2017年8月13日 『祈りと計画』(ネヘミヤ2章) | 説教      

2017年8月13日 『祈りと計画』(ネヘミヤ2章)

 ネヘミヤは、ユダヤ人でありながら、ペルシャ王アルタシャスタの側近に任命されるほどの人物でした。ペルシャ王の豪華な宮殿で王様に信頼されて仕事をし、裕福な生活をしていたネヘミヤは、人間的に見ると非常に恵まれていました。何の心配もなく毎日を過ごすことができました。しかし、彼は、ペルシャ王の側近ではありましたが、自分がユダヤ人であることを忘れることなく、また、同胞のユダヤ人、特に、イスラエルに住んでいるユダヤ人たちが大きな苦しみを経験していたことに、非常に胸を痛めていました。ある日、ネヘミヤのところに親戚のハナニという人が仲間と一緒にやって来て、最近訪れたエルサレムの悲惨な状況を知った時に、彼はそれを他人の問題として考えることができず、大きな悲しみの中で神様に祈り、自分は何をすればよいか考えていました。彼は、一人の神を信じる信仰者にすぎなかったのですが、神様への信仰を持っていたことによって、ユダヤ人の歴史に残る大きな働きを行う人になりました。主イエスは、「信じる者には、どんなことでもできるのです。」(9章23節)と言われましたが、ネヘミヤには、神様の力と恵みに対する大胆な信仰を持っていました。今日は、ネヘミヤの信仰を学びたいと思います。

(1)待つ信仰(1-3節)
 1章1節によれば、ネヘミヤが親戚のハナニからエルサレムのことを聞いたのは「キスレウ」という月でした。キスレウは現在の11月から12月の時期に相当します。そして2章の1節には「ニサン」の月になっています。「ニサン」は、現在の3月から4月に相当しますので1章と2章の間には4か月の時間の経過があったことが分かります。私たちは、ショッキングなことに出くわしたり、大きな苦しみを感じたりする時、どうしてもすぐに何かしようと動いてしまいますが、ネヘミヤは、4か月の間、神様の導きを求めて祈っていました。へブル書の6章12節は、信仰のヒーローたちを「信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たち」と説明していますが、神様が私たちに約束しておられるものを手に入れるのに必要なのは、純粋な信仰と忍耐です。全能の神を信頼すれば、心に不思議な平安を感じることができ、自分の力で何とかしようとせず、あたふたと動き回らないで落ち着いていることができます。聖書の中で、神様は繰り返して、私たちに「神を信頼して落ち着きなさい」と語っています。エジプトを脱出したイスラエルの民が、行く手には紅海という大きな海があり後ろからはエジプトの軍隊が追いかけてきて絶体絶命のピンチに陥った時、神様はモーセに語りかけました。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」詩篇の46篇10節には、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」という神様の言葉が残されています。4か月の間、ネヘミヤは、神の力を信頼しつつ神に祈りながら神の導きを待っていました。
 4か月間、毎日、ネヘミヤは神に祈っていました。「神様、もし王様にエルサレムのことを話すべき時が今日だとするなら、どうか、王の心に働いて、道を開いてください。」と祈っていました。しかし神様からすぐに返事はありませんでした。彼は、毎日毎日、神様の導きと助けを求めて祈っていたはずです。そんなある春の日のこと、ネヘミヤはエルサレムの悲惨な状態のことが心に重くのしかかって、知らず知らずのうちに、王様の前で彼の顔がひどく悲しげに見えました。メソポタミアの王様は独裁者であって、少しでも気に入らないことがあると、いとも簡単に人を処刑していました。王様に仕える人々は決して王様の前で暗い顔をすることは許されませんでした。ネヘミヤも王様の前に出る時はいつも注意していたと思いますが、その日はどうしても悲しい気持ちを隠すことができなかったようです。彼の表情がいつもと違っていたので、王はネヘミヤに言いました。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」この言葉にネヘミヤはひどく恐れました。自分が王様の前で暗い顔をしていたために、王宮を追い出されるかもしれないと思ったからです。ネヘミヤは、語る言葉に注意して王様に答えました。ネヘミヤはこの時をずっと待っていました。そして、王様からこのように聞かれた時に、どのように答えたらよいか4か月の間じっくりと考えていました。彼は、すでに、自分がエルサレム再建のために立ち上がる覚悟を決めていたのです。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」彼は、エルサレムという町の名前を言いませんでした。というのは、エズラ記の4章に記されているのですが、以前、帰還したユダヤ人がエルサレムの城壁を再建しようとした時に、北に隣接するサマリヤ地方の住民がそれを阻止するために、ペルシャ王に訴えて、その結果アルタシャスタ王がエルサレムの城壁の再建工事を止めさせたということがあったからです。そこで、ネヘミヤは、まず、「王よ。いつまでも生きられますように。」と言って自分が王様に対して絶対的に忠誠を尽くすことを誓い、それから、エルサレムという名前は出さずに、ただ、自分の先祖たちが悲惨な状況にあることだけを語りました。メソポタミアの文化では、人々は先祖を非常に敬っていました。そこで、ネヘミヤはまず王様の先祖に対する敬意に訴えたのでした。

