2018年3月18日 『イエスをののしる人々』  (マルコ15:16-32節) | 説教      

2018年3月18日 『イエスをののしる人々』  (マルコ15:16-32節)

 主イエスが十字架で受けた苦しみは、映画でも何度も描かれていますが、本当にひどい苦しみでした。十字架による処刑はBC4世紀ごろにペルシャで始まったと言われていますが、主イエスの時代、何万人もの人々が十字架刑を受けていました。しかし、主イエスにとって、十字架刑で受ける肉体的な苦しみは問題ではありませんでした。イエスは、弟子たちとの最後の晩餐を終えると、エルサレムの町の東側にあったゲッセマネの園と呼ばれたオリーブの木が植えられた庭に弟子たちと一緒にお祈りに行かれました。その時に、主イエスが十字架にかかる前に父なる神に向かって祈りをささげられました。「父よ。どうぞ、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを行ってください。」(14:36)この時、主イエスは自分の気持ちをそのまま言い表されたのですが、「この杯を取り除けてください」と言っておられます。「この杯」とは、十字架にかかることによって、自分が神から引き離されてしまう苦しみのことを指しています。この杯には、私たちすべての人間の罪に対する神の怒りが満ち溢れていて、イエスは、私たちの身代わりとして、私たちの罪に対する神の怒りの裁きを受けようとしていたのです。イエスにとって、十字架の苦しみよりも、父なる神から引き離されることのほうが遥かに大きな苦しみでした。このことは、私たちにも当てはまります。人間は誰しも一度死にますが、死が本当に恐ろしいのは肉体的苦痛ではありません。人が罪を赦されないままで死ぬと、神のさばきを受けて、神から永遠に引き離されてしまうことが恐ろしいのです。イエスは、その恐ろしさを私たちに代わって受けてくださいました。罪のない聖なる神の御子イエスにとって罪のさばきを受けることがどれほどの苦しみなのか想像することができませんが、御子イエスの自然の思いとしてはその杯を取り除いてもらうことでした。しかし、イエスははっきり言われました。自分が願うことではなく、父のみこころのままに行ってくださいと。主イエスは、自分の自然の思いを捨てて、父なる神のみこころに従って十字架の道を進んで行かれました。

(1)ローマの兵士たちからのののしり
 裁判の判決を下す権威を持っていたローマ総督ピラトは、イエスには十字架刑に値する罪がないことを知っていましたが、群衆が暴動を起こすことを恐れたため、群衆の機嫌を取るためにイエスを十字架にかけることを許可しました。それで、ピラトは、イエスをムチ打ってから、ローマの兵士に引き渡しました。主イエスは、逮捕されて大祭司の家に連れて行かれた時に、そこでもつばを吐きかけられたり、こぶしで殴られたり、平手で打たれたりしていましたので、イエスの顔はボクシングの選手のようにみじめな姿になっていました。ローマ帝国で使われていたムチは、皮ひもの先に金属の玉や動物の骨がつけられていましたので、イエスの背中も引き裂かれて肉がみえるほどになっていました。そんなイエスを、ローマの兵士たちは総督ピラトの官邸の中に連れて行きました。彼らは全部隊を集めると、イエスの罪状が自分をユダヤ人の王と呼んだことだったので、彼らはイエスに王様の恰好をさせました。王様が着るガウンはいつも紫色でした。彼らはイエスに紫色の服を着せ、頭にはローマ皇帝がつけていた月桂樹の冠の代わりに茨の冠をかぶらせました。そして、「ユダヤ人の王バンザイ」と言って、イエスの前でうやうやしく挨拶したり、頭をたたいたり、唾を吐きかけてイエスを徹底的にあざけりました。この様子は」旧約聖書のイザヤ書に預言されていました。「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。」(50章5,6節)ローマの兵士たちは、さんざんイエスをあざけった後で、紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せてから、イエスを十字架にかけるために、ピラトの官邸から外へ連れ出しました。旧約聖書の律法によって、大きな罪を犯した者を処刑する場合には、人々が住む町の外側で行わなければなりませんでした。(民15:35)それで、イエスの十字架刑は、当時のエルサレムの街の門を出た外側で行われました。そこがヘブル語で「ゴルゴダ」と呼ばれた場所で、その意味は「頭蓋骨」でした。ゴルゴダを、ローマ帝国の言葉ラテン語に訳すと「カルバリ」となります。ですから、讃美歌などで、十字架のことをカルバリと言われることがあるのです。

