2018年4月1日 『イエス・キリストの死と復活』(マルコ15章42節~16章8節) | 説教      

2018年4月1日 『イエス・キリストの死と復活』(マルコ15章42節~16章8節)

 主イエスは、金曜日の午後3時、「完了した」そして「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と大声で叫んで息を引き取られました。普通、十字架にかけられた人間は最初のうちは苦しみのあまり叫び声をあげますが、そのうちに力を失い、何も言葉を言わないまま死んで行きます。しかし、主イエスは最後の力を振り絞って大きな声で「完了した」と叫ばれたのです。これは絶望の叫びではなく、勝利の宣言でした。主イエスは、私たちの罪が赦されるために、私たちの罪のすべてを自分の身に負って罪の裁きを受けてくださいました。その刑罰を最後まで味わって、完了したと叫ばれたのです。この様子をすぐ近くで見ていたローマ軍の百人隊長は、イエスの最後を見て言いました。「この方はまことに神の子であった。」しかし、主イエスの十字架の死から大きな影響を受けた人物は他にもいました。それが、アリマタヤという地方出身のヨセフという人物でした。15章43節に「ヨセフは有力な議員であり」と記されているので、イスラエルの最高機関である、70人で構成されたサンヘドリンという議会のメンバーであったことが分かります。彼は国会議員でした。しかも、主イエスを処刑にするのを決めたのがサンヘドリンでした。彼は、「みずからも神の国を待ち望んでいた。」と記されているので、他の議員には隠して主イエスを信じていました。サンヘドリンの決議は全員が賛成しないと決められないことになっていたので、おそらくヨセフは、主イエスの裁判には欠席して、大祭司や他の議員たちの計画や陰謀には加わらなかったと思います。43節を見ると、その、隠れキリシタンのようなヨセフがローマ総督ピラトに主イエスの遺体の取り卸しの許可をもらいに行きました。これは、彼にとって、人生を左右する出来事です。もし、自分が十字架で処刑されたイエスの味方、仲間だと見られると、国会議員でいることはできません。しかしアリマタヤのヨセフは、主イエスの最後の姿を見た時に、これまでの隠れた信仰から抜け出して、堂々と公の場で自分の信仰を言い表す人へと変えられたのです。

 ユダヤでは、一日は日没から始まります。今、金曜日の3時過ぎですが、6時ごろの日没とともに安息日に入ります。安息日は、原則として、仕事をすることができなかったので、ヨセフは急いでピラトに許可をもらいに行きました。旧約聖書の律法には、「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。」と決められていましたので、ヨセフは自分が遺体を引き取ろうと決心したのでした。そして、そのためには、日没までにはイエスの遺体を墓に埋葬しなければなりませんでした。もし、間に合わないと、安息日にユダヤ人はいっさいの仕事をしないので、ユダヤ人はイエスの遺体を下ろすことはできません。その場合、ローマの兵士がイエスの遺体を取り下ろすことになりますが、普通、犯罪人の遺体はエルサレムの南側にあったヒンノムの谷に投げ込まれていました。そこはゴミ捨て場にもなっていたいつも火が燃えていて谷から煙が登っていました。もし、イエスの遺体が谷に投げ込まれると、誰もイエスの遺体を見分けることができず、イエスが確かに死んだことを確認することもできなくなります。すると、イエスが死んで葬られたことが証明できないので、主イエスの復活も証明できないことになるのです。
 46節に「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。」と書かれています。ヨセフはイエスの遺体を丁寧に埋葬したいと思っていました。それで、イエスの遺体についた血をきれいにふき取って、亜麻布できれいに包んで、自分のために準備していた墓の中に遺体を納めました。現在、エルサレムの北側に、当時の墓と思われるものが発掘されています。その墓の中は広くて、4畳半ぐらいの広さで二つに分かれています。入り口を入ったところは遺体の処理をする場所でした。そして、その隣が遺体を納める場所で、床の上に遺体を納めるために石で仕切りのようなものが作られています。そして、入り口の外には石でレールのようなくぼみが作られていて、大きな石の蓋を転がして入り口をふさぐようになっていました。イエスの遺体がヨセフの墓に納められる様子を、祭司長やパリサイ人も見ていました。それで、彼らは、ローマ総督ピラトのところへ行って、「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」と言って、墓の前にローマの兵士の見張りを置くように頼みました。それで、ヨセフの墓の前にはローマ兵が見張っていました。この間、イエスの弟子たちのことは福音書のどこを見ても何も書かれていません。弟子たちは、イエスの十字架の死を見て絶望し、また、ユダヤ人からイエスと同じ目に合わされるのではないかと恐れて、どこかに隠れていたものと思われます。すべては終わって、何事もなかったかのように安息日は過ぎて行きました。
 イエスの十字架の死はクリスチャン信仰の中心ですが、三日目の復活がなかったら、イエスの十字架はまったく意味のないものになってしまいます。パウロが言ったように、もしキリストの復活がなかったなら、私たちの信仰はむなしく、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。しかし、確かに、主イエスは死から復活されました。そのため、クリスチャンたちは、すぐにイエスが十字架にかかられた金曜日ではなく、主イエスが復活された日を記念して日曜日に礼拝を捧げるようになりました。聖書は、主イエスを信じる者に、すべての罪が赦されて神の子どもとして生きることだけでなく、死んだ後も、神と共に永遠い生きる者となることが約束され、さらに、最後の時には、主イエスと同じように新しい栄光に満ちた復活の体が与えられることが約束されています。

