2020年3月29日 『神が神に見捨てられるとき』(マルコ15章33~41節) | 説教      

2020年3月29日 『神が神に見捨てられるとき』(マルコ15章33~41節)

 記録によると、イエスが十字架に掛けられるまでに、イスラエルではローマ帝国によって30000人以上の人が十字架で処刑されていました。その中の多くがローマ帝国の支配からの自由を求めて反乱を企てた者たちであり、また、ローマ帝国から無実の罪を着せらせて処刑された者たちも多かったようです。しかし、そのような中でイエスの十字架の死は特別のものでした。そして、歴史的にも、それら3万人の処刑者の中でイエスの死だけが今なお多くの人々に覚えられている特別な死です。

 主イエスが生まれたとき、ベツレヘムの近くの夜空には超自然的な光が輝きました。それは主の栄光が周囲を照らしたからでした。主イエスは「わたしは世の光です」とも言われました。一方、主イエスが十字架で死ぬ時に、イエスの周囲を覆ったのは光ではなく超自然的な暗闇でした。33節に「十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。」と記されています。主イエスは午前9時に十字架につけられましたので、3時間が過ぎたときに、突然、エルサレムを暗闇が覆いました。主イエスは十字架で息を引き取るまで6時間の苦しみを味わわれたのですが、特に12時から3時までの3時間は苦しみは最大限のものでした。そのことをこの暗闇は現わしていると思います。聖書の中では繰り返して、暗闇が神の裁きを表すものだと教えています。旧約聖書の預言者ヨエルは繰り返して、神の裁きの日はやみと暗黒の日であると述べています。(ヨエル2章2節、イザヤ5:30など)したがって、十字架は、神のひとり子イエスが父なる神の最大の裁きを受ける場所だったのです。
 そして、それから3時間たち、午後3時になって主イエスが大きな声で叫びました。「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」多くの人は、この言葉はイエスが死ぬ前に叫んだ絶望の言葉だと考えて、イエスを失敗した宗教家だと考えるようですが、そうではありません。この言葉は旧約聖書の詩篇22篇1節の言葉です。詩篇22篇は、救い主メシアが世界の人々の罪のために深い苦しみを受けて死ぬことを預言している詩篇です。主イエスは、この言葉を叫ぶことによって、詩篇22篇に預言されていたことが、今、自分の身に起きていることを宣言されたのです。主イエスは、神であり永遠の存在者です。父、御子、聖霊の神は三位一体の神として永遠に存在しておられるのですが、この時、主イエスは、永遠の存在の中ではじめて父なる神から捨てられるという苦しみを味わわれたのです。主イエスは、つねに父なる神に向かって「父よ」とか、親しみを込めて「アバ父よ。」と呼び掛けられていましたが、この時だけは「わが神」と呼び掛けておられます。いわば、御子イエスは、神が最も嫌う罪を、すべての時代のすべての人のあらゆる罪を自分の身に負っておられたので、父なる神は御子に背中を向けられました。聖なる神は罪をいい加減に扱うことができません。預言者ハバククの言葉に、「神よ。あなたの目はあまりにきよくて悪を見ることができません。」(1:13)というのがあります。神は罪を見ることができません。特に自分のひとり子の中の罪を見ることはできないのです。イエスは、神に裁かれた者として死なれたのであって、正しい目的のために死んだ殉教者ではありません。不当な裁判で死刑にされてしまった無実の人間でもありませんし、人間社会の不正に向かっていのちを捨てたヒーローでもありません。主イエスは世界で最悪の犯罪者として、神の裁きを受けて死んだのです。だからこそ、イエスの苦しみは耐えがたいほどのものでした。イエスのこの深い苦しみは、鞭で打たれて傷だらけの背中が荒削りの十字架でこすられたからではなく、いばらのとげが額に食い込む痛みからでもなく、十字架にくぎで打ちつけられた手足のひどい炎症によるものでもありませんでした。永遠の喜びの中で経験していた父なる神との交わりが失われてしまうことによる苦しみだったのです。主イエスが神の子としての働きを始める前に40日間荒野でサタンの誘惑を受けた時も、ゲッセマネの園で苦しみの祈りを捧げた時も、父なる神はみ使いを遣わして主イエスを助け支えました。しかし、十字架の上で苦しむ主イエスにはみ使いは送られませんでした。この時、御子は父なる神に見捨てられたのです。

