2020年8月23日 『私はこの宮を栄光で満たす』(ハガイ2章1-9節) | 説教      

2020年8月23日 『私はこの宮を栄光で満たす』(ハガイ2章1-9節)

 ハガイ書2章に入る前に、1章で語られていることをもう一度手短に語ります。紀元前6世紀のことです。バビロンに滅ぼされた南ユダ王国の住民のほとんどは無理やりバビロンに連れて行かれました。これをユダヤ人のバビロン捕囚と言います。自分の国を失って初めて、ユダヤ人たちは、それが自分たちの罪によって起きたことだと悟り、彼らは悔い改めました。彼らがバビロンにいる間に、旧約聖書が整えられましたし、彼らはエルサレムの神殿に行くことができなくなったので、会堂に集まって礼拝をすることも始まりました。そのようなユダヤ人の姿を見て、神様が働いて、ペルシャ王キュロスによってバビロンは滅びました。神に選ばれた特別の器であったキュロス王は、バビロンにいたユダヤ人に、自分の国に戻り、破壊されたエルサレムの神殿を再建するようにとの命令を出しました。そこで、最初のグループとして、リーダーのゼルバベルと大祭司ヨシュアとともに約5万人のユダヤ人が帰国しました。彼らは、すぐに神殿の再建工事に取り掛かりますが、徹底的に破壊された神殿を再建する工事は非常に大変でした。そのうえ、サマリア人からの激しい妨害を受けて、やがて途中で工事はストップし、それから10年間、神殿はほとんどがれきのままほったらかしになっていました。そんな時、紀元前520年の8月に、神様が預言者ハガイをユダヤ人たちのところに遣わして、神様のメッセージを伝えました。それは、「あなたたちは、主の神殿を建てる時はまだ来ていないと言っている。しかし、神殿だけが廃墟になっているのに、あなたたちだけが板を張った住み心地の良い家に住んでいていいのか。?」というメッセージでした。神殿再建工事はキュロス王からの命令だったのですが、彼らはそれを忘れて、自分のためには快適な家を建てていたのです。ハガイのメッセージを聞いた、二人のリーダーと帰国した人々は、神を恐れて、預言者ハガイを通して語られた神様のからのメッセージに従いました。彼らは、ほったらかしにしていた神殿再建工事にもう一度取り掛かることを決心したのです。すると、すぐに神様からの約束の言葉が与えられました。それは「わたしは、あなたとともにいる。」という言葉でした。今日は、それに続く2章の1-9節を読みますが、この箇所では、ハガイを通して語られた神様のメッセージに応答した人々に対して、神様が与えられた約束「わたしは、あなたとともにいる」という約束が、具体的にどのようなものだったのかをより詳しく記しています。

