2018年4月15日 『放蕩息子』(ルカ15章11~24節) | 説教      

2018年4月15日 『放蕩息子』(ルカ15章11~24節)

 ルカの福音書15章には、主イエスが語った3つの有名なたとえ話が記されていますが、先週お話したように、主がこれらのたとえ話を語るきっかけになったのは、主イエスの話を聞こうとして、取税人や罪人たちが集まって来たことでした。主イエスは彼らと食事を取られたのですが、その様子を見て、彼らは主イエスを批判しました。彼らが主イエスを批判したのは、彼らが神様の心を理解していなかったからです。それで、主イエスは彼らに神の心を教えるために3つのたとえ話を語られたのです。へブル語では、強調する時に一つの言葉を3回繰り返します。主イエスがここで、同じテーマで3つのたとえ話を繰り返されたことから、このたとえ話が教える真理が非常に大切であることを示していると思います。このたとえ話は「放蕩息子のたとえ話」と呼ばれます。主な登場人物は父親と二人の息子です。兄はまじめな人間で弟は自己中心でわがままな息子です。このたとえ話には2つのポイントがあり、弟の話と兄の話が出て来ますが、今日取り上げるのは父親と弟息子の話です。次回は父親とまじめな息子の話を取り上げます。今回の話の中で、父親は神様を表し、わがままな息子は神を信じないで生きる人間を指しているのですが、この話の主人公が誰かというと、実は、わがままな息子ではなく、父親です。この父親の心が神様の心であることを主イエスはパリサイ人や律法学者たちに伝えたかったのです。

(1)わがまま息子の生き方とその結末(11-16節)
 11,12節を読みましょう。「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。」ある人は非常に裕福であったと思われます。二人の息子は父親のもとで幸せに暮らしていました。きれいな服を来て、食事も豊かでした。しかし、弟は親のもとでの生活に満足していませんでした。父親には財産がありましたが、彼にはその財産を使うことができません。父親がなくなった時に、その財産をゆずり受けるのですが、彼はその時を待つことができず、今すぐに親の財産を手に入れたいと思いました。親の束縛から自由になりたかったからです。しかし、この弟がしたことは、ユダヤ人の社会では、非常識なことでした。モーセの十戒には神様に関する戒めと人間関係における戒めとがありますが、人間関係に関する最初の戒めは「あなたの父と母を敬いなさい」という戒めです。子どもにとって親は敬うべき存在です。弟はまだ生きている父親に向かって「早く、俺がもらえる財産を分けてくれよ。」と言いました。息子からこう言われた父親はどう思ったでしょう。普通に考えると、父親は息子をしかりつけて、息子の要求には答えないでしょう。しかし、12節を見ると、父親は、弟の願いを聞き入れて、兄と弟に、自分がこれまで蓄えてきた財産を全部分けてやりました。これは決して簡単な決断ではありません。父親には息子が財産を失うことは分かっていたことでしょう。しかし、弟がこの経験から非常に厳しい教訓を学び取ることが必要だと父親は思ったのかも知れません。父親は息子に言われるまま財産を分け与えました。
 13節を読みましょう。「 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。」弟息子は、父親の財産が手に入ったので大喜びです。早く父親の束縛から逃げたいと思って、彼はすぐに荷物をまとめて、遠い国に行くために家を出ました。「遠い国」に行ったというところに弟の父親に対する心が現われています。できるだけ父親から離れたかったのです。アメリカで家出をするティーンエージャーの60%はごく普通の家庭の子供だそうです。特に親から虐待を受けているわけではなく、ただ家を出るのだそうです。しっかりした家庭の中で育っても、家での生活に満足できず、家を離れればもっと心が満たされる生活ができると考えるのでしょう。この弟も家での生活がとても恵まれたものであったのに、そのことにまったく気が付かず、幸せは遠い国にあると思っていました。そして、遠い国で父親からもらった財産を、放蕩して湯水のように使って、あっと言う間に財産を使い果たしてしまいました。「放蕩して」と訳されている箇所は、ギリシャ語では「人を滅ぼすような生活をして」という意味を持っています。彼のお金の使い方は彼の魂を生かす生活ではなく、彼の魂を滅ぼすような生活でした。
 弟は、自分が住みたいと思っていた場所に来て、自分がやりたいと思った生活をしたのですが、それによって彼は生き生きと生活したのではなく、自分を破滅に追いやる生活をしていたのです。聖書の中に、「人は自分が蒔いた種を刈り取ることになる」という言葉がありますが、彼は自分で選んだ生き方によって、その結末を刈り取ることになりました。14節に「何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。」と書かれています。弟は明日のことを十分に考えずに、その日その日に無駄遣いをして生活をしていたのですが、そのような時にひどい飢饉が彼が住んでいた地方を襲いました。昔は、天候の変化に対して十分な備えが出来ていなかったため、よく飢饉が起こりました。創世記を見ても、アブラハムも、その子供のイサクも、その子供のヤコブも皆、ひどい飢饉を経験しています。飢饉が起きたことで、彼は人生で初めて貧しさを経験しました。彼は食べるものがなくなり、空腹で苦しむようになりました。15節には「それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。」と書かれています。この弟は困り果ててしまいましたが、誰も彼を助けようとはしませんでした。彼がお金を湯水のように使っていた時には、きっと、大勢の人間が彼に付きまとっていたと思います。しかし「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるように、彼に金がなくなると、皆、彼の前から姿を消しました。彼は、この時、自分の家に帰ることも出来たはずですが、父親の財産を奪って家を出てきた手前、家に帰ることができませんでした。それで、仕方なく、彼はある人に助けを求めました。しかし、その人は、彼を畑にやって豚の世話をさせました。ユダヤ人にとって豚は汚れた動物で彼らは豚肉を食べません。しかし、ここは外国なので、この地方の人々は豚を食べていたのでしょう。弟は、ユダヤ人にとって、もっとも恥ずべき仕事をすることになりました。しかし、それでも、彼の空腹は満たされることはありませんでした。彼は豚が食べるいなごまめさえ食べたいと思うほどでした。そんな悲惨な状況に陥ってしまった弟でしたが、16節を見ると、彼を助けよう当する人は一人もいませんでした。彼は自分が蒔いた種を刈り取っていました。彼は父親を見捨てましたが、今彼は人々から見捨てられていました。家族のことなどまったく心配していませんでしたが、今、彼を心配してくれる人は誰一人いませんでした。彼は欲しいと思っていた財産を手に入れましたが、持っていたものをすべて失いました。父親に逆らって自由になろうと思って遠い国に来た弟は、まったく独りぼっちになっていました。

