2020年3月22日 『罵られても罵り返さず』(マルコ15章16-32節) | 説教      

2020年3月22日 『罵られても罵り返さず』(マルコ15章16-32節)

 ローマ総督ピラトは、イエスが死刑になるような犯罪を犯していないことを知っていながら、人々からの脅迫に負けてイエスを十字架刑にすることを許可しました。ピラトが主イエスに死刑の判決を下した場所は、エルサレムの神殿の北側にあったアントニア城塞と呼ばれた場所で、そこがピラトのエルサレムの官邸になっていました。そこには600人ほどのローマの兵士が集められていました。その中のある者たちが主イエスをからかい始めました。彼らにとっては遊び半分なことであり、自分がどんな重大な罪を犯しているのかまったく気づいていませんでした。彼らは、イエスがユダヤ人の王であると主張したことで訴えられていたことを知っていたので、みじめな姿のイエスを王様のような姿にさせて喜んでいたのです。彼らはイエスに紫の衣を着せました。紫の衣は非常に高価なもので、王様が着る衣でした。兵士たちはイエスの着物を脱がせて紫の衣を着せて王に仕立てたのです。それから、ピラトの官邸に生えていたいばらを切って、それを輪のように巻いてイエスの頭にかぶせました。いばらには鋭いとげがありますから、イエスの額に食い込み、額から血が流れ落ちました。そして、昔の王様は権威のシンボルとして細長い板のようなものを持っていたのですが、兵士たちは葦の棒をその板に見立ててイエスの手に持たせて、「ユダヤ人の王様。ばんざい。」と叫んだり、イエスの手から葦の棒を取り上げてイエスの頭をたたいたり、唾を吐きかけたり、あるいは、うやうやしくひざまずいてイエスを拝んだりと、できる限りの悪ふざけをして、イエスを嘲りました。普通の人間にはとても耐えられない屈辱です。主イエスは、彼らが考えていたような王ではありませんが、王の王、主の主なる方です。主イエスは天においても地においても一切の権威が与えられた方です。しかし、イエスは,あえて何の抵抗をすることなく、まったく無力な人間のように彼らにされるままになっていました。表面的に見ると、ローマの兵士、ユダヤ教の指導者たちがイエスに対して勝利したように見えます。しかし、主イエスはこの出来事を、少し前に弟子たちに預言しておられました。10章の33,34節に記されています。「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」主イエスは、ただ無力でひどい仕打ちを受けたのではなく、自分からそのようにされることを選ばれたのです。それは、人間のすべての罪を自分の身に受けるためでした。

 ローマの兵士4人がイエスを十字架の処刑をする場所まで連れて行きました。ローマの法律では十字架にはりつけになる者は自分で十字架か少なくとも横木を担いでいかなければなりませんでした。主イエスは前日から一睡もすることなく裁判のために連れ回され、ピラトが死刑の判決を下した後、39回のむちを打たれていたために体はすっかり弱っていました。処刑場に向かう途中でイエスは倒れてしまいました。そのため、ローマの兵士は、イエスの代わりに十字架を背負う人を見つけなければなりませんでした。そこで、たまたま通りかかったクレネ人のシモンという人にイエスの十字架を無理やりに背負わせました。クレネとは北アフリカのリビヤの海岸にあった町です。おそらく彼はユダヤ人で、過越しの祭りに参加するためにはるばる北アフリカからエルサレムに来ていました。21節に「彼はアレクサンドロとルフォスの父」だと記されています。イエスが十字架に向かって歩いているという大切な場面で、シモンの息子の名前などどうでもよいことなのに、なぜ、記されているか不思議です。ここに二人の名前が書かれているということは、この福音書を読む人々は二人のことをよく知っていたことになります。実は、この福音書を書いたマルコは、イエスの弟子ペテロのギリシャ語の通訳でした。当時の国際語はギリシャ語でしたが、ペテロは弟子になる前は漁師だったので、教育を受けておらずギリシャ語が分かりませんでした。そのため、彼はマルコを通訳として用いていました。それで、このマルコの福音書はペテロが語ったことをマルコが書き留めて書いた福音書だと見なされています。ペテロは人生の最後をローマの教会で過ごしましたので、マルコの福音書はローマのクリスチャンのために書かれた福音書だと考えられています。パウロがローマ教会に書き送った手紙の中に、「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく」ということが書かれているのですが、このルフォスはシモンの息子だと考えられています。この時、無理やり十字架を背負わされたクレネ人シモンは、うれしくなかったと思います。せっかく過越しの祭りに参加するために遠くからエルサレムに来ていたのに、犯罪者の十字架を背負わせられることになるとは何と運が悪いのだろうなどと思ったことでしょう。しかし、彼はイエスの処刑場まで行ったわけですから、イエスの十字架を目撃したはずです。その様子を見て、おそらく彼はクリスチャンになり、そして、彼の家族もクリスチャンになり、二人の息子はローマの教会で重要な働きをするようになったのだと思います。この時点では、シモンにとって十字架を担がされることはいやな出来事でしたが、後で振り返った時に、それは彼にとってこの上もない名誉なことと思ったはずです。また、それによって彼も彼の家族もイエスを信じるようになったことは大きな祝福でした。私たちの人生には思いがけず困難や苦しみを経験することがあります。今回のコロナウィルスもその一つです。しかし、私たちの神様は、すべてのことを働かせて私たちの益となることへと変えることのできる神様です。私たちは、この神様の力を信頼して耐え忍ぶことも必要です。
 
