2019年1月20日「この世はこれからどうなるか2」(ルカ21:20-28節) | 説教      

2019年1月20日「この世はこれからどうなるか2」(ルカ21:20-28節)

 今日の説教は先週の続きで、「この世はこれからどうなるか2」と題しています。前回、イエスの言葉を聞いて不安を感じた弟子たち4人がひそかにイエスに質問したことを取り上げました。それは、当時エルサレムに堂々と立っていたユダヤ教の神殿を見て、主イエスが「ここでは石がくずされずに積まれたまま残ることは決してありません。」と言われたことがきっかけでした。彼らがイエスに尋ねたのは3つのことでした。第一に神殿が完全に破壊されると言う出来事はいつ起きるのか。第二に、それと関連させて、主イエスが再び来られる時にはどんな前兆があるのか、そして、第三に、世の終わりの時にはどんな前兆があるのか、弟子たちはこれらを主イエスに尋ねました。主イエスは、彼らの質問に対して、いつ神殿が破壊されるのかということについては答えられませんでしたが、世の終わる時、主イエスの再臨の時にどのようなことが起きるのかということについて3つのことを教えられました。第一に、偽キリストが現れて人々を惑わすこと。第二に、自然界や人間社会に大きな混乱を引き起こすようなことが起きること。具体的には地震や飢饉、そして戦争や紛争が数多く起きること、そして、第三に、キリストを信じる者たちが憎まれ迫害を受けると言うことでした。エルサレムの神殿はAD70年にローマの軍隊によって破壊されましたが、それからすぐに世の終わりが来ることなく、イエスの再臨もまだ起きていません。ただ、今の世の中は、主イエスが2000年前に言われた言葉のとおりに動いているように思います。16世紀のイギリスの思想家のトーマス・モアと言う人が「ユートピア」という本を発表しましたが、そこには実際には存在しない理想的な国としてユートピアが描かれています。このユートピアと言うのはギリシャ語の二つの言葉を組み合わせて作った言葉で、トピアというのは「場所」を意味する言葉です。「ユー」というのはギリシャ語でouと書くと「ない」と言う意味でeuと書くと「良い」という意味になります。それで、ユートピアとは、現実には絶対に存在しない理想的な社会を表す言葉になりました。誰もが、平和な世界を願っていますが、それはユ―トピアで、この世界は主イエスが言われたとおりの方向に向かっているように思います。今日の箇所は20節から24節と、25節から28節まで二つの部分に分けられます。

