2019年4月14日 『イエスを否定するペテロ』(ルカ22章54-62節) | 説教      

2019年4月14日 『イエスを否定するペテロ』(ルカ22章54-62節)

 最後の晩餐では、主イエスが十字架にかかる直前に弟子たちに最後の大切な教えを話されましたが、弟子たちはあまり注意してイエスの話を聞いておらず、むしろ、自分たちの間で誰が一番優れた弟子なのか、そんなことを議論していました。ペテロは、聖書に弟子たちのことが書かれている箇所では、いつも一番先に彼の名前が書かれていますので、彼自身、自分がリーダーだと思っていたはずですが、他の弟子の中にペテロがリーダーであることに不満を持っている者がいたのではないかと思います。そのために、彼らの間で議論が起こっていたのです。そんな時に主イエスが、ほかの弟子たちのいる前で、ペテロが信仰的に大きなつまづきを経験すると言われました。「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」自分のイエスに対する信仰は他の弟子たちよりも強いと自信を持っていたペテロは、イエスの言葉に反論しました。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」彼は、本当に、自分にはそれだけの覚悟ができていると思い込んでいましたが、それは彼の思い込みにすぎませんでした。主イエスは追い打ちをかけるように、「ペテロ。あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」自分に自信を持つことは善いことですが、自信過剰な思い込みは大きな失敗をもたらすことが多いです。例えば、とても優れた能力を持つスポーツ選手が、自分の能力に自信過剰になって、コーチのアドバイスに耳を貸さなかったり、技術を磨くことをおろそかにすると、成績が伸びないことがあります。ペテロは、生まれつきリーダーになる素質を持っていたのですが、その優れた能力が彼をつまづかせることになりました。主イエスはペテロの中にその危険を見出しておられたのですが、ペテロには分かりませんでした。他の弟子の前で自分の大失敗を預言されたペテロは、その後どんな思いで過ごしていたでしょう。(自分は本当に主イエスが大好きで、仕事も家族も残してイエスについて来ているのに。主のためなら本当に命を捨てる覚悟ができているのに。なんで他の弟子の前で主はそんなことを言われるのだろうか。今に見ていろ。自分の覚悟がどれほどのものか、見せてやるぞ!)恐らく彼はそんなことを頭の中でぐるぐると思いめぐらしていたのだと思います。彼は腹を立てて、ひどく不機嫌になっていたでしょう。

