2017年4月2日 『神をさばく人間』(マルコ15:1-20) | 説教      

2017年4月2日 『神をさばく人間』(マルコ15:1-20)

 今年もイースターが近づいて来ました。クリスチャンにとって、イースターはクリスマスよりもはるかに大切な時です。主イエスの十字架と復活は私たちの信仰の土台そのものであるからです。主イエスが復活する前に、主イエスは、神のひとり子でありながら、十字架にかけられました。表面的に見ると主イエスは、ユダヤ教の指導者たちの陰謀によって十字架にはりつけになったように見えますが、本当は、人間がイエスを裁判にかけて死刑にしたのではなく、イエスが自分から進んで十字架にかかってくださったのです。主イエスは、ある時、言われました。「だれも、私からいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをも一度得る権威があります。」イエスが十字架にかけられることは、この世の人々を罪から救うために神様が計画されていたことであって、人間が決めたことではないのです。しかし、ユダヤ教の指導者たちは、自分たちがイエスをさばいて、死刑にしたと考えていました。主イエスは、、木曜日の夜に弟子たちと最後の食事をし、その後、ゲッセマネと呼ばれるオリーブ園で祈りをささげたのち、裏切り者ユダに連れられたローマ兵によって捕まえられました。その後、聖書に記されているイエスの裁判は全部で6回あります。ユダヤ教指導者による宗教的な裁判が3回、ローマ総督やガリラヤの領主ヘロデによる政治的な裁判が3回です。宗教的裁判では、2回目のものがマルコの福音書14章の53節から65節までに記されています。当時のユダヤ教では、議会が裁判所の働きも行っていました。サンヘドリンと呼ばれる議会は、祭司長、律法学者、長老など71人で構成されていて、ユダヤ教トップの大祭司が議長を務めました。14章53節には、「みな集まって来た」と書かれていますが、すでにイエスを信じていたニコデモとアリマタヤのヨセフは呼ばれていなかったと思われます。というのは、ユダヤ議会では、すべてのことが全員の賛成でないと決められなかったからです。普通、裁判とは、何か問題や事件が起きた時に、真実を見つけて、誰かに罪があるかないかを、法律に基づいて判断することですが、この時は、違いました。55節に「全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠を見つけようとした。」と書かれています。最初から判決は決まっていました。彼らは何とかしてイエスを死刑にする証拠を見つけようとしていたのです。しかし、もともと、イエスを死刑にする理由がありませんから、いろいろな人がいろいろなことを言っても、つじつまが合わずに、証拠が見つかりませんでした。裁判長をしていた大祭司のカヤパはだんだんイライラしてきました。イエスに「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」主イエスは、訴える者たちの証言がみな嘘であることを知っておられましたし、自分を守るための発言はされませんでした。有名なイザヤ書の預言にあるように、主イエスは「ほふり場に引かれて行く小羊のように」口を開きませんでした。困り果てた大祭司カヤパはイエスに尋ねました。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」イエスは、この質問に答え義務はありませんでした。しかし、主イエスにとって、これは定められた時であったのです。今まで、いろいろな人がイエスを死刑にするために、あらゆる嘘を言ってイエスを訴えていましたが、その時はイエスはまったく口を開きませんでした。しかし、この時は、はっきりと、「わたしは、それです。」と言われたのです。それだけではなく、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」とも言われました。この言葉は、二つの意味があります。一つは、ご自分が旧約聖書が預言していた約束の救い主であることを宣言されたことであり、もう一つは、神の御子であるイエスを裁こうとしているユダヤ教指導者たちへの警告の言葉です。聖書には、救い主はこの世に2回来ると預言されています。一度目は、私たちの罪を赦すために、私たちの代わりに苦しみを受けるためです。これは2000年前に起こりました。もう一度は、世の終わる時にこの世をさばくために来られます。その時の様子が、ダニエル書7章13節に「見よ。人の子のような方が天の雲に乗って来られる。」と書かれています。主イエスは「裁くのはあなた方ではなく、私なのだ。」と言われましたが、彼らにはイエスの言葉を聞く耳がありませんでした。このイエスの言葉を聞いて大祭司カヤパは激しく怒りました。14章63節にこう書かれています。「すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。『これでもまだ証人が必要でしょうか。あなたがたは神をけがす言葉を聞いたのです。』」そして、サンヘドリン議会はイエスに死刑にあたる罪があると決めました。主イエスは、ご自分が神の御子であるから、そうだと証言したのですが、人々は神への冒涜だと決めつけて、イエスにひどい仕打ちをしました。イエスの顔につばをかけたり、顔を布で覆ってこぶしで殴りつけて「誰が殴ったか言い当てろ」と言ったり、あるいは役人がイエスの顔を平手で打ったりしました。この時も主イエスは一言も口を開かず、じっと耐えておられました。主イエスは、自分の使命をはっきりと知っておられました。私たちの罪が赦されるために、その罪の刑罰を自分が身代わりに引き受けることでした。このこともイザヤ書に預言されていました。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちはいやされた。」(53:5)のです。私たちのために、イエスはこのようなひどい仕打ちを耐え忍んでくださいました。ここに、主イエスの私たちに対する愛が現れています。

