2020年8月9日『あなたの現状をよく考えよ』(ハガイ1章1-8節) | 説教      

2020年8月9日『あなたの現状をよく考えよ』(ハガイ1章1-8節)

 今日から4回にわたって旧約聖書のハガイ書を読みます。まず、ハガイ書の時代背景についてお話しします。ハガイは旧約聖書の預言者で、紀元前6世紀に活動しました。そのころのイスラエルは、ダビデ王、ソロモン王の栄光の時代から400年余りが過ぎて、南ユダという小さな国になってしまっていました。ハガイの時代は紀元前6世紀で、当時世界を支配していたのはバビロン帝国でした。紀元前586年にバビロンによってエルサレムの町は完全に破壊され、ソロモンが建てたエルサレムの神殿も跡形もなく壊されました。またこの時、南ユダに住んでいた大部分のユダヤ人は、強制的にバビロンに連れて行かれました。これを「ユダヤ人のバビロン捕囚」と呼びます。これはユダヤ人にとって歴史上もっとも屈辱的な出来事でした。ところが、大国バビロン帝国も、意外と早く滅びます。バビロンを滅ぼしたのはペルシャ帝国でした。ペルシャのキュロス王は非常に寛大な王様で、ユダヤから連れて来られたユダヤ人たちが自分の国に帰るのを許可しただけではなく、ユダヤ人たちにエルサレムの神殿を再建するように命令を与え、神殿再建のために金銭や物資を援助することを申し出たほどです。預言者イザヤは、45章1節でキュロス王のことを「油注がれた者」と呼んでいますが、これは、約束の救い主を意味する「メシア」という言葉です。キュロス王は外国人であり、直接的に神様から油注がれた者ではありませんが、神様は、キュロス王を用いて、ユダヤ人たちにバビロンからの解放してくれたので、油注がれた者と呼んだのです。キュロス王からユダヤ人の祖国への帰還命令が出たのが、紀元前539年で、バビロンにいたユダヤ人たちが祖国イスラエルに帰り始めます。皆が一度に帰国したのではなく、何回かに分けて人々はイスラエルに戻るのですが、最初に戻ったグループにはリーダーが2人いました。政治的リーダーは総督のゼルバベル、そしてユダヤ教のリーダーは大祭司ヨシュアでした。彼らは、エルサレムに着くとすぐに神殿の再建に取り掛かります。紀元前536年の出来事です。神殿再建の工事はスタートしたのですが、ユダヤの北に住んでいたサマリヤ人たちが神殿再建工事に激しい反対運動を起こします。サマリア人たちによる妨害や様々な陰謀が6年も続いたため、ユダヤ人たちは、工事を続ける意欲を失い、紀元前530年に工事をやめてしまいます。再建工事をやめた理由の第一は、サマリヤ人の妨害だったのですが、その他にも、バビロンで生まれた若者たちは神殿再建への関心が年配者よりもずっと低かったことや、イスラエルでの個人の生活を充実させることを優先したこと、イスラエルに戻って来て祖国での生活に幻滅したことなども加わって、イスラエルに戻ってきたユダヤ人たちは、異邦人のペルシャ王キュロスの命令があったにもかかわらず、10年間、神殿再建工事をほったらかしにしていました。10年後の紀元前520年に現われたのが預言者ハガイでした。彼は、神殿再建に対する情熱を失っていたユダヤ人たちにもう一度工事に立ち上がるよう奮い立たせるために、預言者として神様からのメッセージを語りました。彼がエルサレムで預言者として働いたのはわずか4か月だけでしたが、落ち込んでいたユダヤ人たちに神殿再建に立ち上がるための大きな力を与えました。私たちも、現在、新会堂建築という大きなチャレンジを受けていますので、ハガイ書から、私たちが学ぶことも数多くあると思います。
 