(2)我に返ったわがまま息子(17-24節)
 父親に反抗して家でした弟は、人生のどん底に落ち込んでしまいました。しかし、彼の人生はここで終わるのではありませんでした。17節で彼の人生は大きく変わります。17節に「我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。』」と書かれています。「我に返った」と訳されているところは英語でもギリシャ語でも「自分自身に戻る」という表現が使われています。言い換えれば、父親から離れた後の彼は本当の自分ではなかったという意味です。そのために、彼の中には神のかたちに造られた人間として良いものがたくさんあったのに、彼はそれをゆがめて生きていたのです。彼は、どん底に陥った時に、ようやくこれまで自分のしてきたことが何であったのか気が付きました。自分の家での生活が恵まれていたこと、父親の存在が大切なものであったこと、自分が間違ったものを追い求めていたこと、自由でハッピーになりたいと思っていたのにどん底に落ち込んでしまったこと、すべてが父親のもとを離れたことから起きたことだということに気が付きました。それは、彼が自分でそう思ったこともありますが、神様が彼にそのような気付きを与えてくださったとも言えるでしょう。神様は、今も、聖書の言葉をとおして、ほかのクリスチャンの言葉をとおして、あるいは自分を取り囲む状況をとおして心に語ってくださいます。その心の声に耳を傾けることが非常に大切です。彼は、自分が間違った生き方をしてきたこと、今のままの生活を続ければ自分はだめになってしまうこと、今こそ自分の生き方を変えなければいけないこと、このことを示されました。
 そこで、彼は決心します。「立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』(18-19節)ここで大切なのは「立って」という言葉です。彼が17節の我に返って、自分の愚かさに気が付いたところで終わっていたとすれば、彼の人生は何も変わらず滅んで行ったことでしょう。彼は自分のそれまでの生き方を悔い改めたのです、本当の悔い改めには行動が伴います。この時の弟にとっては、今の生活から抜け出して父親のもとへ帰ることが必要でした。20節にも「こうして彼は立ち上がった」と書かれています。彼は自分の過ちに気が付いて悔い改めた時、すぐに立ち上がりました。すぐに立ち上がらなければなりません。ここで、もう少し、もう少しと言って決断を遅らせていると、結局彼はその生活から抜け出せなくなったはずです。もう少し自分の体をきれいにしてから、もう少し綺麗な服を買ってから、もう少し自分がましな人間になってから、などと理由をつけて決断を遅らせていると、抜け出せなくなるのです。これは、信仰の面でも同じです。もう少し聖書が分かるようになってから、もう少し良い人間になってから、などと言って神の前に決断することを遅らせる人がいますが、主イエスはそのままの状態で私の所に来なさいと言われます。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 彼は父親の家に向かって歩き始めました。彼は遠い国に来ていましたから、帰る道のりも非常に長いものでした。彼は不安を感じていたでしょう。「父親は赦してくれるだろうか。」彼は歩きながら何度も父親に言う言葉を口ずさんで練習したと思います。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」こういう風に言えば父親も自分のことを赦してくれるだろうかと思いながら歩いていました。「幸福の黄色いリボン」という話があります。こんな話です。「ひとりの学生がフロリダ州のある町からバスに乗りました。すると、バスの中で刑期を終えた元囚人と知り合います。彼は故郷に帰るところでしたが、妻にもしまだ自分とやり直せるのなら、その街の入口にある樫の木に黄色いリボンを一本巻いておいてくれと手紙を書いて送っていました。「もしリボンが巻かれていたら、自分はそこでバスを降りて君の元に戻る。しかし、もし結婚していたり、僕とやり直せないと思ったらリボンは巻かないでいい。リボンがなければ、自分はそっとそのままバスに乗り続けどこかもっと遠くへ行こう。」この話は、バスに乗っていたみんなの知るところとなり、その街に近づくにつれ全員が緊張してきました。