(2)イエスの処刑を行った人々
 十字架刑を受ける犯罪人は、十字架の横木を自分で運ぶことになっていました。ですから、主イエスも、ピラトの官邸を出た時には、思い木材を抱えて歩き始めました。しかし、主イエスは、前の晩に一睡もしていませんし、これまでに何度も背中にムチを打たれたり顔を殴られたりして、かなり出血していたはずです。そんな体で粗く削られた木材を背中に担いでいましたので、主イエスは道の途中で力を尽きて倒れこんでしまいました。イエスを早く処刑場に連れて行くために、ローマの兵士は、十字架の横木を、たまたまそばにいた人間に負わせることにしました。15章21節に「アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」と書かれています。クレネ人シモンという人が主イエスに変わってゴルゴダの丘まで横木を運ぶことになりました。クレネとは、北アフリカの現在のリビア地方にあった大きな港町で、当時はその地方の貿易の中心地でユダヤ人のコミュニティーもありました。したがって、シモンはユダヤ人で、過越しの祭りに参加するためにクレネからエルサレムに来ていたのだと思います。彼にとっては、突然のことで、びっくりしたでしょうし、「何で自分が担がなければならないんだ」と不満を感じていたかもしれません。これは偶然の出来事のようですが、ここにも神様の御手が働いていました。この福音書を書いたマルコは、イエスの弟子ペテロの通訳だった見なされている人物で、福音書を書いたころはいつもペテロと一緒にいました。ペテロは晩年、迫害の激しいローマ教会を指導していました。そのため、マルコの福音書は、ローマにいた異邦人クリスチャンのために書かれたものだと考えられています。21節でマルコはクレネ人シモンのことを「アレキサンデルとルポスの父」と書いていますが、この2人のことについて何も説明をしていないのを見ると、この福音書を読んだローマのクリスチャンはアレキサンデルとルポスのことをよく知っていたと思われます。その証拠として、使徒パウロがローマの教会宛に書いた手紙の終わりの個人的な挨拶の部分に、ルポスという名前が出てくるのです。ローマ16章13節に「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」と書かれていますが、このルポスとクレネ人シモンの息子は同じ人物だと考えられています。パウロは彼のことを「主にあって選ばれた人」と呼んでいますから、きっと、このルポスはローマ教会で良い働きをしていたのでしょう。また、ルポスの母親については、「彼と私の母によろしく」とパウロは言っていますが、もちろん、パウロとシモンは親戚ではありませんから、ルポスの母親、つまりクレネ人シモンの妻は、パウロにとって自分の母親のように大切な人であったと思います。シモンにとって最初はいやだなと思う出来事でしたが、彼はゴルゴダの丘まで横木を運び、イエスが処刑される場面を近くで見ていたはずです。その後、彼は信仰に導かれ、彼の家族もみな主イエスを信じるようになり、最後にはローマの教会で大きな働きをする家族になっていたのです。このように主イエスとの出会いは、私たちの人生を大きくかえる力があります。
 ローマの兵士たちと主イエスはゴルゴダの丘に到着しました。その正確な場所は分かりませんが、エルサレムの城壁の外にあった丘でした。その形が頭蓋骨に似ていたので、ゴルゴダと呼ばれていました。ゴルゴダの丘に着くと、ローマの兵士が没薬をまぜたぶどう酒をイエスに飲ませようとしました。没薬には少し麻酔薬のような働きがありました。十字架の苦しみを和らげるために、処刑する人間の憐れみの心から、死刑囚にこのような飲み物を飲ませることが習慣になっていましたが、主イエスは、私たちの身代わりとなって私たちの罪を全部背負って、罰を受けることを目的としておられたので、はっきりとした意識を持って苦しみを味わうために、その飲み物を受け取られませんでした。十字架では、人はすぐには死にませんが、あまり長い時間生きたままでいることのないように、最初に死刑囚にムチを打って体を相当弱らせてから、はりつけにしていました。両手と足首に太い釘が撃ち込まれました。十字架にかけられた人の一般的な死因は窒息死です。体十字架に張り付けられた状態では、横隔膜が圧迫されて息ができなくなります。それで人は息をするために体を引き上げようとしますが、体重が手と足首の釘の部分にかかり、また、ムチ打ちでただれた背中が十字架の木でこすられて激しい痛みを感じます。このようにして徐々に体力を失って、人は窒息して死ぬのです。

