2020年12月27日 『預言を成就した救い主の誕生』(マタイ2章13-23節) | 説教      

2020年12月27日 『預言を成就した救い主の誕生』(マタイ2章13-23節)

 救い主イエスの誕生は不思議な誕生でした。旧約聖書の中に繰り返し預言されていた誕生でした。最初の預言は、旧約聖書の最初の書物である創世記の3章に預言されています。その後、創世記の49章には、救い主がイスラエル民族の中のユダという部族から生まれることが預言され、イエスの誕生の1000年前には、ユダの部族の中のダビデ王の子孫として生まれることが預言されています。また、700年ほど前には、ミカという預言者によって救い主がベツレヘムで生まれることが預言され、さらに550年ほど前には、救い主がAD30年頃に現れることが預言者ダニエルによって預言されています。マタイの福音書は、旧約聖書についてよく知っているユダヤ人のために書かれた福音書なので、マタイは、イエスの誕生が旧約聖書の預言を完成するものであったことを繰り返し記しています。救い主が生まれてしばらくたった時に、東の国から星の研究をしていた博士たちが、新しい星が現れたのを見て救い主の誕生を確信し、ベツレヘムに来て、幼子イエスを礼拝し、そして、高価な贈り物を捧げました。ヨセフもマリヤも、救い主が生まれる前にそれぞれ天使から救い主の誕生のことを聞いていましたが、生まれた後も、彼らはいろいろな人との出会いを通して、救い主の誕生が事実であったという確信をますます深めていました。救い主が生まれた夜には、近くで救い主誕生の知らせを聞いた羊飼いたちがやって来て、彼らが天使から聞いたメッセージを二人に伝えました。その後、二人が生まれた赤ちゃんを神様に捧げるために神殿に行った時に、シメオンとアンナという二人の老人に出会うのですが、彼らから聞いた話も、ヨセフとマリヤにさらに強い確信を与えていました。そして、遠い東の国から身分の高い立派な博士たちがはるばるやって来て、イエスを礼拝したので、二人の心は驚きと喜びでいっぱいだったと思います。

(1)エジプトへの逃避
 しかし、二人はいつまでも喜んでいることはできませんでした。博士たちが東の国へ帰って行った後、天使がヨセフに現れて言いました。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」博士たちに裏切られたことを知ったヘロデ王がベツレヘムに住む男の子を皆殺しにすることを決心していたからです。エジプトは当時ローマ帝国の支配下にあったので、ヘロデはエジプトでは何もすることができませんでした。また、ベツレヘムからエジプトまでは、10日間で行ける距離であり、道もそんなに困難ではありませんでした。しかも、エジプトには以前からたくさんのユダヤ人が住んでいて、当時アレキサンドリアという町には100万人ものユダヤ人が住んでいて治安も良かったと言われています。二人には、博士たちの贈物によって、旅をするための費用も十分に備えられていました。この時、み使いが「私が知らせるまで、そこにいなさい。」と言っているのは、神ご自身がヨセフとマリヤと主イエスをエジプトに逃げる時だけでなく、エジプト滞在中もつねに彼らを守ることを示しています。神様にとっては、彼らを守る方法はいろいろあったと思います。み使いを送ってヘロデの兵士たちを滅ぼすこともできたでしょうし、3人を超自然的な方法で隠すこともできたでしょう。しかし、神様は、もっとも自然な方法を選ばれました。彼らをエジプトに避難させることです。ヨセフにとっては、自分の故郷ナザレとは正反対のエジプトに逃げることは喜ばしいことではなかったはずですが、彼は、み使いの言葉にすぐに従いました。彼は、夜のうちに、誰にも見られないように注意してエジプトに向かって逃げて行きました。この出来事をマタイは旧約聖書の預言と結び付けています。旧約聖書のホセアという預言者が「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。」(11章1節)と書いています。ホセアの言葉が意味するのは、旧約聖書の時代に神様がモーセをリーダーにしてイスラエルの民をエジプトから脱出させて現在のイスラエルの場所に導いたという出来事が、救い主がエジプトを出てイスラエルに入ることを示す予表であったということです。

