2020年6月28日 『神が与える奇跡の食べ物』 (ヨハネ6章1-15節) | 説教      

2020年6月28日 『神が与える奇跡の食べ物』 (ヨハネ6章1-15節)

先週は、主イエス以外に、主イエスが神であることを証言するものについて語りました。それはバプテスマのヨハネであり、主イエスがなされた奇跡の業であり、父なる神ご自身であり、聖書の言葉でした。今日からヨハネの6章に入りますが、6章も5章と同じように、主イエスの奇跡で始まります。そし6章全体の構成も5章と同じで、奇跡の後に、その奇跡に関連して主イエスの教えが記されています。6章に記されている奇跡は、5つのパンと2匹の魚で、大人の男性だけで5000人いた群衆のお腹をいっぱいにしたというものですが、この奇跡は、主イエスの復活を除いて、4つの福音書すべてに記されている唯一の奇跡です。それは、この奇跡が非常に大切な奇跡であることを表していると思います。主イエスは、3年余りに及ぶ神の子としての働きの中で、様々な奇跡をおこなわれました。さらに、この福音書を書いたヨハネ自身が言っていますが、もちろん、福音書には記されていない奇跡の業は数えきれないほど多かったはずです。主イエスの奇跡について、繰り返しになりますが、それは、イエスの特別な能力を人々に見せつけるために行われたものではありません。そんな奇跡は一つもありません。主イエスは、人々に見せつけるためであれば、みんなが見ている前で、スーパーマンみたいに空を飛んでみたり、一回のパンチで建物を粉々に壊してみたりすることもできたでしょう。しかし、そんな無意味なことを主イエスはしませんでした。主イエスの奇跡は、困っている人々を助けるためであり、人々に対する愛と憐みからなされたものです。ユダヤ教の指導者たちは、自分の目でイエスの奇跡を見ていましたが、彼らの心は頑なになっていて、どんな奇跡を見ても、イエスを神と信じようとせず、むしろ、イエスが行われた愛と憐みに満ちた奇跡の業を批判し、さらには、イエスを殺そうとさえしていました。イエスは、忍耐して、彼らに自分が神であることを、いろいろな証言者がいることを知らせながら、説明しましたが、それでも、ユダヤ教の人々はイエスを信じませんでした。そのため、主イエスはエルサレムを離れて、活動の中心地であったガリラヤ地方に戻っておられました。

(1)きまぐれな群衆(1-4節)
 1節に「その後」と書かれているので、主イエスがエルサレムで38年寝たきりの人を癒した出来事から、すこし時間がたっていることが分かります。4節に「ユダヤ人の祭りである過越しが近づいていた。」と書かれているので、時は、春の3月終わりから4月中旬にかけての春でした。5章の出来事は、主イエスが祭りに参加するためにエルサレムに行った時の出来事でした。ユダヤ人の大人の男は、3つの大きな祭りの時にはエルサレムに行って祭りに参加しなければならないという決まりがありました。5章の祭りは、単に「ユダヤ人の祭り」と書いてあるだけで、何の祭りか分かりません。秋の「仮庵の祭り」だとすれば、その時から約半年後、もし、5章の祭りも過越しの祭りであったとすれば、その時から1年後の出来事ということになります。ヨハネの福音書には、その間のことは記されていませんが、他の福音書を見ると、その間、主イエスはガリラヤ地方で宣教の働きをずっと続けておられたことが分かります。人々に説教を語り、癒しの働きを行っておられたので、ますますイエスの評判が高まり、イエスが行かれるところには、いつも大勢の群衆が付いてくるようになっていました。そのことが2節に書かれています。そんな中、主イエスはガリラヤの湖の向こう岸に行かれました。向こう岸とはどっち側ということですが、ガリラヤ湖は、西側に大きな町がかたまっていました。活動の拠点であったカペナウム、ベツサイダ、ティベリアなどです。一方、東側には今もそうですが、大きな町はなくひっそりとしていました。主イエスは、しばらく、群衆から離れて、弟子たちだけと時間を過ごすために、弟子たちといっしょに船で湖の東側に行かれました。彼らには、休む時が必要であったし、弟子たちに教えなければならないこともありました。ところが、主イエスの意図に反して、主イエスと弟子たちが船に乗って湖の反対側に行くのを見た大群衆が、湖の周りを歩いて彼らの後について来ました。主イエスと弟子たちは、湖の東側に着くと、群衆が到着する前に、山に登って弟子たちとだけの時間を過ごされました。大勢の群衆がイエスについて行った理由は何だったのでしょうか。2節には次のように書かれています。「イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからであった。」彼らは、主イエスの力ある働き、しるしを見ていました。ただ、彼らは、主イエスのしるしの意味を理解していませんでしたし、主イエスが誰であるのかを理解していませんでした。彼らがイエスについてきたのは、自分の罪を悔い改めて、罪の許しを願うためではなく、あるいはイエスを心から愛していたためでもなく、イエスの奇跡の業を見たいからでした。彼らは、心の中で、イエスが約束の救い主メシアであることを期待していたかもしれませんが、彼らが期待していたメシアは、神様の御心とは全く違う、別のメシアでした。主イエスは、彼らの心の中をよく知っておられたので、弟子たちとだけで過ごす時間を持つことが必要だと感じたのだと思います。

