいたイスラエル民族は混血のサマリヤ人となり、南に住んでいたイスラエル民族は純粋な血を保ってユダヤ人となりました。ユダヤ人がバビロンから戻って来た時から、この二つの民族はまったく関係を持とうとしませんでした。特に、ユダヤ人は、サマリヤ人の血は汚れていると非難していました。この関係は、それから400年以上たった、イエス様の時代まだ続いていました。
 エルサレムの復興はサマリヤの将来に非常に大きな影響をもたらすことは明白です。サマリヤ、ユダは、地中海に面していますが、東のバビロンやペルシャと西のエジプトを結ぶ重要な道路がエルサレムを通っていましたので、ダビデ、ソロモン王の時代には、世界各地から人や物がエルサレムに集まっていました。このエルサレムが復興すると、また、エルサレムを中心とした商業が回復し、ユダヤ人がいない間に優位な立場を得ていたサマリヤの経済が大きく傾く危険性がありました。4章の1節にこう書かれています。「サヌバラテは私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。」「怒る」と訳されている言葉はもともと「火をつける」という意味です。昔、怒りっぽい人のことを「瞬間湯沸かし器」と呼んでいましたが、そんな感じの状態です。「非常に憤慨して」と訳されている言葉も強い怒りを表す言葉です。サヌバラテは、エルサレムの城壁が修理されていることを知って強い怒りを覚えました。人が怒ること自体は、悪いことではありませんが、心の中に怒りを抱くと、多くの人は冷静さを失い、破壊的な行動に出ます。今は姿を消しましたが、松居一代さんも、怒りに任せて破壊的な行動を続けていました。箴言には怒りに関する言葉がたくさん書かれています。29章2節には「 怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。」と書かれていますし、16章32節には「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」と記されています。一般のことわざでは「ペンは剣よりも強い」と言われます。言論の力は武力よりも大きい力を持っているという意味です。聖書では、もっとも強い兵士は自分をコントロールできる人だと教えています。世の中には腹が立つことや人がいっぱいいますが、それをなくすことはできません。しかし、周りが変わらなくても、自分が変われば本当の勇者になれるのです。ところが、サヌバラテはそんな男ではありませんでした。ネヘミヤ記の4章から6章までの間に、サヌバラテを中心とした敵から、ネヘミヤたちは9回の妨害を受けます。敵たちはしつように工事の妨害をしました。しかし、どの妨害も成功せず、ネヘミヤたちは52日で、城壁の修復工事を完了することができました。今日は9つの妨害のうちの最初の2つを見てみましょう。1~6節までは「あざけり」という妨害で、7~9節には妨害のための陰謀が記されています。

(2)あざけりという妨害(1-3節)
 反対が起こるというのは、ネヘミヤたちの働きが順調に進んでいた証拠です。反対や妨害は、失敗している時に起きることは少なく、ほとんどが成功している時に起きます。もしネヘミヤたちの修復工事がうまく進んでいなければ、誰もそんな工事に目を留めることはありません。この時も、神様の栄光のためにというスローガンのもと、彼らの働きは順調に進んでいました。ネヘミヤの敵たちが最初に行った妨害はあざけりでした。2,3節を読みましょう「彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」と言った。」あざけりという攻撃は、お金もかからず簡単にできます。そして、意外に相手には強烈なパンチになります。あざけりとは、相手が大切にしていることがまったく価値のないことだと思わせることです。ですから、自分にとって大切だと考えていることほど、人からあざけられると心が傷つきます。私たちは、人間社会で生きているので、無意識のうちに、自分の価値観を周囲の人にも認めてもらいたいという願望があります。自分の価値観が周囲の人間の評価、考えによって左右されるのです。この時に、私たちの信仰が試されます。自分は神様の価値観に立っているのか、周りの人間の価値観に立っているのかというテストです。人々から攻撃されると、私たちは、その言葉に基づいてあれこれ考え始めて、「もしかしたら、あの人の言うことが正しいかもしれない」と思ってしまうことがあります。しかし、人がなぜ、このサヌバラテやトビヤのようにあざけるのでしょうか。この場合、客観的に見て、ネヘミヤがやっていることは正しい方法であり、ペルシャ王の許可も受けていますから、どこにも落ち度や間違っている点はありませんでした。あざけりというのは、まともな議論では勝ち目がない時に用いる手段です。彼らには、あざけっている内容を証明する事実もデータもありません。一匹の狐が登っただけで石垣は崩れるというトビヤの言葉にも、何の根拠もありません。あざけりとは、弱い立場、不利な状況に置かれた人が苦しまぎれに用いる手段であることを私たちも覚えておかなければなりません。私たちが、あざけりの言葉に流されて、神様の導きに対する確信を失ってしまうと、私たちの信仰生活は崩れてしまいます。私たちも人からのあざけりには注意しましょう。