(2)ヘロデ王の幼児虐殺
 ヨセフとマリヤと救い主がエジプトに避難した後、ヘロデ王は博士たちに騙されたことを知り、激しく怒りました。彼はすぐに、ベツレヘムに住む2歳以下の男の子を皆殺しにすることを決めました。ヘロデ王は、博士たちから彼らが星を見た時間を聞いていましたので、2歳以下の子供を殺しておけば、その中に必ず救い主が含まれるはずだと計算していました。おそらくその頃、イエスは生後6か月ぐらいだった思われますが、ヘロデ王は、博士たちが計算を間違っていたかもしれない、あるいは自分をだまして博士たちが嘘をついたのかもしれないとも考えて、幅を持たせて2歳以下と決めたのだと思います。ヘロデ王は、博士たちが見た星は旧約聖書が預言している救い主の誕生を表すものであることを知っていました。それは、ヘロデ王が博士たちから星の話を聞いた時に、すぐに祭司長や学者を呼んで「キリストはどこで生まれるのか」と尋ねていることから分かります。「キリスト」とはへブルの言葉では「メシヤ」、特別な約束の救い主を表す言葉です。ヘロデ王は、そのことを知りながらも、神に逆らって、救い主を殺そうとしましたので、なお一層彼の罪は大きいと言えます。
 マタイは、この出来事も旧約聖書の預言に結び合わせています。18節にこう書かれています。「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」これはエレミヤという預言者の言葉です。彼は紀元前6世紀の預言者です。彼の時代に、エルサレムを中心としたユダ王国は東の大国バビロンによって滅ぼされ、大部分の人々が強制的にバビロンに連れていかれるという出来事がありました。これを「ユダヤ人のバビロン捕囚」と言います。ラマというのはエルサレムの北5キロのところにある町ですが、ここは南ユダ王国とかつて存在した北イスラエル王国の境界線にありました。ユダヤ人たちは、一度、ラマの町に集められてそこからバビロンへと連れて行かれたのですが、その近くにラケルという女性の墓がありました。ラケルとはイスラエル民族の基礎となる12人の男子の父親であるヤコブの4人の最愛の妻でした。それで、ラケルはイスラエル民族の母と見なされていました。エレミヤは、ラマからユダヤ人がバビロンに連行されることを預言して、ラケルが自分の子孫が連行されるのを見て泣くようなことが起きると語ったのです。実際に、そのことが起きたのですが、この出来事もまた、救い主の誕生に関係する予表だとマタイは語っています。ラマでバビロンに無理やり連れていかれる子供を見て泣く母の姿をラケルが泣いていると表現しているのですが、マタイは、彼女の姿はベツレヘムに住む母親たち、特に自分の子どもを殺された母親たちを示す予表だと見ているのです。

(3)ナザレへの帰還
 ヘロデ大王は、ローマ皇帝と良い関係を保ちながら、特に都市計画や建築の面で目覚ましい功績を残しました。何よりも素晴らしかったのは、エルサレムの神殿の改築でした。彼は長い年月と費用をかけて、最初にソロモン王が建てた神殿よりも、はるかに素晴らしい神殿を建てました。ヘロデの神殿はローマ帝国中で大評判になり、帝国内の広い地域に移住していたユダヤ人たちが、こぞってエルサレムへの巡礼を行うほどでした。しかし、彼の最後はみじめなものでした。自分が死ぬ5日前にも自分の息子の殺意を疑って殺したのですが、ヨセフスという人が書いた記録によると、ヘロデ大王は、内臓の潰瘍に侵され、体の中にウジ虫がわき、絶えず痙攣が起き、どんな治療をしても効果がなかったとのことです。彼はBC4年に死にました。すると、主の使いが再びヨセフの夢の中に現れて彼に言いました。「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」み使いはヨセフにイスラエルの地と言っただけで、どこの町に行きなさいとは言いませんでした。それでヨセフはマリヤと幼子イエスを連れて、イスラエルの中心地、エルサレムがあるユダヤ地方に行きました。ところが、そこに行くと、ヘロデ大王の後を受け継いで息子のアケルラオがユダヤ地方を支配していることを知りました。実は、ローマ帝国は、ヘロデ王が死んだ後、イスラエル王を認めず、国を4つに分けてヘロデの子どもたちに領主というタイトルを与えて分割統治をさせました。イスラエルの中心地ユダヤ地方の支配者になったのがアケルラオでした。アケルラオは、父ヘロデ大王に似て非常に残忍な人物でした。ある時、エルサレムの神殿で暴動が起きた時に、暴動に関係ない人々も含めて3000人のユダヤ人を虐殺するという事件が起きました。あまりにも残忍だったので、ローマ帝国は彼を退位させ流刑にしました。その後は、ユダヤ地方はローマ帝国が直接支配する直轄地になりました。ヨセフたちがユダヤにやって来たのは、その事件が起きる前でしたが、アケルラオの評判を聞いていたのか、ユダヤにとどまることを恐れました。すると再び、彼は夢の中で神からの警告を受けたので、彼はユダヤを出発して、自分の故郷ナザレがあるガリラヤ地方へと出発し、故郷の村ナザレに戻って来ました。この出来事も、ナザレが単に二人の故郷だったというだけでなく、マタイは、旧約聖書の預言と結び付けています。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。とマタイは書いています。実はマタイがここで引用している預言は旧約聖書には見つかりません。ここでマタイは「預言者たち」と言っているので、一人の預言者の言葉ではなく、旧約聖書には記されていないけれども、ユダヤ人の間では知られていた何人かの預言者が、そのような預言をしていたのではないかと考えられます。マタイの福音書はユダヤ人が読むために書かれた福音書なので、読者のユダヤ人たちにはよく知られていた預言だったのでしょう。ユダヤ人の間では、ナザレ人の評判は悪くて、失礼な人間、暴力的な人間を見ると、「あいつはナザレ人だ」と言っていたようです。ユダヤ教の指導者たちがイエスを救い主と認めなかったことも、イエスがナザレ人と呼ばれたことが原因としてあったとも考えられます。人となってこの世に来られた救い主は、このように神の預言通りに、人々から軽蔑されていたナザレの村に、神に選ばれたヨセフとマリヤとともに30年生活することになります。

