2022年2月6日 『人を恐れることの愚かさ』(ヨハネ19章15-18、25-27節) | 説教      

2022年2月6日 『人を恐れることの愚かさ』(ヨハネ19章15-18、25-27節)

 ヨハネの福音書の18章12節以降は、主イエスが逮捕された後の、主イエスの姿と弟子ペテロの姿が対照的に描かれています。主イエスが裁かれている場面とペテロがイエスの後をついて行った場面が交互に現れるのは、主イエスとペテロを対照的に描こうとするヨハネの意図が現れています。主イエスとペテロには非常に重要な共通点があります。それはどちらも「岩」と呼ばれていることです。主イエスは、教会の岩、土台です。パウロは第1コリント3章11節で、教会の土台はイエス・キリストであると宣べています。一方、ペテロは、その名前そのものが「岩」という意味です。これは彼が親から与えられた名前ではありません。彼の本名は「シモン」と言います。しかし、主イエスがシモンに「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」と言って、シモンにペテロというニックネームを与えられました。主イエスは、十字架の直前になっても、とこしえの岩であることに変わりはなく、ユダヤ教指導者たちから不当な仕打ちや不当な裁判を受けても、まったく動じることはありませんでした。一方、ペテロは、自分がイエスの弟子であることが人々に知られたことによって、まさに崩れる寸前の状態になっていました。今日は、この時のペテロについて学びたいと思います。

 主イエスは、イスカリオテのユダに導かれやって来たユダヤ教の指導者たちによって逮捕された後、最初に、元大祭司のアンナスの所に連れて行かれましたが、その後、現職の大祭司カヤパのもとへ送られました。二人は、同じ大きな屋敷に住んでいたようです。すでに、真夜中を過ぎていましたが、エルサレムの70人からなる最高法院のメンバーたちが続々とカヤパの邸宅に集まって来ました。彼らが律法に決められた時間に違反して、真夜中にあつまったのは、彼らが急いでいたからです。この時、ユダヤ人のカレンダーではすでに金曜日になっていました。ユダヤ人の一日は日没から始まり日没で終わるからです。その日の夕方までに、イエスの処刑を終わっていないと、日没後の土曜日は安息日になり、1日何もできなくなるため、彼らは焦っていました。

 元大祭司のアンナスも、大祭司のカヤパも、ユダヤ教トップの人間です。本来、彼らの第一の責任は人々を神に導くことでしたが、彼らは、それ以上に、政治的な力を求めていました。彼らは、ユダヤ教のトップとして、当時の彼らの聖書であった旧約聖書を教える責任がありましたし、何よりも、彼らは、本当ならば、イエスこそ旧約聖書が預言している救い主メシアであることを知らなければなりませんでした。しかし、彼らは旧約聖書の教えよりも、自分たちの政治的な力を持つことを優先していたために、聖書の真理を人々に教えることよりも、自分たちの野望を満たすことしか考えていませんでした。

 この時、ペテロはもう一人の弟子とイエスの後をついて行きました。マタイの福音書によると(26:58)、ペテロは遠くからイエスの後について大祭司の家に入ったと書かれています。マタイによると、イエスが捕まった時、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまいました。ただ、ペテロと、もう一人の弟子だけは、イエスのことが心配になり途中で思い返して、遠くからイエスの後について行きました。従って、ペテロは、ある意味、他の弟子たちよりも勇気があったと言えます。他の弟子たちは、皆、自分の身を守るためにどこかに隠れていたからです。この時に、ペテロと一緒にイエスの後について行ったもう一人の弟子について名前が書かれていないので、誰なのか分かりませんが、おそらくこの福音書を書いたヨハネだと思われます。この弟子は大祭司の知り合いだったと書かれています。ヨハネはガリラヤに住む漁師ですから、ヨハネが大祭司と知り合いというのはおかしいと思われるかもしれません。ただ、4つの福音書読み比べると、ヨハネの母はサロメという人であることが分かります。そして、そのサロメはイエスの母マリヤの姉妹であったと思われます。イエスが十字架に掛けられたときに、そのそばに何人かの女性がいたのですが、マタイには「ゼベダイの子たちの母がいた」と書かれており、ヨハネには「イエスの母とその姉妹がいた」と書かれています。ヨハネはゼベダイの子ですので、イエスの母マリアとヨハネの母は姉妹であったと思われます。マリアにはエリサベツという親戚がいて彼女の夫ザカリヤは祭司でした。そのようにつなげて考えると、ヨハネの親戚に祭司がいたことになるので、彼が大祭司の知り合いだったことは十分ありうることなのです。大祭司の家まで来ると、ヨハネは大祭司の知り合いだったので、大祭司の中庭に簡単に入れたのですが、ペテロは入れずに門のところにいました。すると、ヨハネが出てきて、門番の女の人に話をして、ペテロを大祭司の家の中に導き入れました。大祭司の家はちょっとした宮殿のような広さがあり、壁で囲まれた中庭がありました。そこには軍人や召使いたちが自由に出入りしていました。

