2019年1月27日 『油断せずに祈りなさい』(ルカ21章29-36節) | 説教      

2019年1月27日 『油断せずに祈りなさい』(ルカ21章29-36節)

 主イエスが十字架にかかる直前、弟子たちは自分たちの将来に関して大きな不安を感じていました。それは主イエスがこれから行くところに弟子たちはついて来ることができないと言われたことが一つの要因でした。それで、主イエスは弟子たちを励ますために、将来のことを預言して彼らに話されました。その中心的なことは 主イエスが再び来られると言うことでした。聖書は、私たちが住む世界は始まりがあって終わる時が必ず来ると警告しています。そして、世の終わりに関してもっとも大きな出来事が主イエスが再び来られることなのです。人間の罪によって社会も自然も歪んでしまった世界を新しく作り変えるために神様がこの世を終わらせるのです。その時がいつであるのかは、神以外は誰も知らないのですが、弟子たちはいつそのようなことが起きるのか知りたがっていました。私たちも知りたいものです。それで、主イエスは、この世の終わりが来るときにどのようなしるしが見られるのかを教えられました。そのしるしは、1)偽キリストが現れる。2)人間社会も自然も大きな出来事によって混乱すること。そこには戦争や紛争、地震やききんが含まれます。そして3)クリスチャンは人々から憎まれ、迫害される。この3つのしるしを主は教えられました。今日の箇所は先週の続きになりますが、主は弟子たちに世の終わりを見極めることの大切さを教えるために、いちじくの木を例えにして話されました。

(1)キリストの再臨の時が迫っている(ルカ21章29-31節)
 29-31節を読みましょう。「それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずから分かります。同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。」イエスの弟子たちは、特別な教育を受けておらずごく普通の人間でした。主イエスは彼らが自分の教えをよく理解できるように、よく例えを使って教えられました。ここでは、「いちじくの木」が例えの材料でした。いちじくの木はイスラエルによく見られる木ですが、聖書の中でもよく出てきます。預言者エレミヤは善い人間と悪い人間を、良い実を実らせる良いイチジクの木と悪い実を実らせる悪いイチジクの木のようだと表現しました。イチジクの木は他の木と同様に、春になるとたくさんの葉を茂らせます。そしてイチジクの葉が青々と茂ると人々は夏が近いことを知るのです。教会の周囲の樹木も冬の間は枯れ枝ばかりで、そこから新しいいのちが芽生えるとは思えないような寂しい姿をしていますが、春が来ると、ちゃんと枝から緑の芽が出て、花が咲いて、あっという間に美しい新緑の葉が木全体を覆います。そして夏が近いことを私たちは知ります。それと同じように、今、周囲で起きている出来事をよく見ているなら、主イエスが再び来られる時が近いことを知ることができるのです。私たちにとって、もっとも重要なしるしは1948年にイスラエル共和国が生まれたという事実です。1900年間国が消滅していたにも関わらず、イスラエルの国が再び誕生したのです。このことは聖書に何度も預言されていますが、特に有名なのが預言者エゼキエルが見た枯れた骨の谷の幻です。エゼキエル書の37章に記されています。その幻では、イスラエルの国が枯れた骨で表されています。彼は谷の中に無数の人間の骨があるのを見るのですが、その枯れた無数の骨がガラガラと音を立て互いにつながり、その上に筋がつき、筋肉が現れ、皮膚がその上を覆い、最後に神様がその体の中に息を吹き込むと、彼らは生き返り、自分の足で立ち、非常に大きな集団となりました。これは、死んだようになっていたイスラエルの国がよみがえることを預言する幻でした。普通に考えると、1900年間、ユダヤ人たちは外国に散らばって生活し、彼らが以前住んでいた場所にはほかの人々が住んでいるという状況で、そこにもう一度ユダヤ人の国が生まれることなど考えられないことです。パレスチナの地はローマ帝国が滅んでからはほぼイスラム教国家の支配下に置かれますが、1517年から第一次世界大戦で敗北するまでオスマントルコ帝国が400年間支配していました。一方19世紀末にロシアでユダヤ人の大量殺戮事件が頻発するようになり、多くのユダヤ人がロシアからアメリアやパレスチナに脱出するようになります。そして、第二次世界大戦中にナチスによるホロコーストが明らかになり世界の国々がユダヤ人が自分の国を持つ権利を認めるようになって行きました。1948年5月、アメリカのトルーマン大統領は、ホロコーストのことも知りながら、ユダヤとアラブの対立が残っているため、イスラエルを国として承認することをためらっていました。5月12日、大統領はこの問題について閣議を開きました。国務長官は戦争の可能性があるとイスラエルの承認に反対しました。その時、大統領の政務補佐官出会ったクリフォードという人が大統領に、ナチスによって600万人ものユダヤ人が殺されたこと、収容所で生き残ったユダヤ人たちの行く場所がないことを訴えて、大統領にイスラエル国を承認するように迫りました。その時、彼は申命記の1章8節の言葉を引用しました。「見よ、わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは主があなたがたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、彼らとその子孫に与えると誓った地である。」国務長官はこれに強く反発して次の大統領選挙にトルーマンに投票しないと言ったのですが、トルーマンは世界で最初にイスラエル共和国を承認する国家元首となりました。そしてその二日後にイスラエル共和国は誕生しました。約2000年間イスラエルは世界から消滅していましたが、奇跡的に復活したのです。イザヤ書66章8節には次のような言葉が記されています。「だれが、このようなことを聞き、だれがこのようなことを見たか。地は一日の苦しみで産み出されるだろうか。国は一瞬にして生まれるだろうか。ところがシオンは、産みの苦しみと同時に子たちを産む。」何百万人ものユダヤ人たちが自分が住んでいた国、100以上の国を出てイスラエルの国に戻って来ました。彼らはヘブル語を知りませんでしたが、聖書のヘブル語を基にしてベン・ヤフダという言語学者が現代へブル語が創り出しました。新しいイスラエル政府はすべての国民に現代ヘブル語の授業を受けることを義務付けました。それによって、世界中のいろいろな国と文化から戻って来たユダヤ人を一つの国民にまとめることができたのです。