 日曜日、週の初めの日の早朝に、主イエスを慕っていた女性たちがイエスの遺体が納められた墓に向かいました。彼女たちも、主イエスの遺体がアリマタヤのヨセフの墓に納められるところを見ていました。彼女たちは、主イエスの傷ついたからだを洗い、殴られて血だらけになっていたイエスの顔をきれいにして、自分たちで良い香りのする香油を塗りたいと思っていたのです。彼女たちはそれが自分たちにできるイエス様のための最後の働きと考えていたのでしょう。彼女たちが墓に近づいた時、ふと思い出したのが、墓の入り口が大きな薄い岩でふさがれているということでした。3節にはこう書かれています。「彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。」本当なら、家を出る前にこのことを考えておかなければならなったのですが、彼女は主イエスのためにできる限りのことをしたいという思いがいっぱいで忘れてしまっていたのでしょう。ところが、彼女たちが墓についてみると、その心配が無駄であったことが分かります。墓の入り口をふさいでいた大きな石が転がされていたからです。彼女たちはびっくりすると同時に恐ろしくなりました。他の福音書を見ると、彼女たちは誰かがイエスの遺体を盗んで行ったのだと思っています。だれも、この時点で、主イエスが復活することをまったく考えていなかったことが分かります。マタイの福音書には、その日の朝早く、この地域に大きな地震が起こり、その時に、み使いが下りてきて石をころがしたと書いてあります。(28:2) み使いが石を転がした理由は、中にいる復活したイエスを外に出すためではありません。復活後の主イエスに関する記事を見ると、主イエスの体は私たちと同じ体ではなく、栄光の体に変わっていたことが分かります。主イエスの行動は、復活前は私たちと同じでしたが、復活後は変わっています。扉を閉じて隠れていた弟子たちの所に、壁をすり抜けて主イエスが部屋の中に入ってきました。また、エマオという村にいた時には、突然、2人の弟子たちの前から姿を消しました。大きな石が転がされていたのは、主イエスが外に出るためのものではなく、女性や弟子たちが墓の中に入るためであり、墓が空であることを証明するためでした。主イエスの復活を証明する決定的な証拠がイエスの墓が空っぽであるということでした。イエスに敵対していた人々は、イエスが死んで三日目に復活すると言っていたことを覚えていたので、イエスの遺体が盗まれないようにとローマ兵の見張りを置いていました。この時のイエスの弟子は11人、みな自分たちが襲われることを恐れて隠れていました。どう見ても、弟子たちが自分の力でイエスの遺体を盗む出すことは不可能です。弟子たちと比べるとユダヤ教の指導者たちやローマの兵士たちのほうが圧倒的に力がありました。たとえ弟子たちが遺体を盗んだとしても、すぐにそれは見破られていたはずです。しかし、だれもイエスの遺体を見つけることができませんでした。また、もし弟子たちがイエスの遺体を盗んでイエスが復活したと宣言したとのだしたら、弟子たちはどれだけ得になることがあるのでしょうか。2000年前の人間にとっても死んだ人が復活することはありえないことです。他のユダヤ人を恐れて隠れていたような弟子たちが、自分たちさえ信じていなかったキリストの復活を、偽りだと分かっていながら、どうして大胆に人々に語ることができるでしょうか。どう考えても不思議です。弟子たちは復活のイエスと出会って変わりました。主イエスの十字架と復活を人々に伝えるためにいのちを捨てる弟子たちもいました。そして歴史はそのように動き、ローマ帝国が300年近くキリスト教を滅ぼすためにありとあらゆることをしましたが、イエスの十字架と復活のメッセージがローマ帝国に勝利し、ローマ皇帝自身がキリストを信じるようになりました。このような状況を見ると、すべて作り話の結果とはどうしても考えられません。

