2020年5月24日 『世界の救い主イエス』(ヨハネ4章27-42節) | 説教      

2020年5月24日 『世界の救い主イエス』(ヨハネ4章27-42節)

 5月は、ずっとヨハネの福音書4章を読んでいます。主イエスと出会ったサマリアの女は、結婚と離婚を5回繰り返し、そして、現在は新しい男と同棲しているという、今日でも、不道徳と思われるような生活をしていました。いつも、周囲の人の目を避けて生活しなければならなかった彼女が主イエスと出会って人生が変えられるという素晴らしいことが起こりつつありました。そのきっかけにになったのは、「わたしが与える水を飲む人は消して渇くことがありません。」という主イエスの言葉でした。人目を避けて水を汲みに来ることは大変だったので、彼女はイエスに「その水を私にください。」と言いました。すると、主イエスは彼女に「あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われました。主イエスが「わたしが与える水」と言われたのは、井戸の水のことではなく、魂の罪からの救いでした。というのは、彼女にとっては、井戸の水を汲みに来ることよりも、もっとずっと重要な問題があったからです。それは、神を信じないで自分の欲するままに生きる罪の生活でした。そこで、主イエスは彼女の問題をズバリ指摘したのです。それに対して、サマリアの女は事実を隠すような答えをしましたが、主イエスはすべてを見抜いておられました。ただ、主イエスは、この女性を厳しく批判するのではなく、愛をもって彼女を悔い改めに導かれました。主イエスが、彼女が自分の真実をすべて打ち明けなかった時も、彼女にやさしく語られたことで、彼女は主イエスに心を開きました。そして、自分が話している人物が、昔から聞いていた約束の救い主かもしれないと思うようになりました。彼女は19節で「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。」と答えています。サマリア人たちは旧約聖書の最初の5つの書物だけを信じていました。そのため、彼女は、旧約聖書が預言していた約束の救い主を預言者と表現したのだと思います。彼女は自分の罪を確信し、罪を赦してもらいたいと思ったので、早く、自分の罪を悔い改めて、神の赦しと罪からの許しを得たいと思いましたが、どこに行って救いを得らえるのか分かりませんでした。サマリア人たちはゲリシム山に礼拝する場所を持っていましたが、ユダヤ人たちはエルサレムの神殿で礼拝していたからです。ところが主イエスは言われました。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」また、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」とも言われました。旧約時代の礼拝スタイルは、主イエスが来られたことによって古いものになりました。礼拝の場所、礼拝のスタイル、いけにえを捧げるというシステム、これらすべては新しいものに変わり、御霊と真理による礼拝が求められる時代になったことを主イエスは彼女に教えられました。彼女は、まだ、イエスの言葉を十分に理解できていなかったようで、25節で、次のように言いました。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」彼女は、約束の救い主メシアが来てくださったら、今、自分が十分に理解できないこともすべて分かると思いますと自分の希望を語りました。すると、それに対して、主イエスが、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」このイエスの言葉によって、サマリアの女は、すべてを理解しました。何分か前に自分に水をくださいと頼んだ人物が、実は、ユダヤ人もサマリア人もずっと待ち望んでいた救い主メシアであると確信しました。彼女は、サマリアに住んでいて、いつもは人目を避けて家から外にでることも少なかったため、これまで、イエスの説教を聞いたこともなかったですし、イエスの奇跡の業も見たことは1度もありませんでした。しかし、イエスから聞いた言葉だけで、彼女は、イエスが救い主メシアであることを確信しました。これが彼女の信仰でした。多くのパリサイ人や律法学者は何度もイエスの教えを聞き、イエスの奇跡を見たにもかかわらず、イエスを救い主と信じることなく、むしろ、神を冒涜する危険な人間とみなして、イエスを殺すことさえ考えていました。主イエスの「あなたと話しているこのわたしがそれです。」この言葉によって、彼女の人生はまったく新しいものになりました。今日は、その後、サマリアで起こった出来事について学びたいと思います。
 