(1)第一のものを第一に
 バビロン捕囚が終わり、ペルシャ王キュロスによるイスラエルへの帰国許可が出されてからすでに16年が過ぎていました。最初に祖国に帰還した人々は、エルサレムの荒れ果てた姿に胸を痛めましたが、神殿再建に燃えて皆が懸命に働いていました。しかし、ユダヤの北隣に住むサマリア人からの激しい妨害や反対を受けて、神殿再建工事はストップし、いつの間にか16年という月日がが流れていました。1節に「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日」と記されています。これは、紀元前520年8月のことです。その時、預言者ハガイが神様によって起こされました。彼がどんな人物なのか、聖書には書かれていません。彼はリーダーのゼルバベルと大祭司ヨシュアに向かって言いました。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」神様は預言者ハガイを通して、当時のユダヤ人たちが言っていた言葉を二人に告げました。ここで、神様はユダヤ人たちを「この民」と呼んでいます。聖書の中では、神様はイスラエルの民、ユダヤ人たちのことを、いつも「わたしの民」と呼んでいます。しかし、ここでは「この民」と言われました。ここに、神様の心が現れています。神様は、当時のユダヤ人たち生き方を喜んでいませんでした。最初は神殿再建のために一生懸命に働いていたユダヤ人たちが、いつの間にか工事を止めてしまっていたからです。彼らが工事を止めた理由の一つが、サマリア人たちが何度も工事に反対しさまざまな妨害をしたことでした。しかし、ここでは、神様はサマリヤ人に対して何も言っておられません。神様が彼らの心を見抜いておられたからです。彼らが神殿再建の工事を途中でやめてしまった最も大きな理由は人々が神様の御心に対して無関心になっていたことを知っておられたのです。
 それに続いて、預言者ハガイを通じて、神様はエルサレムに戻っていた民に向かって語られました。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」神様は、ここで、神の家である神殿と人々が住んでいた家とを比べておられます。エルサレムの神殿は、バビロン軍によって完全に破壊されたために、がれきの山になっていました。彼らはある程度修復工事をしていたのですが、まだ、工事はそれほど進んでいなかったので、廃墟の姿のままだったのです。一方、彼らが住んでいた家は「板張り」の家でした。旧約聖書の時代、裕福な人が住んでいた家の壁や天井には、レバノンの杉の板が壁や天井に張られていました。ソロモン王が13年もかけて建てた王宮にも杉材が張り詰められていました。「さばきをするための王座の広間、すなわちさばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めた。」(1列王記7章7節)神殿はまだ廃墟のままだったのに、人々は、自分の家にはけっこうおしゃれな内装をして快適な生活をしていたようです。バビロンからエルサレムに戻って来た人の大部分は、ソロモンが建てた豪華絢爛の神殿について話では聞いていても実際に見たことはありません。そのため、多くの人は神殿の再建にそれほど強い思いを持っていなかったかもしれません。彼らは、サマリヤ人の妨害を受けるぐらいなら、神殿の再建は無理をして行う必要はないと考えたのではないでしょうか。
 では、今が神殿を建て替える時であるという根拠はどこにあるのでしょうか。考えてみれば、神様がペルシャ王キュロスの心に働いて捕囚の民が戻って来ることができ、しかも、神殿再建の命令まで出したうえに、再建に必要なお金や材料まで提供すると申し出ていたことは、神様がキュロスの心に働いたとしか考えられません。ユダヤ人たちは聖書についてよく知っていましたので、イザヤ書の45章13節の言葉も知っていたはずです。そこには、「彼がわたしの都を建て直し、わたしの捕囚の民を解放する。」という預言が書かれているのですが、このみ言葉を知っているユダヤ人なら、この言葉がキュロス王を意味することに気づいたはずですし、神殿を建て直すことは神様の御心であることに気づくはずです。そうすると、戻って来たユダヤ人が神殿建築を途中で止めてめてしまったこことは、彼らがみ言葉の預言も預言の中に語られた神の約束もまた神の力をも信じていなかったことを表しています。しかも、彼らは、自分のためには普通の家ではなく、かなり素敵な家を建てていました。彼らは、第一にするべきものを第一にしないで、自分のことを第一にしていました。
 では、なぜ、神殿はそれほど大切なものなのでしょうか。神殿はその歴史を見なければなりません。神殿を最初に建てたのはソロモン王ですが、神殿の原型になっているのはモーセの時代に神の命令によって造られた幕屋です。モーセの時代、イスラエルの民は、神の助けにより、苦しい生活をしていたエジプトプトから脱出することができましたが、彼らが約束の国に入るまで、砂漠の中を40年さまようことになりました。この時、神様はモーセに幕屋・テントを造る様に命じられました。その幕屋が造られた目的については、出エジプト記の25章8節に次のように記されています。「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。」幕屋が建てられた第一の目的は、神様がイスラエルの民の中に住むためでした。イスラエルの民にとって最も大切なことは、神が彼らの中心におられることだったのです。その後、イスラエルの民は約束の国に定着し、ダビデ王の時に、エルサレムが都となり、ダビデの子のソロモンが神殿を建て、神に捧げました。神殿は、神様がイスラエルの民とともにおられることのシンボルでした。バビロンから帰って来た人々には、これからいろいろな困難を経験することになり、戦争に巻き込まれることにもなります。その時に、彼らにとって最も大切なことは神様がともにおられることであったので、彼らは、自分の家よりも、神殿の再建を第一に進めるべきだったのです。神殿は、彼らの生活の中で、最も確かな土台でした。これは、今の私たちも同じです。自分の生活の中に神様がともにおられること、これが一番大きな力であり私たちの安全が保証されます。ところが、当時のユダヤ人は、いつの間にかそのことを忘れて、自分の生活のことだけを考えるようになっていました。