36 節に、「一人の人が駆け寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、「待て、エリヤが降ろしに来るかを見てみよう。」と言って、イエスに飲ませようとした。」と書かれています。ヨハネの福音書にはイエスが「わたしは渇く」と言われたと書いてあるので、その言葉を聞いてイエスに駆け寄ってイエスに酸いぶどう酒を飲ませようとしました。これは、一見すると、その人はイエスを憐れんでぶどう酒を飲ませようとしたように見えますが、そうではありません。というのは、その人は「エリヤが降ろしに来るかを見てみよう。」言っているからです。十字架で苦しむイエスの様子を眺めていた人々は、主イエスが「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた時に、「エロイ」という言葉を旧約聖書の預言者エリヤと間違えたようです。彼らはイエスが、苦しみのあまり預言者エリヤに助けを求めたと思ったのです。彼の言葉はイエスに対するあざけりです。苦しむイエスの姿を見て喜んでいるのです。彼らの姿を見るときに、人間の心の罪深さを思い知らされます。12時ごろからあたりは暗闇に包まれていたのです。彼らは、旧約聖書の中で、暗闇が神のさばきを現わしていることを知っていたはずです。この時の暗闇は超自然的な現象であり、しかも不吉な感じがしたはずで、これは神の彼らに対する警告でもあったと思います。しかし、彼らは、自分たちが神に対して大きな罪を犯していることに全く気付かずに、ただイエスを罵り続けていました。
 37節によると、それからイエスは大声をあげて息を引き取られました。主イエスは十字架の上でだんだん力をなくし、意識が薄れて死んでいったのではありません。主イエスは最後の最後のまではっきりとした意識の中で十字架の苦しみを受けておられました。マルコの福音書には主イエスが最後に大声でなんと言われたのか、その言葉は書かれていませんが、他の福音書によると、主イエスは2つのことを言われました。「完了した。」と「父よ。わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」の2つです。これらの言葉が分かるように、イエスは十字架という処刑によって殺されたのではありません。また、イエスが人間の悪意によって殺されたのでもありません。十字架で死ぬことは主イエスにとってなすべき務めでした。私たちを救うためにイエスが十字架で死ぬことが主イエスの任務だったのです。そして、イエスは、誰かにいのちを奪われたのではなく、自分から父なる神にお委ねになりました。主イエスご自身がそのことをはっきりと言っておられます。「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。」イエスの十字架の死は、イエスが、父なる神の御心に完全に従って、自分のはっきりとした決意でいのちを捧げたという死だったのです。

 主イエスが十字架で死なれことによって、旧約聖書の時代は終わりました。そして、その終わりを示すために、特別なしるしが現れました。それが38節に記されている「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」ということでした。神殿の幕とは、神殿の中の一番奥にある最も聖なる場所を他の場所から区別するために高い天井から吊り下げられた分厚いカーテンのことです。このカーテンの中は、モーセの時代からイエスの時代までの1500年間、ユダヤ教トップの大祭司だけが年に一度だけ、しかも短い時間だけ入ることが許された特別な場所でした。この最も聖なる場所は至聖所と呼ばれていて、神がおられる場所だと考えられていました。したがって、至聖所と他の場所を隔てる分厚いカーテンは、罪を持つ人間は神のもとには行けないことを示していました。掟を破って中に入った者は死にました。モーセの時代からイエスの十字架までの1500年の間、人々は神のもとへ行くことができないため、自分の罪を赦してもらうために、毎年、神殿に行って動物のいけにえを捧げていました。しかし、人々がどんなに多くのいけにえを捧げても、分厚いカーテンが引き裂かれることはありませんでした。ところが、主イエスが十字架で息を引き取った瞬間、人間の力では決して引き裂くことのできないカーテンが上から下に向かって真っ二つに引き裂かれました。神様がこのカーテンを割いてくださったので、カーテンは上から下に向かって避けました。カーテンが引き裂かれたことは、神と人間を隔てていたものがなくなったことを意味します。そして、私たちは、もはや自分の罪を赦してもらうために、動物のいけにえを捧げる必要がなくなりました。新約聖書の時代の人々は、主イエスが十字架の上で自らが罪のゆるしのためのいけにえとなって死んでくださったので、イエスを信じる信仰によって、罪が赦されるようになりました。