(1)サマリアの女の証し
 28節を見ると、「彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行った」と書かれています。このサマリアの女は、水を汲みに来ていました。家の水がなくなったので、汲みに来ていたのです。だから、本当なら、彼女はすぐに汲んだ井戸の水を家に持って帰らなければなりません。しかし、彼女は、水がめのことはどうでもよいかのように、水がめを井戸の近くに置いたまま、スカルの町へ行きました。彼女は、真昼に井戸水を汲みに来たことから分かるように、これまでは、人目を避けて生きて来ました。人に会えば自分の悪口を言われることが分かっていたので、町の人々から隠れるように生きていました。そんな彼女が、町中に走って行って、人々に話しています。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」彼女がこの話をした人々とは、彼女が住んでいたスカルの町の人です。彼女のこれまでの生活をよく知っている人たちです。これまで、彼女は、これらの人々に会わないようにして生きていましたが、今は、人から何と言われるのか、そんなことはどうでもよくなり、とにかく、誰でもよいから人々に主イエスのことを話したくて人々に話しかけています。第二コリント5章17節に有名な言葉があります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」主イエスに出会った彼女は、消極的に人々を避けてきた生活から、積極的に人々にイエスのことを語る生活へと変えられたのです。彼女は人々に何を語ったのでしょうか。29節を読みましょう。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」彼女が人々に言ったことは、まず、「来て、見てください。」でした。彼女は、福音の内容について語っているのではありません。ただ、自分が出会って素晴らしい経験をしたので、他の人にも自分と同じ経験をしてほしいと思って、イエスを紹介しているだけです。私たちも、何かすごく良いものを安い値段で買った時に、誰かに話したくなりますよね。自分だけが知っているのはもったいないと思うからです。私たちは、キリストのことを証しすると言われると、難しいと思いますが、難しいことを言わなくてもよいのです。まず第一歩は、人にイエスを紹介することです。そして、次に、彼女は主イエスと出会って経験したことを話しています。「私のしたことを、すべて私に話した人がいます。」彼女は、イエスが自分のしたことを全部知っておられたのに、自分を見捨てることなく、自分を一人の人間として受け入れてくださったことなど、自分が経験したことを話しました。そして、最後に言った言葉が「もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」でした。これは、彼女がまだ主イエスが本当に約束の救い主キリストなのかどうか確信がないからこう言っているのではありません。彼女は、これまでの自分の生活を考えると、自分が人々に偉そうなことを言えるような人間ではないことが分かっていたので、控えめに言ったのです。町の人々は、この女が自分たちに向かって力を込めて話しかけて来ることにびっくりしました。いつも人目を避けて生きてきた彼女が自分たちに向かって興奮した様子で熱心に語り掛けているからです。彼女の話を聞いた人々も、イエスがどんな方であるのか知りたくなって、彼らは町を出て、イエスに会いに行くことにしました。イエスのところに来た人が何人であったか分かりませんが、かなり大勢の人がやって来たように思います。一人の女性の証し、それもこれまでは人々からさげすまれていたような人の証しがこれほど大きな影響を与えているのはすごいことだと思います。

(2)弟子たちに教えるイエス
 サマリアの女が町の人々を連れてイエスのところに戻って来たとき、主イエスは弟子たちに教えておられました。弟子たちがイエスに食べ物を渡そうとすると、主イエスは「わたしには、あなたがた知らない食べ物があります。」と言われました。弟子たちは、イエスが何か別の食べ物を持っているのかと思ったのですが、主は「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」と言われました。食べ物とは、人が働くためのエネルギーを与えるものであり、また楽しい喜びでもあります。主イエスにとっては、食べ物は、自分をこの世に送った父なる神の御心を行うことでした。それは、約束の救い主として任務を果たすことですが、主イエスは、救い主として2つの使命を持っていました。一つは、私たち人間の罪が赦される道を開くために十字架にかかることでした。もう一つは、12弟子を訓練して、彼らに伝道の働きをさせることでした。それで、この31節から38節までの箇所では、主イエスは弟子たちに伝道について教えておられました。それが35節と36節の言葉です。「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」穀物を栽培するときは、種を蒔いてから収穫するときまでは4か月ほどかかります。しかし、福音を伝えるという種まきをした場合、魂を収穫するときはすぐに来るのです。ちょうど、弟子たちの目の前には、収穫を待つ穀物の畑が広がっていたのかもしれません。さらに、その畑の間を通る道を、スカルの町の人々がイエスの話を聞こうとしてやって来る姿も見えたかもしれません。イエスは37節で「「一人が種を蒔き、他の者が借り入れる」ということばはまことです。」と言われましたが、このスカルの町の人々のために、イエスを知らせる種を蒔いたのはサマリアの女です。しかし、彼らの魂を刈り取るのは主イエスと弟子たちの働きでした。一人の人の魂が救われる時に、一人の人の働きだけで救われることは少ないです。一人の人が種まきをして、その後いろいろな人がフォローして、最終的には聖霊の働きによって信仰の確信が与えられて人は救われるのです。今、コロナウィルスの感染によって非常に困難な状況になっているこの時も、よく人々の心を見ると、借り入れの準備ができている人がいるかもしれません。私たちは、他の人よりも少し早く主イエスと出会って救われたてクリスチャンになりましたが、私たちも、このサマリアの女と同じように、他の人々にイエスを紹介する務めが委ねられています。