 ペテロが大祭司の公邸の中庭に入った時に、門番をしていた召使いの女性が彼に向かって尋ねました。「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね。」この質問は、原語のギリシャ語では、「弟子ではない」という答えを期待した質問文です。したがって、「あなたもあの人の弟子ではないですよね。」といった感じのニュアンスの質問でした。その言葉にペテロはドキッとしました。不意を突かれたペテロは、その召使いの女が期待している答えを、何となく流されるように答えてしまいました。「違う」日本語でもとても短いぶっきらぼうな答えに訳されています。なぜ、ペテロは、ここで、自分はイエスの弟子ではないと答えてしまったのでしょう。ガリラヤの漁師のペテロは、エルサレムのユダヤ教大祭司の家の豪華で広々とした中庭の雰囲気に吞まれてしまったのでしょうか。なれない場所で、召使いの女の言葉が余りにも突然だったので、ペテロは慌ててしまって、そのように答えてしまったのでしょうか。いずれにせよ、ペテロは自分がイエスの弟子であることを否定してしまいました。しばらく前には、ペテロは主イエスに向かって「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」と言っていました。そして、彼は自分でもそのことを信じていました。私たちは、なかなか自分の弱さに気が付きません。気が付きたくないのです。ペテロの失敗は、私たちへの警告です。私たちが自分の力に自身を持つ場合、信仰的には失敗することが多いのです。ペテロは、この女の質問に気が動転し、少しパニックになりました。それで、ペテロはすぐにその召使いの女から離れて、中庭の奥に入り、大祭司の家で働く召使いや、ユダヤ教の下役たちが焚火を囲んで温まっていたので、その輪の中に紛れ込みました。3月や4月でも、エルサレムは高度800メートルにある町なので、夜の冷え込みは強かったのです。

 ペテロは、何とか自分が目立たないように、彼らの中に紛れ込んで焚火に当たっていました。しかし、ペテロは、この場所に初めて来ていたので、焚火に当たっていた連中は今までにこの場所で出会ったことのないペテロのことが気にかかりました。それで彼らは口をそろえてペテロに尋ねました。「あなたもあの人の弟子ではないだろうね。」この時、ペテロには、最初のうそを取り消すチャンスがありました。ペテロは正直に自分がイエスの弟子であることを告白することもできたはずなのですが、一度、うそをついてしまうと訂正することはとても難しくなります。彼は、この時も「わたしは弟子ではない」と答えてしまいました。その輪の中に大祭司のしもべの一人がいたのですが、周りの人間がペテロを疑って質問するのを聞いて、ペテロの顔をじっと見つめました。26節に書かれていますが、悪いことには、そのしもべは、ペテロが耳を切り落としたマルコスの親戚でした。焚火に当たっていたペテロの顔を見て、彼は確信を持ったのでしょう。彼はペテロに言いました。「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが。」恐らく、このしもべは、主イエスが逮捕された時に、親戚のマルコスの近くにいたのでしょう。そして、ペテロがマルコスに襲い掛かるところを目撃していたのです。それで、このような発言をしました。この時、他の福音書を見ると、焚火の周りにいた他の人々も一緒になってペテロに近づいて「確かにあなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」と言いました。ペテロはガリラヤ出身の漁師だったので、言葉がなまっていたのです。主イエスは、3年間神の子として働きましたが、その活動の中心はガリラヤ地方だったので、「ガリラヤ人イエス」とも呼ばれていました。ここで、ペテロがエルサレムの人間ではなくガリラヤの人間だとすると、ますます彼は主イエスの弟子であると疑われることになるのです。自分が耳を切り落としたマルコスの親戚から言われたことと、焚火の周りに集まっていた他の人たちからも問い詰められたことで、彼は完全にパニックになりました。ヨハネはペテロの親友だったので、ペテロの名誉を傷つけたくないと思ったからなのか、ヨハネの福音書には3回目のペテロの言葉については、簡単に「ペテロは再び否定した。」としか書かれていません。しかし、他の福音書にはもっと詳しく書かれています。一番詳しく書かれているのはマルコの福音書ですが、マルコはペテロのギリシャ語通訳だったので、マルコの福音書は実際には、ペテロの言葉を聞いてマルコが書いたもので、実質的にはペテロの福音書と言えます。ペテロは、自分の行いを悔い改めて、あえて、福音書にこの時の自分の失敗を正直に告白しているように思えます。マルコの福音書14章71節にはこう書かれています。「ぺテロは、嘘ならのろわれてもよいと誓い始め、「私はあなたがたが話しているその人を知らない」と言った。」ペテロは、最初に「イエスを知らない」と言った時は、召使いの女から突然、「あなたは、あの人の仲間じゃないですよね。」と尋ねられたので、思わず、その質問に対する自然な答えとして「いいえ」と言ってしまったのですが、3回目は、完全に敵に取り囲まれたような状況になっていました。追い詰められたペテロの3回目の言葉は非常に激しい言葉でした。彼は「呪い」という言葉と「誓い」という言葉を使っていますが、呪いとは、自分が嘘を言ったのなら、神からの罰がくだってもかまわないという意味を持っています。また、「誓う」というのは、自分が真実を話していることは絶対に間違いがないことを主張する非常に強い言葉でした。1回目の否定は、ペテロの口から思わず出てしまった言葉でしたが、3回目は、ペテロが全力を振り絞って口から出した言葉で、ペテロの声は、大祭司の中庭の遠くにいる人にも聞こえるほどに、響き渡ったに違いありません。