(2)この世は滅んでもキリストの言葉は永遠に変わらない(31-33節)
 主イエスは31~32節で「同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。まことに、あなたがたに言います。すべてのことが起こるまで、この時代が過ぎ去ることは決してありません。まことに、あなたがたに言います。すべてのことが起こるまで、この時代が過ぎ去ることは決してありません。」と言われました。これまで述べて来たように、2000年世界中に散らばっていたユダヤ人たちが奇跡的に祖国に戻り、イスラエルの国が生まれました。これも、主イエスが言われた「これらのこと」の重要な一つなのです。私たちはこの時代の動きをしっかり見つめていなければなりません。32節の「この時代」と言われているのは、まさに今の時代を指しているのです。イチジクの葉が現れると夏が近いように、このような出来事が起こるとイエスが再び来られる時が近いことを知らなければなりません。ただ、イエスが来られる時がいつなのか、それは誰も知りませんし、神様は誰にも知らせることはありません。マタイの福音書に記されたイエスの言葉によると、主イエスが再び来られるのは、ノアの時の大洪水と同じように突然来るのです。「洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。」(マタイ24章38,39節)ノアが一生懸命に大きな箱舟を造っていた時、それを見ていた人々はノアを馬鹿にして、自分たちの生活を楽しんでいました。人々の目にはノアがしていることは本当に愚かなことのように見えたのです。しかし、確かに洪水は起こりました。世界各地に大洪水があったしるしが残っており、中東一帯には広く洪水伝説が残っています。神様の言葉は、これまで、ことごとく成就しています。だから、私たちは神様の警告に真剣に耳を傾けなければならないのです。33節で主はこう言われました。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」科学は、太陽が膨張した結果地球は滅びると教えています。科学はそれは何十億年先だと考えていますが、聖書は、それよりも早くこの世界が滅びる時が来ると教えています。いずれにせよ私たちの人生もいつか終わりが来ますが、私たちが今見ている、今その中で生きているこの世界は滅びる時が来ます。しかし、イエスの言葉、イエスが約束されたことは何一つ消え去ることがありません。人が何と言おうと、だれが否定しても反対しても、神様の言葉が消えることはありません。だからこそ、私たちは、周囲で何が起きようとも、恐れることなく、神の言葉を信頼し続けることができるのです。

(3)行いに気をつけていつも祈っていなさい(34-36節)
 私たちは、主イエスの再臨がいつ起きるのか知りたいと思います。しかし、もしその時を知ってしまうと私たちは普段の生活を落ち着いてしなくなる危険性があります。ある人は、どうせ終わりが来るからと思って、毎日何もせずに怠惰な生活をするでしょう。また、ある人は、イエスが来られる直前まで自分の欲望のままに放蕩息子のような生活をして、イエスが来る直前に悔い改めればよいと考えたりすると思います。主イエスは、ここで注意しておられます。「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。」(34節)イエスはここで放蕩と深酒と生活の思い煩いという3つの行いを上げて警告していますが、放蕩と訳されている言葉は、文字通りには飲みすぎで吐くことを意味しているので、大きく分けると2つ、すなわち主イエスとイエスの再臨のことを忘れてしまうほど酒を飲むこと、そしてもう一つがこの世の生活に対する思い煩いです。この世の生活のことにあまりにも心が集中すると、この世の生活が一時的なもものであり神の言葉と神の約束だけが永遠に残るということを忘れてしまいます。私たちは、そのような生活から離れて、絶えず、この世が示すしるしを見ておかなければなりません。
 そして36節で主イエスはこう言われました。「しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」主は、私たちにいつも目を覚まして祈っていなさいと命じておられます。私たちはいつも祈っていなければなりません。ぼーっと生きていてはいけないのです。しかし、目を覚まして祈っている人々には2つの素晴らしい約束が与えられています。それは、1)必ず起こるこれらすべてのことから逃れるということと、2)やがて天国で復活のイエスの前に立つことができるという約束です。

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