 女性たちが墓の中に入ると、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっていました。彼女たちは、この青年のまばゆいばかりの姿を見て、神から送られたみ使いだと分かったと思います。彼女たちは非常に驚きました。ただ、マタイの福音書によると、み使いを見たローマの兵士たちは驚きのあまり震えあがって死人のようになったと書かれていますが、彼女たちは驚いて気絶したのではなく、そのメッセージから希望と慰を受け取りました。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」このみ使いの言葉はルカの福音書では少し女性たちを叱っているような口調で語られています。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。」主イエスは地上で働いておられた時に繰り返して自分が苦しみを受けた後に復活すると語っておられました。彼女のたちは、み使いの言葉を聞いてイエスから聞いていたことを思い出しました。彼女たちは、み使いから「ここがあの方の納められた所です」と言われたので、その場所を見ました。マルコの福音書には書かれていませんが、そこには、イエスの体と頭を巻いていた亜麻布が巻かれたままになって残っていました。もし、誰かがイエスの遺体を盗んだとしたら、わざわざ巻いていた布をほどいて、またそれをきれいに体の形のように巻き戻すということなどしません。み使いは女性たちに言いました。「行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」この時、み使いは弟子たちとペテロに言いなさいと言われました。ペテロだけを特別に扱っています。それは、ペテロが12弟子のリーダーであったこともありますが、ペテロは主イエスが捕らえられた時、周囲にいた人々から「あなたも仲間だろう」と言われた時に怖くなって自分を守るために3回繰り返して「イエスを知らない」と答えるという大きな失敗をしていたからです。神様は落ち込んでいたペテロに配慮しておられます。み使いのメッセージを聞いた女性たちは、墓から逃げて行きました。8節には「すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」と書かれています。彼女たちはイエスの墓を出て弟子たちのところへ行きました。彼女たちはだれにも何も言わなかったと書かれていますが、イエスの弟子たち以外には誰にも何も言わなかったという意味です。マタイの福音書を見ると、「彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。」と書かれています。(28:8) この後、主イエスは弟子たちにも現れてくださり、ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たちも、落胆から立ち上がり、いのちをかけて主イエスの十字架と復活を人々に大胆に宣べ伝える者となりました。主は今も生きておられます。今も生きておられる神様だからこそ、私たちはこの時代を生きる時に神から力や助けを受けることができるのです。激しい迫害に会っていたローマの教会のクリスチャンに使徒パウロが手紙を書きましたが、彼はこう書いています。「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(8:37-39)主イエスは今も生きておられます。だから、私たちは恐れずに明日に向かって進み続けることができるのです。

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