 15章1節に「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、彼らはイエスをローマ帝国の総督ポンテオ・ピラトのもとへ連れて行きます。なぜ、ピラトのもとへ連れて行くのかというと、当時、イスラエルはローマ帝国に支配されていたために、ユダヤ議会には十字架による死刑を宣告することができませんでした。ユダヤ教の指導者たちは、イエスを十字架にかけることを決めていたので、それを宣告できるローマ総督ピラトのところへ連れてきたのです。イスラエルはBC66 年にローマ帝国によって征服されて支配を受けるようになりました。そしてローマは支配者として総督を送りましたが、ピラトは6代目の総督です。福音書ではピラトはユダヤ教のリーダーよりはましな人間のように描かれていますが、実際にはイスラエルの民衆が彼に逆らった時には激しい弾圧を加えていた人間でした。ユダヤ人の間での裁判では、主イエスは、自分を神と主張する神を冒涜する罪を犯したとして裁かれました。しかし、ローマ人のピラトは、ユダヤ人の宗教を知りません。ローマには多くの神々があって、彼はいろいろな神の偶像を拝んでいたことでしょう。彼はユダヤ人の宗教にもユダヤ人の神にも関心がありませんから、「イエスが神を冒涜した」という罪はまったく理解できなかったでしょう。それで、ユダヤ教の指導者たちは、訴えを変えて、「イエスは自分をユダヤ人の王だと宣言した。」という犯罪にすり替えたのです。しかし、すでに顔を殴られ、つばをかけられたイエスには王様のような姿はありませんでした。ピラトはどうしても納得がいきません。それで、イエスに尋ねました。「あなたは、ユダヤ人の王なのか?」するとイエスは、このときもはっきりと「そのとおりです。」と答えています。すると、横にいたユダヤ人の指導者たちは、ピラトに、ありもしないことをピラトに訴えています。新改訳では「イエスをきびしく訴えた」と訳されていますが、原文のギリシャ語では、「イエスについて多くのことを訴えた」と書かれています。ルカの福音書を見ると、彼らは、「イエスが国民を惑わしている」とか「ローマ皇帝に税金を払うことを禁じた」とか「自分は王キリストだと言った」などと訴えています。最初の2つの訴えは嘘です。イエスは人々を惑わすことなどしていません。むしろ多くの人々をいやし、慰め、愛を注がれました。また、ローマ皇帝に税金を払うなと言われたこともありません。むしろ、ローマ皇帝のものはローマ皇帝に返しなさいと言われました。ただ、3番目の訴えは、嘘ではではなく、ピラトにとっても一番不安を感じるものでした。ローマ皇帝の代理としてイスラエル支配しているピラトにとって、誰であれ、ローマ皇帝にかわって王様になろうとする人間がいれば、厳しく処罰しなければならなかったからです。それで、このことを確かめるために、ピラトはもう一度イエスに「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなに訴えているのです。」と言いますが、イエスは何も答えませんでした。ピラトにはどうしてもイエスが死刑に値するようには見えませんでした。
 困り果てたピラトは、イエスに対して興奮している群衆の心をなだめるために、一つの提案をします。それは、祭りの期間中、囚人をひとり赦免することが慣習になっていたので、極悪人のバラバという囚人を連れて来させます。そして群衆の前にバラバとイエスを立たせて、どちらを釈放してほしいかと群衆に尋ねることにしたのです。バラバは有名な極悪人でしたので、ピラトは、この二人を並べれば、群衆もきっとイエスを釈放するように言うだろうと考えていました。群衆は、ユダヤ教指導者からイエスを十字架につけろと叫ぶようにと言われてお金をもらっていたと思います。すでに、群衆は興奮して暴徒と化していましたから、ますますイエスを十字架につけろという声が大きくなりました。ピラトはイエスが死刑に値するようなことは何もしていないことが分かっていましたので、困り果てていたのですが、群衆が言った一つの言葉が彼を態度を決定させました。それはヨハネの福音書に記されているのですが、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」彼はローマ帝国の官僚です。出世することだけを求めて皇帝に仕えて来ました。もし民衆が暴動を起こしたら、それは彼の失敗になり、出世ができなくなります。しかも、群衆が「ピラトはローマ皇帝の味方ではない。」などと騒いだら、自分の地位もいのちも危なくなってしまいます。ピラトは、この裁判を群衆に丸投げし、自分には責任はないと言ってイエスを十字架刑にすることを許可しました。

 ピラトは、イエスをむち打って後、十字架につけるようにとローマの兵士に引き渡した。すると、兵士たちはイエスを、ピラトの総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めました。そして、兵士たちはイエスに特に関心があったわけでもないのですが、ユダヤ人の指導者たちとともに、イエスにあらゆる限りの仕打ちをしました。17~19節には次のように書かれています。「そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と叫んであいさつをし始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。」王の王、主の主であるイエスをこのように侮辱する兵士たちの姿に私たちは強い怒りを感じます。しかし、イエスは一言も口を開かず、すべてを耐えてくださいました。なぜでしょうか。その理由を弟子ペテロは次のように述べています。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(第1ペテロ2:23,24)主イエスは、当時の人々の罪のゆえに、ひどい辱めを受けましたが、それは、その時代の人々だけでなく、すべての歴史の中に生きた、あるいはこれから生きる人も含めて、すべての人の罪を自分の身に背負ってくださるためでした。ですから、ローマの兵士や、ユダヤ教の指導者たちや、心無い民衆たちだけがイエスを苦しめたのではなく、私たち一人一人の心に浮かぶ悪い思い、口から出る悪い言葉、そして私たちの自分勝手な行い、その一つ一つが 主イエスへの辱めなのです。それらを主イエスはすべて耐え忍んで、十字架にかかってくださいました。私たちは、そのことを決して忘れてはなりません。十字架は私のためであったことを、忘れてはならないのです。

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