 主イエスは、イスカリオテに案内されてきた群衆に取り囲まれた時、神の力を使えば、簡単にその場から脱出することができたのですが、主は十字架にかかることを目的としてこの世に来られたので、群衆からされるがままになって、裁判を受けるためにユダヤ教トップの大祭司カヤパの家に連れて行かれました。イスラエルでは、宗教と政治は一つになっていたため、大祭司は最高裁判所の裁判長の役目も担っていました。大祭司も他の祭司長たちも、民を神に導くという自分の責任よりも、政治の世界で権力を持つことを優先していました。彼らは、ユダヤ教の指導者でありながら、権力に対する欲望に捉えられていたのです。そういう欲望を持っていると、人は自分に反対する者を皆排除しようとします。ユダヤ教のリーダーたちには、イエスが旧約聖書が予言している救い主メシヤであることを知り、それを人々に教える責任があったのですが、イエスがいなくなることを望んで、イエスを殺そうと必死になっていました。主イエスは裁判を受けるために大祭司の前に連れて行かれました。普通、裁判は、訴えられている人間が本当に訴えられているようなことを行ったのかどうかを、いろいろと証拠や証言を集めて、公正な判断することが目的ですが、イエスの裁判はまったく違うもので、裁判とは言えません。彼らはローマ帝国がイエスを死刑にするように説得するため、イエスを訴えるための口実を捜していたのです。
 この時、11人のイエスの弟子のうち9人はイエスを見捨てて、どこかへ逃げて行きました。ペテロとヨハネの二人だけがイエスについて行きました。少なくとも、ペテロはほかの9人の弟子たちよりはましだったのです。大祭司の家は大きな家で広い中庭があり、そこには誰でも入ることができました。時は3月。海抜800メートルの山の上にあるエルサレムでは、3月と言っても、夜はとても寒くなります。そのため、大祭司の中庭には、大きな焚火がありました。この時、ヨハネがどうしたのかよく分かりませんが、ペテロはこの焚火に近づいて温まっていました。焚火の周りにいたのは、ヨハネの福音書によると(18章18節)大祭司のしもべたちや役人たちでした。つまり、ペテロはイエスの敵たちといっしょに焚火にあたっていたのです。彼は、自分がイエスの弟子であることを隠してそこにいました。きっと心臓がどきどきしていたと思います。しばらくして風が吹いたのか、焚火の炎が一段と大きくなりました。それで、ペテロの顔が周りの人間によく見えました。ペテロは12弟子のリーダーでいつも主イエスのすぐ近くにいましたので、彼の顔は多くの人にとって見覚えのある顔だったに違いありません。大祭司の家で働く若い女中の一人がペテロの顔をまじまじと見ました。ペテロはどんな思いだったでしょうか。その女中が周りの人に向かってよく聞こえる声で言いました。「この人も、イエスと一緒にいました。」ペテロは思いがけない言葉を聞いてパニックになり、大祭司の家の中庭に自分一人が敵に囲まれている状況を見て、思わず、「いや、私はその人を知らない。」とうそをついてしまいました。ペテロは主イエスのためならいつでも死ねると強気の発言をしていましたが、実際に、自分ひとりになると、彼は、若い女性から言われたたった一言で、これまで自分の人生をかけてきたイエスへの信仰を告白できず、イエスの弟子であることを恥じて嘘をついてしまったのです。彼はイエスから「誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい。」と言われていたのに、祈ることができないまま眠っていたことも、彼が、この危機的な状況に対して霊的な備えができていなかった一因だと思います。マルコの福音書によれば、彼は一度目の嘘をついた後、大祭司の家の前庭の方に出て行きました。おそらく外に逃げようとしたのかも知れません。すると、その時に鶏が鳴きました。前庭で、召使いの女がペテロを見て、周りの人たちに「この人はあの人の仲間です」と言ったので、58節に書かれているように、ほかの男がペテロを見て「お前も彼らの仲間だろう。」と言いました。ペテロはいろいろな人から言われたので、恐れを感じ、再び「そんな男は知らない」とイエスを否定してしまいました。その後、ペテロは、外に出るのを妨げられたのか、あるいは、主イエスのことが気になってその場を離れることができなかったのか、このように言われても中庭にとどまっていました。すると、さらに1時間ほどして別の男から言われました。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」しかも、この時は、この男は強く主張したと記されています。男は、ペテロを指さして、「絶対に間違いない。この男はイエスの仲間だ。」と大声で叫んだのです。マタイの福音書では、「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」と記されています。ペテロはイスラエル北部のガリラヤ出身の漁師なので、彼の言葉はガリラヤ弁丸出しだったので、周りの人間はペテロがガリラヤ出身であることはすぐに分かりました。また、主イエスは3年間神の子として働かれましたが、その間、活動の中心はガリラヤ湖周辺だったので、イエスは、エルサレムの人々からは「ガリラヤ人」と言われていたのです。マタイの福音書によると、そのあたりに立っていた人々もペテロに近寄って来たために、彼は取り囲まれてしまいました。しかも、ヨハネの福音書によると、その人々の中に、少し前にペテロが刀で耳を切り落とした大祭司のしもべマルコスの親類がいました。その親類がペテロに向かって、「あなたが園であの人といっしょにいるのを見たと思うが。」と言ったので、まさに、ペテロは絶体絶命のピンチに陥りました。こうなると、誰もが何とかして自分を守ろうとします。マタイの福音書には、ペテロが、「嘘なら呪われてもよいと誓い始めて、「そんな人は知らない。」と答えています。