(1)現在の状況
 2章1節を読みましょう。「第7の月の21日に、預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。」これは、1章15節を読むと、預言者ハガイからの神のメッセージに人々が従うと決断した日が第6の月の24日なので、それから約一か月後のことであることが分かります。実は、ユダヤ教では、第7の月の15日から22日までの1週間は「仮庵の祭り」と呼ばれる祭りが行われていました。仮庵の祭りはユダヤ教三大祭りの一つで、この一週間、イスラエルの民は木の枝などで作った仮の小屋に住むように命じられました。そのようにすることによって、人々は、自分たちの先祖が昔エジプトを脱出した後に荒野を旅しながらテント生活をしていたことを思い出して、神様に感謝と喜びを表す、そんなお祭りでした。お祭りの最終日には荘厳な集会が持たれるのですが、そのような時に、ハガイが再びユダヤ人たちに神様のメッセージを語りました。神様は、ユダヤ人たちがいろいろな意味で落ち込んでいることが分かっていたので、あえて、この日を選ばれたのだと思います。また、この日には特別な意味がありました。それは、バビロンによって破壊されたエルサレムの神殿は、元々ソロモン王が400年ほど前に建てたものでしたが、その神殿が完成して神に捧げた大いなる日が、やはり、この仮庵の祭りの時だったのです。この時、神殿の建築が完成し、すべてが整ったので、イスラエルの民にとって宝物であった、主の契約の箱が厳かな雰囲気の中で完成したばかりの神殿の中に運びいれられると、主の栄光の雲が神殿を満たしたので、祭司たちは立っていることができなかったのです。そして、ソロモンが長い祈りを捧げて、神殿の献堂式を行いました。教会の会堂でも建築が完成すると献堂式を行いますが、それは厳かな時であり喜びの時です。ハガイがこの日にユダヤ人たちにメッセージを語ったのは、彼らがいま取り組んでいる働きが、これほどに栄光に満ちた働きだということを知らせるためであったと思います。
 ユダヤ人たちが神殿の工事を再開してから約1か月が過ぎていましたが、その工事がどれほど進んでいたのかはっきしりしたことは分かりません。彼らは、ハガイが語った言葉に応答して、工事を再開しましたが、工事がなかなか進まないことに落ち込むこともあったはずです。それだけはなく、帰還したメンバーの中の高齢者たちは、バビロン破壊される前の神殿を見ていた人たちもいたはずです。彼らは、ソロモンが建てた神殿の絢爛豪華な姿をはっきり記憶してました。ハガイは、その人たちは、過去の栄光を知っているだけに、それと比べると今再建している神殿があまりにもみすぼらしく見えるので、がっかりしているに違いないと思いました。それで、3節で次のように言いました。「あなたがたの中で、かつての栄光に輝くこの宮を見たことがある、生き残りの者はだれか。あなたがたは今、これをどう見てるのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。」ソロモンが建てた神殿については第一列王記の6章7章、第二歴代誌の3章に詳しく記されていますが、その神殿には多くの宝石が飾られ、建物の内側全体が金で覆われていました。ある人の計算では、建築費は今の価値に換算すると4兆円ほどだそうです。そのため、ソロモンの神殿を見ていた高齢者たちは、昔の神殿と比べると目の前の神殿が貧相に見えて、ひどく落胆していたのです。しかし、確かに、今、彼らが再建している神殿にはソロモンの神殿のような輝きはありませんが、彼らが再建している神殿は、神の御心に従って建てている神殿です。ソロモンの神殿も再建中の神殿も、神の家であることに変わりはなく、そこで行われるいろいろな働きや、神への礼拝は、まったく同じなのです。神殿にとって大切なことは見栄えではなく、そこでどんなことが行われているのか、そこで行われている神様のための働きが大切なのです。神様は、そのことを人々に伝えて、彼らの心に神殿再建に対する新しい情熱を与えようとされました。

(2)過去について(4-5節)
 神殿の再建工事には、まだまだするべき仕事が多く残っていました。したがって、何かちょっとしたことで、彼らが神様のために働く情熱を失う危険性がいつでもありました。そこで、預言者ハガイは、彼らに、過去の出来事を思い出させて、「強くあれ」と彼らに向かって叫んでいます。神殿では、天井からぶら下がった分厚いカーテンの奥にあった至聖所と呼ばれる場所に神様がおられる見なされていました。しかし、神殿が建てられる前の時代、イスラエルの民がエジプトを脱出して約束の国に向かって旅をしていた時には、神様は、昼は雲の柱、夜は燃える火の柱となって、イスラエルの民とともにいることを表しておられました。彼らは見知らぬ国を目指して砂漠のような場所を旅していたので、彼らにとって雲の柱や火の柱は、どれほど心強かったことでしょう。やがて、神様は、シナイ山という山の山頂でモーセに十戒を与えて正式にイスラエルの民を神の民として契約を結びました。ところが、この契約を結んだ直後に、イスラエルの民は、モーセが山から下りて来るのが遅れたために、待ちきれなくなって勝手に金の子牛の偶像を造って偶像礼拝を始めてしまいました。イスラエルの民は大きな罪を犯しました。そんな、不信仰のイスラエルの民に対して、神様はさばきとして、イスラエルの民を約束の国まで導くことは導くが、自分は彼らと一緒には行かないことをモーセに知らせました。すると大きな恐れを感じたモーセは神様に強く迫りました。神様が一緒に行ってくださらないのなら、私たちをそこまで行かせないでくださいと強く神様に迫ったのです。すると神様は言われました。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」(出エジプト33章14節)神様は、約束に忠実であり、人間の側が約束を破ることは何度もありますが、神様が約束を破ることは一度もありません。ハガイ書2章5節には次のように書かれています。「あなたがたが、エジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はああたがたの間にとどまっている。恐れるな。」彼らの目の前は、神殿が破壊されて、神の臨在を象徴するものがなくなっていたのですが、彼らのための神様の約束も変わることはありませんでした。神様が、神殿を再建している人々にもう一度言葉をもって、ご自分が彼らとともにいることを保証してくださいました。だから、彼らに「恐れるな」と言われたのです。この約束は、私たちにも与えられています。私たちは、神様がともにおられることを知っているから、周囲でいろいろなことが起こっても、恐れずに生きることができるのです。