(3)周囲の人々からのののしり
 主イエスが十字架にかけられたのは午前9時でした。はりつけにされた人間の頭上にはその人の罪状が書かれた板がつけられるのですが、イエスの場合は、「ユダヤの王ナザレ人イエス」と、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語で書かれていました。ユダヤ教の指導者たちは、イエスについて様々な訴えをしていました。先週お話したように、ピラトに訴える時には、国民を惑わし、ローマ皇帝に税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言ったという3つの点を挙げていましたが、それ以外にも、「神殿をこわして、三日のうちに手で造られない別の神殿を作る」と言ったとか、民を扇動しているとか、自分を神の子としたと訴えています。この中で真実なのは、最後の自分を神の子としたということだけです。しかし、ピラトは、「ユダヤの王」という言葉を敢えて選びました。ユダヤ教の指導者たちは、それを嫌ってピラトに書き換えるように頼みましたが、彼は決して書き換えようとしませんでした。これは、自分の意志に反してイエスを十字架にかけるように自分を脅迫した彼らに対するピラトの意地、あるいは復讐であったのだと思います。
 27節には、「また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。」と書かれています。「強盗」と訳されている言葉は、普通の泥棒ではなく、村などを襲って人や物を略奪していく盗賊を指す言葉です。ルカの福音書23章19節には、「バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで牢に入っていた者である。」と書かれているので、この二人は、バラバと一緒に暴動を起こしたために十字架による死刑を宣告されていたのかもしれません。実は、このことは旧約聖書に預言されたいたことでした。イザヤ書53章9節に「彼の墓は悪者どもとともに設けられる」と書かれているからです。この十字架の処刑は、肉体的な苦しみも大きいのですが、それに加えて、人前で自分が苦しみながら死んでいく姿を通りすがりの人々に見られるという大きな恥と屈辱を与える処刑でした。ローマ帝国がわざと十字架を人通りの多い道のそばに立てたのは、人々に、ローマ帝国に逆らうとこのようなみじめな死に方をするのだというメッセージを伝えるためでした。そのため、29,30節を見ると、十字架の前を通り過ぎた人々がイエスに向かってののしっています。彼らは頭を振りながらののしっていますが、頭を振るというのはユダヤ人が憎しみや軽蔑を表す時に行う仕草でした。十字架のそばを通り過ぎた人々の中には、つい数日前の日曜日に、主イエスがロバに乗ってエルサレムの城壁の中に入られた時に、イエスを熱狂的に迎えた群衆の一人であった人も数多くいたと思います。人間の心の変わりやすさは、本当に恐ろしいほどです。31節では、ユダヤ教の祭司長たちや律法学者も、十字架にかけられて苦しんでいるイエスに向かって冷たい言葉でののしっている姿が描かれています。彼らは宗教者であり、旧約聖書の教えを知っている人たちです。イエスが教えられた最も大切な戒めの一つが「自分の隣人を自分自身のように愛しなさい。」というものですが、これは旧約聖書からの引用でした。旧約聖書は隣人を自分自身のように愛せよと教えているにもかかわらず、これらの人々がイエスをののしっていることにも人間の心の恐ろしさを感じます。彼らは主に向かって「たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」と言っています。彼らは主イエスが行われた奇跡を何度も見ていたはずです。確かに、主イエスは神ですから、この時、神の力を使えば十字架から下りて自分を救うことは簡単にできたはずです。しかし、もし主がここで十字架から下りていたら、私たちが罪から赦される道はなくなってしまうのです。主イエスは、私たちを罪の裁きから救い出すために自分を救うことを拒否されたことを忘れてはなりません。
そして、32節の最後に「また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。」と書かれています。イエスの両側で十字架にはりつけにされた二人の強盗も、通行人や、ユダヤ教のリーダーたちと一緒になって主イエスをののしりました。彼らも、イエスと同じように十字架にかけられている犯罪人であるのに、主イエスをののしっていました。このような人々の罵りに囲まれていた主イエスが十字架で最初に言われた言葉が「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」という祈りの言葉でした。このように根深い人間の罪の許しを求める祈りの言葉でした。神様の愛と恵みが満ち溢れた祈りでした。イエスのこの祈りが、隣で聞いていた強盗の心を突き刺しました。彼は、これまで自分の心を固く閉ざしていましたが、イエスの赦しの祈りによって、固い心が開かれて、自分がこれまで犯してきた様々な罪を思い出して神の前に悔い改めました。そして、死が目前に迫っている苦しみの中で主イエスに言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」すると、主イエスはすぐに彼に応えられました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」この強盗は社会的に見れば赦されるはずのない人間です。彼は赦される資格のない人間でした。また、神の赦しを受けるためにもう彼には何もすることができませんでした。彼もそのことを知っていましたので、主イエスに「あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」としか言えなかったのです。しかし、人間は良い行いよって救われるのではありません。神の恵みによって救われるのです。主イエスの言葉は、「あなたが、今そのような心を持っているなら、今、この瞬間、あなたの罪は赦され、私と一緒に地上からパラダイスへ行くのだ。」と約束してくださいました。使徒パウロが言っているように、救いは100%神様から受け取るプレゼント、賜物なのです。

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