(3)サマリアの人々の救い
 スカルの町の人は、サマリアの女の話を聞いてイエスに会いたいと思って、大勢でやって来ました。でも、なぜ彼らは主イエスに会いたいと思ったのでしょうか。それは、彼女がすっかり変わったのを彼らが見たからです。以前は、人々は彼女を評判の悪い女としか見ていませんでしたが、興奮してイエスのことを話す彼女は、彼らがそれまでに見ていた姿とはまったく変わっていました。彼女は、今までは自分の過去を隠して生きていましたが、今では、自分の過去もことも正直に話していますし、何よりも、彼女の姿が輝いて見えたのだと思います。私自身、友達のグレアム君に連れられて初めてクリスチャンの集会に行ったときに、そこで聞いたメッセージはまったく理解できませんでしたが、そこで出会ったクリスチャンたちが本当に輝いて見えました。ユースウィズアミッションという海外から来ていた若い宣教師たちのグループだったのですが、皆、生活は質素な感じでしたが、誰もが生き生きしている姿が印象的でした。私は、「この人たちは自分とどうしてこんなに違うのだろうか。」不思議でした。それで、グレアム君が勧めてくれたギデオン協会の新約聖書を読み始めたのです。
 スカルの人々は、イエスのところに来てしばらく自分たちの町に滞在してほしいと願いました。彼らは、イエスから直接教えてもらいたかったのでしょう。それで、主は彼らの願いにこたえて、2日間スカルに滞在されました。スカルから来た人々の中には、すでにサマリアの女の証しを聞いてイエスを救い主と信じていた人々もいましたが、この2日間にイエスから直接教えて聞くことによって、さらに多くの人々がイエスを信じました。彼らは、サマリアの女のところに来て言いました。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。」彼らの信仰告白は驚くべきものです。彼らは主イエスについて「世の救い主」と言っています。彼らはサマリア人です。ユダヤ人ではありません。ユダヤ人たちは、神による救いは自分たちだけのものと考えていました。彼らの考えでは、サマリア人は救いを受けることのできない者たちでした。しかし、主イエスは、全世界の人々が罪から救われるためにこの世に来られた救い主です。主イエスご自身が、復活の後、天に帰られる前に弟子たちに言われました。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」落ちこぼれた人生を歩んでいた一人の女性が主イエスと出会って人生が変えられました。そして、その一人の人の小さな証しによって、スカルの多くの人々が救いに加えられ、そして、主イエスが全世界の人々の罪を取り除く救い主であることが証明されたのです。
最後に、一人のキリストの証し人を紹介します。アンドリュー・ミーケンズは、他の人々をキリスト導く最後の機会を無駄にしなかった人です。彼はエチオピアの首都アディスアベバの国際福音教会の長老でした。1996年11月23日にエチオピア航空の飛行機がハイジャックされ、その後、燃料を使い果たした飛行機は、コモロ諸島の近くで墜落し乗員乗客175名のうち125名が亡くなりました。墜落の生存者によると、パイロットが緊急着陸を試みると発表した後、ミーケンズは座席から立ち上がって話し始め、乗客を落ち着かました。 それから、ミーケンズは乗客にイエス・キリストの福音を示し、人々に主イエスを信じるように勧めました。 生存した客室乗務員によると、や20人が救い主としてキリストを受け入れたとのことです。主イエスを信じて永遠のいのちを持っている私たちには、あらゆる機会を用いて世界の救い主イエスのことを人々に伝えていく使命があるのではないでしょうか。

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