(2)不信仰な弟子たち(5-9節)
 主イエスは、弟子たちと山の上でしばらくの時間を過ごしました。しばらくするとイエスと弟子たちを追いかけて来た群衆がやって来ました。5節にイエスは目を上げてと書いてありますが、おそらく、主イエスと弟子たちがいたのは山というよりも丘のような低い山で、群衆の物音に気が付いて、主は顔をあげられたのだと思います。すると主イエスは、弟子のピリポに言われました。「どこからかパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」主イエスは、ピリポの考えを聞くためにこの質問をしたのではありません。この質問はピリポや他の弟子たちの信仰をテストするためのものでした。ピリポは、今彼らがいる場所から一番近い町ベツサイダの出身だったので、主はピリポに尋ねたのだと思います。
主イエスは、これから自分が何をするかすでに知っておられました。そして、主は、人間的な方法では、この問題は解決できないことを知っておられました。この質問に対して、ピリポは非常にがっかりしたように答えています。「一人ずつが少しずつ取るにしても、200デナリのパンでは足りません。」ピリポにとっては、どこでパンを買うかという問題よりも、そもそも、パンを買うお金が足りないことが問題でした。デナリとは当時の1日の給料です。例えば10000円だとすると、200万円にもなります。ピリポは主イエスに信仰を試されたのですが、彼は、頭の中で自分の考えに従って計算をして、何もできない答えました。そこには主イエスに対する信仰はまったく働いていません。ピリポは、ガリラヤのカナという町の結婚式でぶどう酒がなくなったときに、主が水をぶどう酒に変えられたことを体験していました。また、旧約聖書では、マナのように、神様がイスラエルの民のために、奇跡の食べ物を与えられたことを知っていたはずです。しかし、ピリポはイエスのことはまったく考えずに、自分の頭のコンピューター働かせてお金の計算をして、主イエスが頼んだことは無理だと結論付けました。
 もう一人の弟子アンデレは、ピリポと違って、何とかして解決方法を見つけようとしていました。彼が発見したのは、5つの大麦のパンと2匹の魚を持っていた少年でした。アンデレはペテロの兄弟ですが、あまり目立った働きはしていません。ただ、彼の優れているところは、人々を主イエスのところに連れてくることでした。アンデレが見つけたのは、小さな弁当を持っていた少年であり、そんな少年の小さなお弁等では大勢の人々に配ることはできないのは明らかです。でも、彼は、とりあえず、その少年をイエスのところへ連れて来ました。アンデレも「でもこんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」と言っていますので、あまり期待はしていなかったでしょう。しかし、その少年の弁当を見たときに、こんなものは何の役にも立たないと考えて、見逃していれば、この奇跡は起こりませんでした。アンデレがその弁当を持った少年をイエスのもとへ連れて行ったことが非常に重要なのです。主イエスのところに持って行けば、主が何かしてくださるのではないか、とアンデレは考えたのだと思います。信仰の目は、自分の目の前に見えている状況だけで判断をするのではなく、その状況の背後には、この世界を造り、この世界を維持しておられる神様がいることをも見ることができます。カナの結婚式の時に、ぶどう酒がなくなるというピンチの時に、主が水をぶどう酒に変えるという、誰にもできない方法で解決してくださったことを知っていたアンデレは、とりあえず主イエスところに、持って行けば、何かが道が開けるかもしれないと思ったのではないでしょうか。クリスチャンは、常識を持って行動することも大切なのですが、時には、常識を忘れることも必要です。