 ローマの兵士たちはイエスを処刑場に連れてきました。ヘブル語でゴルゴタと呼ばれた場所ですが、それは「どくろ」という意味でした。それは、その場所がちょうどどくろのような形をしていたからです。当時の習慣として、十字架にはりつけになる者には麻酔のような働きをする「没薬をまぜたぶどう酒」が与えられました。これは処刑する側の憐みでした。それほど十字架の苦しみは大きかったのです。しかし、主イエスはそれを飲みませんでした。それは、主が意識が完全な状態で十字架の苦しみをすべて味わうことによって、私たちのための本当の身代わりになることができると考えておられたからでした。どの福音書も、イエスが十字架にはりつけになる様子は詳しく書かれておらず、簡単に「彼らは、イエスを十字架につけた」とだけ記されています。それは、当時の人々は十字架刑の場面を何度も見ており、その恐ろしさをよく知っていたからです。十字架刑は人間が考え出した最も残酷な死刑の方法だと言われています。当時、常識のある人は十字架という言葉を口にすることはありませんでした。主イエスはそれほど大きな十字架の苦しみを私たちに代わって受けてくださったのです。イエスの十字架刑の一つ一つが旧約聖書に預言されていました。十字架の処刑を担当するのは4人のローマ兵士でしたが、彼らはくじ引きをしてイエスの着物を分けています。このことは詩篇の22篇18節に預言されていました。「彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします。」また、27節には、イエスがふたりの強盗とともに十字架につけられていますが、このことはイザヤ書の53章12節に記されています。「彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。」

 29節から32節には、十字架にはりつけになって極限の苦しみを経験しているイエスに向かって、いろいろな人が嘲りや罵りの言葉を投げかけている様子が記されています。まず、道を行く人々が頭を振りながらイエスを罵っています。彼らは、数時間前に、ピラトが裁判をしていた時に十字架につけろと叫んだ人々でした。彼らの多くは祭司長たちから扇動されて、「イエスを十字架につけろ」と叫んだのでしょうが、彼らの中には、その週の日曜日にイエスがエルサレムに入られた時にイエスに向かって「ダビデの子にホサナ」と大歓迎の叫び声をあげた人がいたかもしれません。彼らは「十字架から降りて来て自分を救ってみろ」と罵っています。主イエスは、神の力を使えば十字架から降りることもできたはずです。しかし、主イエスはどれほど罵られても黙って十字架の苦しみを受けておられました。また、祭司長や律法学者たち宗教家も同じようにイエスを嘲っています。ゴルゴタの丘は、同時のイスラエルの街の外側にありました。彼らは、自分の仕事もあるはずなのに、わざわざイエスを罵るために、ゴルゴタの丘にまでやって来て、苦しむイエスに向かって叫んでいるのです。ピラトが見抜いていたように、彼らはねたむ心からイエスを憎み、そして、イエスを死刑にしました。人間の憎しみとはどれほど根深く、またみにくいものでしょうか。仮にも、彼らは宗教の専門家です。旧約聖書の教えを人々に教えている立場です。にもかかわらず、彼らは、ひどい姿で十字架にはりつけになって苦しんでいるイエスを見て、ひとかけらの憐みを感じることもなく、イエスを嘲っています。このような姿を見ると、人間の心の恐ろしさ、残酷さ、罪深さを痛感します。彼らは、イエスが他人を救ったことを認めています。彼らは、イエスの行った奇跡を実際に見ていましたので、イエスの力を否定することはできませんでした。しかし、イエスを信じようとしなかったのです。彼らは「イエスが他人は救ったが、自分は救えない」と言いました。もちろん、彼らは嘲りの言葉として言っているのですが、しかし、彼らの言葉は福音そのものなのです。主イエスが自分を救うことをせずに十字架で死刑を受けてくださったからこそ、私たちの罪が赦されて救われるからです。彼らは「十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」と言っていますが、実際には、これまで彼らは何度もイエスの奇跡を見ていました。多くの人が癒されるのを見ていました。しかし、彼らはイエスを神と認めませんでした。むしろ、奇跡が行われたのが安息日だったので、そのことに文句を言い、イエスをますます憎むようになっていました。彼らは癒しを受けて苦しみから解放された人々のことなどまったく無関心で、自分たちの立場のことだけを考えていました。ですから、彼らは「見たら信じる」と言ってはいますが、実際には、彼らは見ても信じなかったのです。主イエスは、このような人々が真実をゆがめて、ある者は半分遊び気分で、ある者は他の人々の扇動に流されて、ある者はねたみから来る憎しみによって、自分を罵っているのを十字架から見ていましたが、主は一言も言い返すことがありませんでした。そして、主が十字架の上で最初に言った言葉は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」と自分を罵る人々の罪の赦しを求める祈りでした。

 イエスの弟子ペテロは手紙の中で主イエスの十字架について次のように述べています。第1ペテロ2章22,23節を読みましょう。「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」キリストは罪のない方でしたが、私たちのために十字架の苦しみを受けてくださいました。それは、キリストが死ぬことによって私たちが罪を赦されて永遠に生きるためでした。私たちが永遠のいのちを持つことができるようにと、キリストはののしられてもののしり返さず、最後の最後まで十字架の苦しみを経験してくださいました。ここにキリストの私たちに対する愛が示されています。主イエスを信じる者には永遠のいのちが与えられています。この世でどんなことが起きるとしても、私たちは、このキリストの愛によって守られ支えられていることを覚えて、主イエスに従って歩み続けたいと思います。

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