 さて、イエスの十字架の正面にローマ人の百人隊長がイエスのようすを見ながら立っていました。この人は百人の兵士をまとめるリーダーですが、イエスを逮捕するためにユダヤ教の指導者たちがイエスを逮捕に言った時に同行したのがこの百人隊長の部隊だったと思います。そのあと、彼はピラトの裁判の様子も見ており、ピラトの命令を受けてイエスがむち打ちの刑を受けた時も、彼の部下の兵士が担当したと思います。そして、イエスが十字架をかついでゴルゴタの丘に向かった時、イエスが倒れこんだ時にクレネ人シモンに変わりをするように命令したのもこの百人隊長だったでしょう。そして、イエスが十字架にはりつけにされるのを見守っていたのも彼でした。従って、彼は主イエスが逮捕された時から十字架で息を引き取るまで、イエスの様子をずっとそばて見ていたことになります。彼はピラトが何度もイエスが無罪だと主張したにもかかわらず、ユダヤ人たちの脅迫によってイエスを処刑にしたことも見ていました。最初は、イエスという人物にまったく無関心であったと思いますが、一日をイエスと共に過ごすうちに何かを感じ取っていたのだと思います。そして、彼は、イエスが十字架で最初に語った言葉が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」と言う言葉だったことも目の前で聞きました。12時から3時まであたりを暗闇が覆った時、心に恐れを感じながら処刑場を見張っていました。そして3時ごろ暗闇が薄れて行った時に、主イエスが弱弱しく苦しんで死ぬのではなく、堂々と「完了した」という言葉を叫んで息を引き取る様子もすぐそばで目撃していました。それらのことを全部経験した百人隊長は、この主イエスが神の子であるということを信じざるを得なかったのです。十字架のまわりには、イエスを嘲る人々や、まったく無関心の人々が集まっていましたが、そのような中で、異邦人である百人隊長がイエスを神の子だと告白したことに大きな光を感じます。

 イエスの十字架の周囲にはいろいろな人がいました。イエスを磔にしたローマの兵士たち、イエスを嘲り続けた祭司長たち、イエスの弟子ヨハネもいました。イエスの母マリヤもいました。イエスの両側には2人の犯罪人がいました。また、遠くのほうにはイエスを慕っていた女性たちもいました。それぞれイエスに対する思いも行動もばらばらです。しかし、聖書は、主イエスは全世界のすべての人の罪を背負って身代わりとなって死んでくださったと教えています。そこにいた人々は様々でしたが、神の前にはすべての人が罪びとなのです。そこには私たちも含まれています。レンブラントがイエスの十字架を描いています。十字架の周りに様々な人間がいますが、画面のかげに彼はひそかに自分の姿も加えていました。それは、自分の罪もイエスを十字架につけることになったことを認めていたからです。私たちもレンブラントと同じです。私たちの罪がイエスを十字架につけることになったからです。しかし、感謝なことに、イエスは自分が死ぬことによって、私も含めて多くの人が新しい永遠のいのちを得ることができるようにしてくださいました。主は言われました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」麦の粒はそのままだと、いつまでたっても一粒のままです。しかし、土の中に埋められて、死んで麦粒の殻が破れるときに、中から根や芽が芽生えて、収穫の時がくると一本の麦の穂からだけでもたくさんの麦の粒が生まれます。イエスの死は、そのように、多くの人々の新しいいのちを結ぶための死だったのです。

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