(3)将来に向かって(6-9節)
 6節から、ハガイは、目の前で再建工事が行われている神殿の将来を預言者の目で見ています。この神殿は、ソロモンの神殿が壊された後に再建されたものなので、第二神殿あるいは、リーダーのゼルバベルの名前をとって、ゼルバベル神殿と呼ばれます。この神殿は、主イエスの時代には、ヘロデ大王によって拡張工事が行われていましたが、以前として第二神殿とみなされていました。7節の終わりで、神様は「わたしはこの宮を栄光で満たす。」と言われました。また9節には「この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。」とも言われています。「この栄光」とは、ハガイの時代から約550年後に私たちの間に来てくださった御子イエスの栄光を現わしています。ヨハネの福音書の1章に、御子イエスが父なる神のもとからこの世に来られたことについて、「御子イエスは人となって私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」と書かれています。主イエスがこの世にこられたときにもたらされた栄光は、モーセが幕屋を建て上げた時に幕屋に満ちた栄光や、ソロモン王が神殿を神に捧げたときに神殿に満ちた栄光と比べると、はるかに大きな栄光だと神様が言われたのです。それだけでなく、9節の終わりには、神様は、「この場所にわたしは平和を与える」と約束してくださいました。御子イエスは、「平和の君」と呼ばれました。ヘブル語もギリシャ語も英語も「平和」という言葉には「平安」という意味も含まれています。御子イエスは私たちに平和を与える方であり、平安を与える方です。聖書は、イエス・キリストを信じる者は、信仰によって罪が赦されているので、イエス・キリストによって神との平和を持っていると約束しています。もし、私たちのそばに自分を攻撃するような敵がいれば、いつもいのちを狙われていますから、その人生を生きることは大変です。私たちにとって一番大きな敵となりうるのは神様です。神様は聖なる神なので、人間の心にある自己中心の罪を見逃すことができません。しかし、主イエスの十字架の死は、私たちのために身代わりとなって、私たちが受けるはずの刑罰を受けた死であったことを信じる者は、その信仰によって罪が赦され、神様は私たちの味方になってくださいます。私たちは神との平和を持っているのです。この世界とその中にあるすべてのものを造られた神様、全知全能の神様が、私たちの味方であるなら、私たちはだれを恐れる必要があるでしょうか。それだけではありません。私たちは、神様から心の平安も与えられます。神様を知らなければ、私たちは、困難や問題に直面した時に、全部自分一人で抱えて、自分一人で立ち向かわなければなりません。しかし、神を信じる者は、いつでもどこでも神様に向かって祈ることができます。ピリピ4章6,7節には次のような約束が記されています。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」今、バビロンから戻って来た人々の目の前にあるのは、栄光には程遠い姿の神殿でした。しかし、神様は、この神殿に主イエスの栄光が満ちる時が来ることを彼らに知らせて、彼らに新しい夢と希望を与えてくださいました。
 しかし、預言者ハガイの目は500年後の主イエスだけを見ているのではありませんでした。しばしば預言者は、今の時代、将来の時代、さらには、もっと遠い将来、世の終わる時を山が重なるようにして見ています。この6節から9節のことばも、主イエスの時代のことだけでなく、さらに遠い将来、世の終わりの時をも同時に見ています。6,7節で神様はこう言っています。「まもなく、もう一度、わたしは天と地、海と陸を揺り動かす。わたしはすべての国々を揺り動かす。」この言葉は、新約聖書のへブル書12章で引用されていて、その言葉は、世の終わる時、主イエスがこの世界を裁き、この世界を支配するためにもう一度来られる時を表すものだと説明しています。神様は、モーセに十戒を与えて人間と神との間の関係が正式に成立したのですが、その時、モーセが立っていいたシナイ山が揺れました。しかし、神様がもう一度、この世界全体を揺り動かす時が来ます。へブル書は、もう一度揺り動かすことについて、次のように説明しています。「もう一度揺り動かすというのは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち、造られたものが取り除かれることを示しています。クリスチャンは、揺り動かされない神の国を受けるのですから、私たちは神様に感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝を捧げようではありませんか。」

 私たちの時代、世の終わりが近いと言われています。今も、コロナウィルスによって世界は揺り動かされています。これまでの経済がひっくり返ってしまいました。世界の情勢も、決して平和に支配されているとは言えない状況です。自分の生活がいつ揺り動かされるか分からない、私たちはそんな時代を生きています。しかし、確かなことは、私たちの将来は決して揺り動かされることがないということです。だから、どんな時代であっても、私たちは、神様がともにおられる会堂で、感謝の心と、神様への尊敬の心をもって、神様に喜ばれる礼拝を捧げ続けたいと思います。

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