(3)主の大いなる働き(10-13節)
 主イエスは、弟子たちに命令して、群衆を草の上に座らせました。この時、10節にかかれているように、過越しのお祭りが近づく春の時期たっだので、草がたくさん生えていました。マルコの福音書によれば、人々は100人や50人のグループに分かれて座りました。群衆の数は大人の男だけで5000人ですから、女や子供を入れると10000万人をはるかに超える数でした。主イエスは、皆に自分の力を見せびらかすようにラッパを吹かせるとか、そんなことは何もなく、パンを手に取り、父なる神に向かって感謝の祈りを捧げてから、弟子たちを使って、パンを人々に配りました。魚も同じようにして、祈りを捧げてから人々に配りました。主イエスは、自分の奇跡の力を使って10000人の人に、あっという間にパンを配ることもできたはずですが、神様は、奇跡を行う時に、よく弱い人間を用いて行われます。イスラエルの民がエジプトで非常に苦しんでいた時、神様はモーセを用いました。モーセは自分はしゃべるのが下手だから、そんな働きをするためのリーダなんか無理だと思ったのですが、神様は彼を用いてイスラエルの民をエジプトから脱出させられました。ダビデが、3メートルの身長があるゴリアテと1対1での戦いに勝ったとき、彼はまだ羊飼いの少年にすぎませんでした。神様は、弱い私たちを用いて、大きなしるしを行うことのできる方なのです。主は、瞬間的に、大量のパンを造られたのではなく、パンと魚をちぎり続けて、弟子たちがそのちぎられたものを配り続けました。群衆の中には、パンと魚をもらえなかった人一人もいませんでした。しかも、すべての人がほしいだけのものを食べることができました。ピリポは、一人一人が少しづつ食べても200デナリ必要だと言いましたが、主イエスの奇跡は、そんなけち臭いものではなく、各自がお腹いっぱいになるまで食べることができました。しかも、主は、たべものを粗末に扱う方ではありません。一つのパンも魚も無駄にならないように、余ったパン切れを弟子たちに集めさせました。すると、12のかごがいっぱいになるほど、パン切れが集まりました。このパンはどうなるのでしょうか。おそらく、これまで働きづめだった弟子たちがこれから何日間かそのパン切れを食べたと思います。

(4)人々の間違った反応(14-15節)
 この主イエスの奇跡を経験した人々はびっくりしました。14節でこう言っています。「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。人々は、この出来事を神が行われた奇跡だと理解し、このような奇跡を行うことができるのは、旧約聖書に預言されている救い主メシアに違いないと思ったのです。人々がこのように言っていることから、当時のユダヤ人は旧約聖書が約束したメシアが現われるのを待ち望んでいたことが分かります。そして、主イエスの奇跡のわざを見て、主イエスが約束の救い主メシアだと思ったのも正しかったのですが、ただ、彼らのメシアに対する考え方が間違っていました。彼らが待ち望んでいたのは、自分の生活の中でいろいろ必要なものを満たしてくれるメシア、自分たちの生活が楽になるようにしてくれるメシア、特に、憎い外国人の国ローマ帝国から自分たちの国を解放してくれるメシア、そのような国の王様のような救い主を待ち望んでいたのです。それで、15節に記されているように、人々は、むりやりイエスを自分たちの王にするためにどこかへ連れて行こうとしました。そのような考えは、群衆の人々だけでなく、主イエスによってえらばれた12人の弟子たちも持っていました。
 しかし、主イエスは、彼らの気持ちを知って、急いで、群衆を解散させ、ご自分は一人で山の中に退かれました。主イエスは、自分が何のためにこの世に来ているのか、自分の使命をよく知っていました。神としての栄光を捨てて、わざわざ小さな一人の人間の姿をとってこの世に来たのは、人々を罪の裁きと罪の支配から救い出すためであることをよく知っていましたので、人々が自分について間違った考えと行動をしている所から離れなければなりませんでした。そして、一人になって父なる神に祈られました。人々が、自分のことを正しく理解することを求め、人々が、自分の生活の必要を満たしくれるような救い主ではなく、魂の救い主を求めるようにと祈っておられたことでしょう。普通の人間であれば、群衆が自分を王様にしようと熱狂的になっていますから、喜んで彼らの求めに答えていたでしょう。12人の弟子たちも、自分たちがイエスの弟子として有名になったことを自慢したいという思いがあったでしょう。しかし、イエスは、このような群衆の姿を見て、心を痛めておられたのです。彼らがメシアについてまったく自分勝手なイメージを作り上げていて、それ以外のメシアを受け入れる様子がなかったからです。

2020年6月
« 5月   7月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

CATEGORIES

  • 礼拝説教