 このように、主イエスの誕生は非常に不思議な誕生で、ヨセフとマリヤは運命に流されているように見えますが、実際には、彼らの動きの一つ一つは神様の働きの中にあったことが分かります。また、忘れてはならないのは、神様の預言が実現するためには、マリヤとヨセフの信仰と、神の言葉に従うという姿勢が必要でした。出産が近い時に、ナザレからベツレヘムへ旅をし、出産後まもなく、ベツレヘムから外国エジプトに避難をしてしばらく滞在をしなければなりませんでした。そしてヘロデ王が死んだことによって、彼らはイスラエルに戻って来て、最終的に、自分たちの故郷ナザレに帰って来ました。ヨセフとマリヤにとって、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて何度も旅をすることはどれほど大変だったでしょう。しかし、家族の長であるヨセフは、いつも神様からの言葉が来るとすぐにそれに従って行動しました。彼は、クリスマスの出来事とイエスの子ども時代の出来事以外には聖書には出てきません。彼は若くして死んだと思われています。彼の人生は、人間的に見ると幸福とは言えないような人生でした。ナザレに住む大工として貧しい生活、ごく普通の生活で一生を終えました。しかし、彼の生活には、毎日神様の働きがあって、彼は神に守られていたのです。私たちの地上の人生も、ごく普通の人生かも知れません。しかし、神様の言葉に従って生きるときに、生活の一つ一つの出来事に意味があり、また、その人生はいつも神様の手の中で守られているのです。私たちは、何も恐れる必要がなく、また他の人の生活をうらやましいと思う必要はありません。私たちは、ヨセフやマリヤと同じように神に愛されているのですから。キャンドルサービスの時にも語りましたが、音楽の父と言われるバッハの人生も、人間的に見れば恵まれたものではありませんでした。ドイツのライプチヒの教会のオルガニストだった時に、毎週礼拝にために新しい曲を作り演奏していました。膨大な数の曲がありますが、そのすべてが素晴らしい音楽です。バッハの有名なメロディーは皆さんもどこかで耳にしています。彼はいつも自分が作った音楽の楽譜の最後にSDGという文字を書きました。それはラテン語の言葉のイニシャルですが「ソログロリア・デイ」(ただ神に栄光があるように)という言葉で、彼はいつも神様のために音楽を作っていたのです。彼は無名のまま死にましたが、のちに、メンデルスゾーンがバッハが作曲した楽譜を発見し、それを世に発表して、初めて、バッハは世に知られるようになりました。神に従う人には、神様は必ず祝福すると約束しておられます。主イエスは私たちに途切れることのない神様の祝福をもたらしてくださいました。

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