あの子供の頃、誰かが私を愛してくれていると感じていた……! | 北本福音キリスト教会      
長老:石黒 早苗 兄平井 紹子 姉新井 あき子 姉伊東 雅和 兄松沢 順子 姉F・H 兄海島 晴由 兄遠藤 浩範 兄河村 幹夫 兄山田 恵 姉

あの子供の頃、誰かが私を愛してくれていると感じていた……!|新井 あき子 姉

 私が生まれる前に父が亡くなり、一歳のときには祖父が亡くなりました。「お父さん、おじいさん、私を早く大きくしてください」と仏壇の前で手を合わせていつも祈ったことが、もの心ついた私の最初の記憶です。小学校二年生のときに養父が来ました。三つ上の姉は父に馴染めず母は大変苦労しました。養父からの虐待が私にもありました。 小学校の担任の先生は何故か私のことを「あきさん」と「子」をつけずに呼びました。母が「あき子」ですと抗議しましたが、その後もずっと「あき」と呼ばれ、クラスの同級生から笑われコンプレックスを持ち続けました。その当時「あき」という名はおばあさんの名前のように思われたからです。(社会人になるときに、戸籍が「あき子」になっていることを初めて知りました)家がぼろ屋だったことも、先生の家庭訪問を恥ずかしく思いコンプレックスの一因でした。  小学校高学年になったある晩、父が不在のときに、母と姉が家出する相談しているのを聞いてしまいました。(もうどうしようもないから家出しようと話しあい、お金がいるからと預金通帳を調べていました)「私はおいていかれる」と思い、悲しくて布団をかぶって泣いていました。それに気づいた母が、どこにも行かないからと私を慰めてくれ、家出は取りやめになりました。養父が来てからお金には困らなくなりましたが、養父が締まり屋なので、ひどく貧乏な家のようでした。そんな家の中を明るくするために冗談を言って笑わせるのは私の役目でした。しかし子供の頃から漠然としてですが、私は誰かに愛されている、誰かに守られているという感じをもっていました。

 あまり気の進まない結婚をして虚しい日々を過ごしているとき、キリスト教伝道のテレビを見て、はがきを出しました。番組から紹介された近くの教会にしばらく通いました。神様との出会いを感じたのですが、周囲の環境とかを考え、このまま信仰生活を続けられないと思うようになり教会から離れてしまいました。今から二十数年前のことでした。  それからしばらくして私は会社に勤め始めました。その後二十二年間、昨年の八月まで、病気やケガもいろいろありましたが一度も休むことなく勤務することができました。蓄膿症の再発と更年期障害による背骨の変形という二度の大きな病気がありましたが、いつも助けてくれる人が現れて、辛い日々を乗り越えることができました。  最後の職場では、精密金属部品加工機械四台のオペレーターをやりました。この機械のコンピューター設定画面が高い位置にあり、そのことが自然に体のリハビリにもなったようで、しびれていた手が治ってしまいました。また機械火災が三度もありましたが、自分が原因のトラブルは一度もありませんでした。それは毎朝神様にお祈りしていたから、いつも神様が守ってくれるのだと思っていました。 男性ばかりの職場の中で、唯一の女性オペレーターとして大事にされていました。午前三時に起きて月や星をながめながら出勤していた頃は、人生で一番充実していました。この仕事は神様が与えてくださったものと、神様にいつも感謝をしていました。

 三年ほど前に、海外勤務で働いていた長男が病気になり東京に戻って来ました。その後の回復が思わしくなく三ヶ月ほど入院することになりました。また私の勤務していた会社が県外に移転することになり、私は思いきって退社することにしました。 自分の人生で一番やり甲斐を感じていた仕事を辞めてしまったら、病気になってしまうのではないか、寝込んでしまうのではないかと思い悩みました。病気で具合が悪くても、はってでも会社に出て仕事したいと思う私の性質でしたから、何もしないことには絶えられないと心配でした。 そこでやっぱり教会に行きたいという思いが強くなってきました。 しかし以前行った教会は行きにくいし、北本市に南国を思わせるようなきれいな教会があったことを思い出しましたが、行ってみる勇気が出ませんでした。そんなときに、近所に住むお友だちが訪ねてきて、「私はクリスチャンになったから、今度の神社の当番はできない」と言ってきました。そのことばを聞いた瞬間「私も教会に行く!」と言いました。

 初めて北本福音キリスト教会に来たのは、99年3月17日でした。その年の8月22日に洗礼を受けました。受洗は会社を辞めてからでないと無理だと思っていた私に、小西牧師が声をかけてくださいました。受洗準備のための時間も神様が与えてくださり、神様に守られて、受洗準備の学びを終えることができました。 神様を信じたとき、私はすべてを失ってもよいからクリスチャンになろうと思いました。これだけは残しておきたいなどと思うものは何一つありませんでした。ときどき初心を振り返ったとき、そのことをいつも思います。教会に行くようになって多少の迫害もありました。聖書講演会で松岡広和牧師が「迫害を受けると嬉しくなった」と言っていましたが、私も迫害は信仰の力となりました。

 祈りに祈ってきた三年間でした。神様はいつも私の祈りのすべてに愛を示されました。ある日、夫が近所の家の人に挨拶をしたらひどいことばを返されました。その人は家でおもしろくないことがあると、私の家の者に当たり散らすのです。私はその人のために祈ろうと思いました。「神様、お隣の人が、隣り人を自分自身のように愛せるようにしてください。ふたりを祝福してください。健康をお守りください」と毎日祈りました。その方が家の事情で引っ越しすることになったとき「あなたのような人にまた出会えたらいいな」と言ってくださいました。 夫がケガをして50日間会社を休みました。その後痛みをこらえながら仕事をしていましたが、トイレにかけてあった聖書のみことば『私は、あなたのみおしえを喜んでいます。苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。』(詩篇 119)をみて、夫にしてはめずらしく歓喜してこう言いました。「ケガしたことはよいことなんだ。自分にとっても回りの人にとっても良いことなんだ」と。とても嬉しい出来事でした。 長男は週五回デイケアに通っていました。昨年四月で会社も退職になり途方に暮れていましたが、大学の先輩が「友達は一生友達です。僕が面倒を見ます」「君のペースでよいから、リハビリに私の会社に来なさい」と言ってくれました。それから、月曜日一日デイケアに行き、火曜から金曜日まで会社に通えるようになりました。病院の先生も本当に驚いていました。神様に感謝です。

 長男の病気は、神様からの計らいであり、愛だと感謝して受け止めています。この試練がなかったら、私はごうまんな生き方を今も続けていたと思うとぞっとします。今の状態がいつまで続くのか、この状態がいつくずれるかわかりませんが、すべてを神様にゆだねて、自分をいつも愛してくれる神様を信じて、唯一の神様を信じて、クリスチャンとして成長したいと思っています。そしてまだ神さまを知らない人を教会に導きたいと思っています。『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。』 (・テサロニケ 5:16~18)  私が好きな聖書のみことばです。祈ることはすばらしいことです。祈ったことには神様は必ず応えてくださるから、心に平安があります。祈ることは、ほとんど周りの人のためです。周りの人が幸せになると自分も幸せになれます。 あの子供の頃、誰かが私を愛してくれていると感じていた「誰か」とは、実は天の神様だったのですね。インマヌエル(主はともにおられる)アーメン