(2)ネヘミヤの祈り
 神様が王様の心の中に働いておられました。箴言21章1節に書かれているとおりです。「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」ネヘミヤの言葉を聞いた王様は、腹を立てることなく、ネヘミヤに尋ねました。「では、あなたは何を願うのか。」この言葉を聞いてネヘミヤは何を思ったでしょうか。待ちに待ったチャンスがやって来ました。当時世界最大のペルシャ帝国の王様、一切の権力と富を手にした王様から「何をしてほしいのか」と尋ねられたのです。ネヘミヤはどうしたでしょうか。4節に「私は、天の神に祈ってから」と書かれています。彼は、ペルシャの偶像できらびやかに飾られた一室で、世界一の権力者ペルシャ王の目の前で、心の中で天と地を造られた全能の神に祈りを捧げたのです。私たちは、この世の権力者を前にするとその権力の大きさに萎縮したり圧倒されたりするかも知れませんが、ネヘミヤは、人を恐れることなく全能の神を信頼していました。今、王様の前に立っているネヘミヤは、祈るためにひざまずくことも手を組むことも目を閉じることもできません。もし、彼が祈りのポーズをとって祈ったら、王様は彼が何か謀反でも企てているのかと疑うからです。ネヘミヤ記には、あちこちに、このようなネヘミヤの一瞬の祈りが記されています。例えば、6章9節では、城壁再建工事の妨害を受けた時に彼は祈りました。「 事実、これらのことはみな、「あの者たちが気力を失って工事をやめ、中止するだろう。」と考えて、私たちをおどすためであった。ああ、今、私を力づけてください。」「ああ、今、私を力づけてください。」この短い祈りを祈ることによって、ネヘミヤは妨害や脅迫に立向うことができました。この時も、心の中で祈ったでしょう。「神様、感謝します。王様に言うべき言葉を教えてください。」ただ、ネヘミヤはいつも一瞬の祈りをささげていたのではありません。これまで4か月の間、彼は自分の部屋では長い祈りを捧げていました。その祈りの裏付けがあったからこそ、この一瞬の祈りは聞かれたのです。しかも、これは本当に一瞬の祈りでした。あまり長く彼が黙っていると、これもまた王様に何かを疑念を与えることになるからです。彼は、王様の献酌官としてお酒をついでいる時に、待ち望んでいたチャンスが訪れました。私たちも、普段の生活をしている真っ最中に、長年待ち望んでいたチャンスが巡ってくるかも知れません。その時にこそ、私たちはネヘミヤのように、一瞬でも神に祈り、神の導きや助けを求めることが大切です。 
 ネヘミヤは王に答えました。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」「このしもべを入れてくださるなら」とはどういう意味でしょう。当時、王様に自分の願いを聞いてもらうためには、まず王様から「苦しゅうない、近こう寄れ」と招かれなければならなかったのです。王様に向かって自分の願いを直接伝えることは、本当に大変なことでした。ネヘミヤと比べれば、私たちは本当に恵まれています。私たちが神様に向かって祈る時は、神様から近くに寄りなさいと招かれるのを待つ必要はありません。主イエスの十字架が私たちと神様との間の隔たりをすべて取り除いてくださいましたので、私たちは、いつでも、大胆に神に近づき祈りをささげることが赦されています。ペルシャ王に願い事を言う時、人々は慎重に言葉を選びました。自分の言葉によって王が腹を立てたら大変だからです。しかし、私たちは、神様に向かってどんなに大胆に語っても大丈夫です。神様はそれほどに、私たちを愛しておられ、私たちのどんな祈りにも耳を傾けてくださるのです。
 神様の働きを感じたネヘミヤは王様に大胆に自分の願いを語りました。エルサレムの悲惨な状態を知ってから4か月彼は祈り、考えて、自分がこれから何をするか心に決めていました。彼はまず、「私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」と答えました。彼は、王様の許しがなければ献酌官の立場を離れることができませんし、エルサレムに行って壁を再建することもできません。しかも、現地では、以前起きたように、サマリヤ人たちからの妨害が起きることも考えられます。ここには記されていませんが、5章14節を見ると、彼は王様に、エルサレムの城壁再建の工事が終わるまで、エルサレムの総督にしてほしいと願いました。(参照5:14『私がユダの地の総督として任命された時から、すなわち、アルタシャスタ王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も、総督としての手当を受けなかった。』)彼は、結局、12年間エルサレムに住み着くことになります。彼が王様に願ったのはそれだけではありません。ペルシャの都シュシャンからエルサレムに行くまで、いくつかのチェックポイントを通るので、エルサレムまでの通行許可証を求めました。また、工事のためにはいろいろの資材がいります。ネヘミヤは、それについても4か月の間にいろいろと調べていました。彼は8節で「王に属する御園の番人アサフ」と言っていますが、彼は資材を提供できる国王所有の森林の管理人の名前まで調べていたのです。すると、王様は彼のすべての願いにこたえてくれました。ネヘミヤは、神様の御手が働いているのを知っていました。それで、彼は「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。」と書いています。