リボンは巻かれているかいないのか。ついにバスが彼の故郷の街の入口にやってきました。すると、そこで乗客たちが見たものは、一本ではなく、樫の木いっぱいに巻かれていた無数のリボンでした。この弟も同じ経験をすることになります。20節に「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」と書かれています。息子が自分の家に近づいて来ました。もう少し行けば自分の家だ。弟の心は非常に緊張していたことでしょう。家に入れてもらえるのかもらえないのか。しかしそんな心配をしていた息子がまだ家まで少し距離があるのに、父親が彼を見つけました。なぜ、父親は息子を見つけることができたのでしょうか。息子が家を出て行った日から、父親はずっと息子の帰りを待っていたからです。毎日、彼は家の外に出て、息子が出て行った方向を見つめていたからこそ、彼を見つけることができました。父親は息子だと分かると走り寄って息子を抱き何度も口づけしました。父親が走り寄ったということは驚くべきことです。ユダヤ人はいつも裾までの長い服を着ているので走ることをしませんし、特に、年配者や地位の高い人間が走るのは、恥ずかしいことと見なされていました。日本でも、会社の社長や政府の大臣たちは走りません。走るのは悪いことをしたのがばれてマスコミから逃げる時だけです。普通は、相手が来るのを待つのですが、父親は待つことができませんでした。一刻でも早く息子を抱きしめたかったからです。息子は豚の世話をしていましたし、何日も風呂にも入っていませんから、本当に汚くて臭かったはずです。ずっと前のことですが、一度教会の前に一人のホームレスの人が寝ていたことがあります。私は仕方なくその人を家に連れて帰ってお風呂に入れたのですが、本当に臭かったです。私はその人が着ていた服を全部ビニール袋に入れて捨てました。とてもその人を抱きしめることはできませんでした。しかし、この父親は違いました。しっかりと抱きしめて息子の顔に口づけしたのです。息子は父親に言おうと思っていた言葉を言いました。「お父さん、私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」ところが全部言い終わらないうちに、父親が言葉をさえぎって召使に命令しました。「『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」もちろん、息子をお風呂に入れてからですが、父親は召使に、家で息子に一番良い着物を着せ、指輪をはめさせ、靴を履かせるように命じました。一番良い着物も指輪も靴も、すべて、この息子が召使ではなく、自分の家族であることを証明するものでした。また、当時の人々は滅多に肉を食べませんでした。肉を食べるのは特別な時だけでした。特に肥えた子牛は、長男の結婚式のような非常に重要なイベントの時に最も大切な人々のためにだけ出されるものでした。しかも、肥えた子牛をほふれば、200人分の肉が取れます。父親は家出息子のために村中の人々を招いてお祝いのパーティーを開いたのだと思います。本当は、家出した息子には、これらのものを受け取る資格はありません。しかし、父親にとっては、死んだと思っていた息子が生きて帰って来たので、嬉しさのあまり、これらのものを惜しむ心は全くなく、ただ喜んで与えたかったのです。これが父親の愛なのです。受ける資格がないものが与えられることを恵みと言います。私たちも、本当は、神様の赦しをもらう資格はないのですが、神様が一方的に私たちを愛してくださって、何も条件を付けずに私たちの罪を赦し、私たちを神の子どもとして受け入れてくださいました。7節で主イエスが言われたように、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」15章で主イエスが語った3つのたとえ話で、迷子の羊が見つかり行方不明になった銀貨が見つかり、死んだと思っていた息子が生きて戻ってきました。どのたとえ話でも、見つけた者の喜びの大きさが強調されています。そのように、神様は、一人の人が、神のもとに戻ってくることを、何にもまして喜んでおられます。あなたは、今、神様に喜ばれる状態になっているでしょうか?

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