(1)エルサレムが軍隊に囲まれる日(20-24節)
 20節から24節の箇所は、ルカの福音書にだけ記されている記事です。この記事は、まだ起きていない将来の出来事ではなく、AD70年、主イエスが語ってからわずか40年後に実際に起きた出来事を指しています。当時、エルサレムでユダヤ人のローマ帝国に対する反乱が起こり、反乱軍は66年からエルサレムの城内に立てこもっていましたが、ついに70年にローマ皇帝ティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムと神殿は完全に破壊され、多くの財宝も奪われてしまいました。まさに主イエスが弟子たちに言われたとおりのことが起こったのです。ユダヤ人歴史家のヨセフスと言う人の記録によると、この時、100万人ものユダヤ人が殺され、10万人以上のユダヤ人が捕虜として連れ去られました。主イエスは20,21節で次のように言われました。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」主は、エルサレムがローマの軍隊によって囲まれるのを見るとただちに、町から出て、安全な場所に逃げて身を隠しなさいと警告しておられます。ですから、人々は、66年にローマの軍隊がエルサレムを取り囲んだ時にすぐに脱出して、離れた場所に逃げなければなりませんでした。ぐずぐずしている暇はなかったのです。ところが、ユダヤ教の中の熱心党員と呼ばれた人々は最後までローマ軍と戦うために、人々がエルサレムから脱出することを禁止して、立てこもるように命令しました。そのため、多くの人がいのちを落とすことになりました。4世紀のローマ帝国の歴史家エウセビオスという人はクリスチャンについて次のように書いています。「エルサレムの教会の人々は、戦争が始まる前に主からの命令を受けていた。それは、自分の住んでいる場所を離れて、遠く離れた場所に住むという命令だった。キリストを信じた人々は、主の言葉に聞き従ってユダヤの都エルサレムを捨て、ヨルダン川の東にあるペレア地方に移住して助かった。」一方、エルサレムに立てこもっていたユダヤ教徒たちは、神の助けによってエルサレムの街も神殿も守られると信じ込んでいましたが、無残な最期を迎えました。23節では主イエスは「それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。」と言われましたが、エルサレムがローマ軍によって滅ぼされた時、崩れた建物のうえに腹をすかせた母親たちが赤ちゃんを抱いて群がっていたそうです。道には殺された人々の遺体が転がり、飢えでお腹が出た子供たちが幽霊のように歩いていたとの記録が残っているそうです。主イエスの言葉、聖書の言葉は、気の利いた言葉とか、教養になる言葉ではありません。まさに、従うか従わないかによって生きるか死ぬかの分かれ道になる言葉です。聖書は、いつか必ずこの世が終わる時が来ること、主イエスを信じない人々が裁かれる時がくると警告しています。その警告の言葉は、今日、ここに集まっている私たちにも語られています。その時は、ノアの箱舟の時と同じように誰もが想像もしていない時に突然襲って来ます。あなたは、そのための備えができているでしょうか。