(3)他の人々にチャレンジを与える信仰
 いよいよネヘミヤはエルサレムに向けて出発しました。旅の様子は書かれていませんが、シュシャンからエルサレムまでは2か月かかります。ネヘミヤは新しい総督としてエルサレムに赴任するので、兵士たちに守られて無事にエルサレムに着いたはずです。新しい総督がやって来るのですから、ネヘミヤの到着はすぐに大きなニュースになりました。特に、ユダヤ人を嫌い、エルサレムの復興を嫌っていたサマリヤ人たちにはすぐに届きました。ここに3人の名前が記されています。ホロン人サヌバラテ、アモン人トビヤ、そして19節に記されたアラブ人ゲシェムです。サヌバラテはネヘミヤのようにサマリヤ地域を治める役人でしたので、彼がネヘミヤにとっては第一の敵でした。トビヤについては、歴史を通じてユダヤ人の敵であったアモン人だったのですが、6章を見ると、これから城壁再建に関わるネヘミヤの仲間たちと親戚の関係にあり、さらには、13章を見ると、エルサレム神殿の祭司エリアシブとも親しい関係にありました。このような状況で、トビヤは、エルサレムに住むユダヤ人たちの間に入り込んでユダヤ人内部の情報を手に入れてサヌバラテに伝える役目を果たしていました。ネヘミヤが後に知ることになるのですが、彼にとっての最大の敵は外部の人間ではなく内部の人間だったのです
 彼は、エルサレムに到着して、三日間とどまったのですが、まず、ひそかにエルサレムを偵察しました。すぐに働きを始めるのではなく、十分な調査をすることが必要だと思ったからです。彼は、敵に知られないように、夜中に、数人の仲間だけをつれてエルサレムを偵察しました。偵察したことは他の誰にも話していません。エルサレムの城壁を回ってみると、確かに親戚のハナニから聞いたとおりの状況でした。視察を終えるとネヘミヤは、ユダヤ人の代表者を集めて、彼らにチャンレンジします。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。ネヘミヤは、ただ彼らを励ますだけではなく、これまでの半年間、彼がエルサレムのことを聞き、4か月間祈り備えて、神様の導きと助けの中で王様に自分の願いを語ったこと、それに対して王様が語ったこと、これらすべての中に神様がつねに働いておられたことなどを語りました。このことがエルサレムのユダヤ人の心を動かしたので、彼らは、ネヘミヤに反対せずに、「さあ、再建にとりかかろう」と言って、城壁再建という大きな仕事に着手しました。

 いよいよ再建工事が始まりましたが、ここまでのところで私たちはネヘミヤから何を学ぶことができるでしょうか。私たちは、神様のご計画に対してネヘミヤのように重荷を持っているでしょうか。彼は快適なペルシャでの生活を捨てて、エルサレムでの再建工事に自ら関わって行きました。私たちは、神様の計画が実現するために、ネヘミヤのように犠牲を払う覚悟があるでしょうか。神様の計画実現のため、私たちはネヘミヤのように祈り続けているでしょうか。祈りの答えがすぐに来なくても、神が決められた時を待っているでしょうか。そして、祈りつつ、計画が実現するために必要な準備をしているでしょうか。すべての状況の中に神様の御手が働いていることをしっかり見ているでしょうか。人間的には非常に難しいことであっても、神様の力が働く時に、実現することを信じているでしょうか。過去の経験に基づいて考えるでしょうか。それとも神の新しい働きを期待しているでしょうか。妨害する人が周囲にいても、あきらめずに働きを続けるでしょうか。ネヘミヤの決意と実行力は、神様の偉大な力と神様の愛を信じる信仰から来ていました。ネヘミヤは、パウロがコリント人への手紙15章58節に記した言葉を、純粋に信じて生きた人でした。「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」
 

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