(2)あなた方の歩みをよく考えなさい。
ハガイが人々に次に語ったことが5節以降に書かれています。5節を読みましょう。「あなたがたの歩みをよく考えよ。」この言葉の意味は、神の民として、自分と神様とが結んでいる契約に基づいて、自分の歩みをよく考えなさいということです。旧約聖書の中に、神様と人間の間の約束がはっきりと書かれていました。それは、人々が神の言葉に聞き従って神の命令を守るなら、神様は人々にあらゆる祝福を与えるが、神の言葉に聞き従わず神の命令を守らないなら、人々は呪われるというものです。バビロンから戻ってきたユダヤ人たちの生活の状況はどうだったのでしょうか。6節を見ると、「多くの種を蒔いても収穫はわずか。食べても満ち足りることがなく、飲んでも酔うことがなく、衣を着ても、温まることがない。金を稼ぐ者が稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」この言葉から明らかなことは、彼らの生活には神様の祝福が注がれていませんでした。彼らは、いつの間にか、神様の御心よりも自分の願いを優先していたために、神様からの祝福がなく、彼らの心には喜びも満足感もありませんでした。9節の後半で、神様はその理由を述べておられます。「それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがそれぞれ、自分の家のために走り回っていたからだ。」彼らの生活に神様の祝福がなかったのは、彼らが、第一にするべきものを第一にしないで、自己中心的な生き方をしていたからです。ユダヤ人は神様から選ばれた特別の民族でした。神様との関係がユダヤ人の生活の基盤でなければなりません。それなのに、バビロンから戻って来たユダヤ人たちは、神の家である神殿が廃墟のままでほったらかしになっていても無関心で、彼らは自分の家を快適に、美しくすることに励んでいたのです。そのようなユダヤ人たちに神様は5節と7節で2回繰り返して「あなたがたの歩みをよく考えよ。」と言われました。この言葉は、私たちクリスチャンにも言われているのではないでしょうか。私たちは、どのような歩みをしているでしょうか。神様を第一にしているのか、それとも、自分のことを第一にしているのか。私たちも自分の歩みをよく考えなければなりません。
 さらに神様は彼らに次のように命じられました。8節を読みましょう。「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。」エルサレムの神殿は紀元前586年にバビロン王ネブカデネザルによって完全に破壊されました。バビロン軍は神殿に火をつけたので、石の壁や天井を支えていた材木が燃えてしまい、神殿の内装の木もすべて燃え尽きて、建物が崩れ落ちました。ただ、石はがれきになって残っていたので、もう一度使うことができました。そのため、神様は、ユダヤ人たちに山に登って、木を運んできて、宮を建てるように命令されたのです。神殿を再建するために必要なことは、戻って来た一人一人のユダヤ人たちがその働きに加わることです。山に登って木を切ることは、そんなに難しいことではありません。一人一人が自分にできることで加わる時に、神殿は再建されると神様は励ましておられます。これはだれか有力な一人の人が行う働きではなく、一人一人がかかわるべき働きなのです。
 この命令にはユダヤ人にとって大きな意味がありました。8節の後半にこう書かれています。「そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現わす。」神殿を再建することは、神様が喜ぶことであることであり、同時に、神様に栄光を現わすことだと神様は言われたのです。神殿は神様が神の民とともにいることを示すシンボルでした。人々は神殿に集まって神様を礼拝していました。神の民が集まって礼拝することを神様は喜んでくださいます。また、神を礼拝する場所は、神様の栄光を現わす場所でもあります。それは、私たちが集まって礼拝することによって、この世の人々に神様は礼拝を捧げるのにふさわしい素晴らしい神であることを証しする場所でもあるからです。私たちは、このような神の家を建て上げることを命じられているのです。

 私たちは、今、新会堂を建築しようと祈り続けています。今日の箇所から分かることは、会堂は神の家であることです。それは、そこに神様が私たちとともにおられる場所だということです。神様は、そこに人々が集まり、そして、皆で神様に礼拝を捧げることを、喜んでくださり、また、私たちが会堂に集まって礼拝することが神様の栄光を現わすことになるということを学びました。新しい会堂を考える時に、一番大事なことは、そこが神を礼拝する場所であるということを忘れないことです。会堂にはいろいろな場所や要素がありますが、何よりも大切なことは、私たちが神様を礼拝する場所、神様とともにいる場所を建て上げるのだということです。ここまで私たちは新会堂建築のために話し合いの時を持ち、祈りを捧げて来ました。神様が示してくださることに従って、神様に喜ばれ、神様の栄光を現わす会堂をともに建て上げて行きたいと思います。

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