この時、ペテロの信仰は完全に崩れてしまいました。ここで「呪う」と訳されている言葉は、非常に強い言葉で、その言葉には、「もし自分が嘘をついていたら、神の手によって自分は殺されてもかまわない」という意味が込められているのです。彼は、神の名前を持ち出して呪いを誓うことまでして、「そんな男は知らない」と嘘をついたのです。これは神様に対する冒とく以外の何物でもありません。アメリカやイギリスで、「ちくちょう!」と言う意味で「ジーザスクライスト」と叫ぶ人がいます。その人はイエス・キリストを神と信じていないので、イエスをののしる気持ちでそう言うのですが、ペテロは、そんなところにまで落ち込んでしまいました。しかし、ペテロはなぜ、このような一生頭から拭い去ることのできない大失敗を犯してしまったのでしょうか。一つは彼の自信過剰と傲慢です。彼は「他の弟子がイエスを見捨てても、自分だけはどこまでもついて行く。」と思っていましたが、それは彼の思い込みにすぎませんでした。また、彼は祈るべき時に祈っていません。主イエスから「誘惑に陥らないように、祈っていなさい。」と言われていたのに、眠り込んでいました。主イエスに遠くからついて行ったという姿勢も、彼は主イエスよりも自分を守る姿勢が表れています。そんなペテロの思い込みは、若い女中の一言によって完全に崩れ去りました。
 ペテロが3回目にイエスを知らないと言った時に、2つのことが起こりました。一つは、主イエスが預言していたように、鶏が鳴きました。もう一つは、大祭司の前での裁判が終わって中庭を通って別の場所に連れて行かれていたイエスとペテロの目が合ったのです。このイエスの視線はどのような視線だったでしょうか。主イエスが最後の晩餐の時にペテロに言われた言葉があります。ルカ22章32節にこう書かれています。「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」主イエスはペテロがつまずくことと、その後に立ち直ることを知っておられました。そして、立ち直ったペテロには彼がするべき働きも委ねておられます。ですから、主イエスのまなざしには、「ペテロ、わたしが言ったとおりだろう。でも、お前は必ず信仰を取り戻しなさい。そして、取り戻したら、他の人を励ます人になりなさい。」という意味を込めた、愛と慰めに満ちたまなざしであったと思います。彼は、自分の傲慢さを示され、自分の思い込みが完全に崩されたために、自分自身が情けなく、また主イエスには申し訳ない思いで、暗闇の中で激しく泣きました。彼は泣き崩れていますが、主イエスはペテロを見捨てることはありませんでした。そして主イエスはペテロのためにいつも祈っておられました。ペテロが大失敗した後に、完全に倒れないように、信仰を失わないように、祈っておられました。ゲッセマネの園でペテロが眠り込んでいた時も、主イエスは彼のために祈っておられたのです。

 しかし、主イエスはただペテロのためにただとりなしの祈りをしておられただけではありません。十字架にかかって死んで三日目によみがえられた時、主イエスは他の弟子たちの前に現れるよりも先にペテロと1対1で会っておられます。1コリント15章4節以降に主イエスが復活した時に誰に現れたのかが書いてありますが、「また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」と書かれています。ここにケファとありますが、これはペテロという名前をヘブル語に訳したもので、ペテロを指しています。つまり、復活の日、主イエスは弟子たちに現れる前にペテロ一人の時に現れています。この時に主イエスがどんな話をしたのかは聖書に書かれていないので、分かりませんが、主イエスは、落ち込んでいるペテロを励ますために現れたのだと思います。そして、ヨハネの福音書の21章には、ガリラヤ湖の湖畔に、数人の弟子たちとペテロが集まっていた時に、他の弟子たちの前で主イエスはペテロの信仰を回復させて、そして彼に大切な働きを委ねられました。失敗と主イエスの励ましを経験したペテロはすっかり別人のようになりました。もはや自信満々で傲慢なペテロではありません。自分の力に頼る者ではありません。そのペテロは、さらに、ペンテコステの日に聖霊の新しい力を受けて、本当のイエスの弟子としての備えができました。彼はその日、イエスを十字架につけることに賛成していた大勢の人々の前で大胆な説教をして、彼らに悔い改めを迫りましたが、その日だけで3000人もの人が、彼の説教を聞いてクリスチャンになりました。さらに、彼はガリラヤ湖畔で主イエスによって信仰を回復してもらった時に、主イエスはペテロが人生の最後の時に苦しみを受けると預言されたのですが、言い伝えによると、彼は、皇帝ネロがクリスチャンを大迫害した時に、捕らえられて十字架につけられたと言われています。そして、彼は、自分がはりつけになる時に、主イエスと同じようにはりつけになるのは主に申し訳ないので、頭を下に体をさかさまにして磔にするように処刑者に頼んだとのことです。ペテロは、確かに大きな失敗をしましたが、彼にとっては主イエスの弟子として働くために必要な失敗でした。主イエスは決してペテロを見捨てることなく、彼のために祈り、彼を個人的に励まし、最後まで彼を守り導いてくださいました。そのために、彼は12弟子の中で最も大きな働きをすることができました。ペテロは私たちと変わらない人間です。主イエスは、ペテロを扱われたのと同じように、私たちにも働いてくださいます。どんなに失敗しても見捨てることなく励まし続けてくださる主に感謝しつつ、これからも主に心から仕える者でありたいと思います。

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