(2)主イエスの再臨を示すしるし
 主イエスが最初に人となってこの世に来られた時、それを目撃した人はわずかしかいませんでした。ヨセフとマリヤ、羊飼いたち、宿屋の人々、東の国から来た博士たちなどです。しかし、2回目に来られる時は違います。ヨハネの黙示録1章7節にはこう書かれています。「見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。」雲は、聖書では神の栄光を表すシンボルです。主イエスは、2回目に来られる時は、神の栄光に満ちておられ、一部の人ではなく、すべての人が見ると預言されています。以前は、地球が丸いのにどうやってすべての人がイエスを見るのかと思っていましたが、今では衛星放送があり、インターネットもありますから、だれでもどこでも、同じものを見ることができる時代になりました。7節には「地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ」と書かれていますが、これは、主イエスが2回目に来られる時、すなわち主イエスの再臨の時は、イエスを信じない人々にとっては裁きの時であることを示しています。主の再臨がいつ起きるのか、それは誰にも分らないのですが、その前兆となる出来事があると主イエスは言われました。その前兆とは何でしょうか?
 25節で、主イエスはこう言われました。「それから、太陽と月と星にしるしが現れ、地上では海と波が荒れどよめいて、諸国の民が不安に陥って苦悩します。」主イエスが再び来られる前に、具体的にどのようなことが起きるのか、私たちには分かりません。しかし、何が起きるとしても、それは人々を不安に陥れて、苦しめるほどのものであることが分かります。26節には「人々は恐ろしさのあまり気を失います。」と書かれています。地上では、温暖化が進んで、スーパー台風やスーパーハリケーンが数多く生まれています。これからもその傾向はますます強くなって行くでしょう。また、太陽や月や星にも何か大きな変化が起きるようです。2008年の日経サイエンスという雑誌には、太陽はこれからどんどん膨張して、数十億年後には地球は飲み込まれるか蒸発してしまうだろうと書かれています。また、2011年のフォックスニュースは地球の磁界が変化しているという記事を発表しています。それによると磁界が変化しているため、北極の位置が毎年40キロ移動していて、2050年ごろには北極はシベリア付近に移動するというのです。また、磁界の変化は地上に非常に激しい嵐や荒れた天候を引き起こすと科学者は考えているとのことです。このような恐ろしい現象が起きると聖書は2000年前に預言していました。
 今、私たちが住んでいるこの世界は、いつまでも続くのではありません。聖書によれば、人間の罪のために社会も自然界も腐敗し汚されてしまったこの世界が取り除かれて、神を信じ神によって罪を赦された人々が神と共に住むのにふさわしい新しい世界が創られなければなりません。その時が、主イエスが再び来られることによって始まるのです。主イエスがこの世に再び来られる時は、一度目とはまったく違って27節には次のように書かれています。「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」そして、マタイの福音書24章31節を見ると、その時に、「み使いたちが天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」と書かれています。さきほど読みましたヨハネの黙示録に書かれている「地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ」の言葉の「地のすべての部族」とは、主イエスを救い主と信じないすべての民のことを意味するのです。このように主イエスの再臨は、主イエスを信じない人々にとっては恐ろしい裁きの時です。彼らに対しては主イエスは、裁き主として来られるからです。しかし、主イエスを信じる者にとっては救いの時です。だから28節で主イエスは「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」と言われたのです。私たちの周囲でも、これからクリスチャンに対する厳しい状況が起きるかも知れません。また、自然界においても恐れを感じ大きな不安を感じるようなことが次々と起きていくことでしょう。しかし、クリスチャンにとっては、それらの出来事はすべて、主イエスが再び来られる時が近いことを示すしるしなのです。主が来られるのは人間の悪と罪をさばき、この世界に正義を打ち立てるためであると知れば、私たちは、どんな状況が起きるとしても、希望をもって生きることができます。だから主イエスは、「身を起こして頭を上げなさい」と言われたのです。目を上げるところに、心も伴います。神様は、私たちに、下を見ないで周りを見ないで自分を見なさいと招いておられます。創世記の時代、アブラハムが子どもができなくて失望していた時に、神様は彼をテントの外に引き出して、彼に「天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」と言われました。同じ神様が、私たちに目を上げて高いところを見なさいと言っておられます。ナポレオンがアルプスを越えてエジプトに向かっていた時に、部下の兵士たちが神はいないと言って論じ合っていました。その時、ナポレオンが大空を指さして、「これらを造ったのは誰だと言うのか?」と言ったそうです。
 このキリストの再臨を否定する人がいます。そんなことが起きるはずがないと笑う人もいます。キリストの時代からすでに2000年も過ぎているではないか。教会はいつまでキリストの再臨を待ち続けるのかと言う人もいます。イエスの弟子ペテロは、そのようなことを言う人々に対して次のように答えています。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(第二ペテロ3:8-9節)主の再臨が遅れることは、教会にとっては試練が続くことを意味しますが、イエスを知らない人々にとっては、まだチャンスが残されていることを意味します。創世記にアブラハムの甥のロトがソドムという町に住んでいた出来事が記されています。ソドムの人々の罪があまりにも大きかったので、神様はソドムを滅ぼすことを決めました。ただ、ロトの家族だけはアブラハムの祈りがあったので助けることにしました。ロトには3人娘がいてそれぞれ夫がいたので、ロトは婿たちに「神様がソドムを滅ぼすから町から逃げなさい」と言います。しかし、婿たちにはそれは冗談のように思われたので逃げませんでした。するとまもなくして大きな自然現象が起きてソドムの街は神様が言ったとおりに滅んでしまいました。主イエスの再臨は決して冗談ではありません。主イエスご自身も言われていますし、聖書にも何度も書かれていることです。その日は、突然やって来ます。ここにいる人々の中には、主イエスをはっきり信じているという人がほとんどですが、まだ主イエスを信じることをはっきりと告白していない方もおられます。聖書の言葉を真剣に受け止めてほしいです。私が偉そうに言っていると思わないでください。主イエスを信じて、私も初めて主イエスの再臨と神の裁きを知って、主イエスを信じてよかったと感じているのです。どうか、神様の裁きが来ることを冗談だと思わないでください。

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