(3)ネヘミヤの対応(4-5節)
 敵からのあざけりに対して、ネヘミヤがとった対応は神様への祈りでした。彼は、サヌバラテやトビヤに対して復讐することもできたのですが、しませんでした。彼は、自分が直面している問題を自分で解決しようとせずに、まず神様のところへ持って行きました。私たちが、誰かからひどいことをされたり言われたりすると、すぐに相手に反撃したくなりますが、相手に反撃することは悪に対して悪で答えることになり、結局、自分を汚すことになってしまいます。だから、私たちは、まず、すべてのことを祈りの中で神様に持って行かなければなりません。この場合、ネヘミヤがサヌバラテやトビヤの言葉にいちいち対応しても、時間の無駄であって、修復工事を遅らせるだけでした。聖書の中で、神様は「復讐は私がすることである」と言われています。ネヘミヤもすべてを主に委ねました。ネヘミヤは敵が罰を受けることを祈っていますが、彼は個人的な復讐を神様に願っているのではありません。サヌバラテやトビヤがあざけっているのは、一人の人間に対してではなく、神の民であるユダヤ人であり、神自身であること、そして、神様が計画し実行に導いておられる働きにたいする侮辱なので、これは神の前に大きな罪であることを訴えています。人の言葉は私たちを傷つけることはできますが、私たちを滅ぼすことはできません。私たちは神様の御手の中に守られていますから。イザヤ書にも繰り返し述べられていますが、神様は、私たちの手を固く握って「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と約束しておられます。敵の言葉について考えすぎると、敵の思うつぼです。私たちがあざけりを受けた時は、ネヘミヤのように神様に祈り、神様に動いてもらいましょう。ネヘミヤたちは、それを実行しましたので、6節に書かれているように、修復工事は順調に進みました。「こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。」

(4)陰湿な陰謀(7-9節)
 順調に工事が進んでいることは周囲の民族に怒りと恐怖を与えました。すると、共通の敵を持つ様々な民族が一つ手を結びました。これによってエルサレムは完全に敵に囲まれてしまいました。7,8節に「ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。」と書かれています。サヌバラテとサマリヤ人たちはエルサレムの北に住んでいます。トビヤはアモン人ですが、彼らはエルサレムの東に住んでいました。アラブ人はエルサレムの南、そして、アシュドテ人は西側の地中海沿岸に住んでいました。アシュドテ人の名前はここで初めて出てきますが、地中海沿岸に住んでいたペリシテ人の最も重要な都市がアシュドテでした。彼らもエルサレムが復興するのを嫌って、この敵の連合軍に加わったのでしょう。このような陰謀に対しても、ネヘミヤは祈りと具体的な対策で乗り越えています。ネヘミヤは敵が簡単には攻撃をあきらめないことを知っていたので、いつも警戒をしていて、いつも神様に祈っていました。しかし、それだけでなく、攻撃されたときの備えを怠りませんでした。9節に「私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。」と書かれています。祈りによってすべての問題を神様に委ねましたが、同時に、神様から委ねられた働きが続くために、一日中見張りを置くという対策を取りました。ネヘミヤのやり方は、神様にしかできないことは神様に委ねて、自分でできることは十分に備えをして実行することでした。マルチン・ルターは言いました。「すべては自分の肩にかかっていると思って働きなさい。そして、すべては神の肩にかかっていると信じて祈りなさい。」信仰生活というのは、このように自分と神様とが力を合わせて生きることなのです。
 

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