 すると、主イエスが預言していたとおりに、鶏の鳴き声が「コケコッコー」と響きわたりました。そして、ちょうどその時、大祭司カヤパの公邸で行われていた主イエスの裁判が終わり、主イエスは死刑を宣告され、国会議員のある者はイエスに唾をかけ、ある者はイエスの顔に目隠しをして拳でなぐり、ある者はイエスを棒でなぐりました。そして、ルカの福音書によると、ユダヤ教の指導者たちは、主イエスをローマ人総督ピラトのところへ連れて行くために、イエスを公邸から中庭に連れだしました。ちょうどその時に、鶏が鳴いたのです。ルカの福音書22章61節を見ると、「主は振り向いてペテロを見つめられた。」と書かれています。ペテロとイエスの目が会いました。その時、ペテロは、主が「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」と言われた言葉を思い出して、彼は外に出て行って激しく泣きました。彼は、自分がとんでもない罪を犯してしまったこと、自分が何と情けない人間であるかを知って、悲しみとみじめさの中で激しく泣きました。ペテロは、主イエスの預言の言葉を聞いた時に、非常に強く反論して、「絶対に、私はあなたを知らないとはません。」と断言していましたが、結局は、主が預言されたとおりの行動を取ってしまいました。彼は、自分について自信過剰でした。そのため、彼はちょっとした誘惑に負けてしまい、最後は、自分で自分が嫌になるようなひどいことを行ってしまったのです。彼は、自分が犯した罪の赦しを求めて神に祈りながら激しく泣いていました。

 しかし、ペテロの物語はここで終わるのではありません。神様は愛の神であり、恵みの神です。

主イエスは、十字架の死から復活された後、ペテロの信仰を回復させてくださいました。復活の後、主イエスは、他の弟子たちの前に現れる前に、個人的にペテロに現れました。他の弟子たちは、ペテロがイエスを知らないと3回言ったことを聞いて、ペテロが弟子として資格があるのか、少し疑っていたかもしれません。主イエスは、他の弟子たちがいる前で、ペテロに3度、「あなたはわたしを愛するか」と尋ねて、ペテロのイエスに対する愛を確認されました。そして、ペテロに、主イエスの弟子としての使命を与えられました。彼の信仰は回復しました。そして、使徒の働きの記事を見ると分かりますが、ペテロは人々に主イエスの福音を大胆に語る人となり、迫害を受けていたクリスチャンを励ますために懸命に働き、最後は、主イエスを信じる信仰のために、殺されました。彼は、大きな失敗をとおして、本当に神様に用いられる器になりました。

 彼は、本当に大きな失敗をしてしまいましたが、主イエスによって信仰を回復され、1世紀の教会において、彼の名前ペテロ「岩」の名前に相応しい、多くの人々から信頼される働き人になりました。ペテロにはたくさんの伝説があります。ある伝説によると、ペテロは9か月間地下室の真っ暗な牢屋に閉じ込められました。掃除もされないひどい環境の中でペテロは苦しみましたが、その間に、二人の看守と49人の人をキリストに導いたとされています。ペテロの妻は、ペテロよりも早く信仰のために処刑されましたが、彼女が処刑される時に、ペテロは自分の妻に「主を思いなさい。主を忘れないでいなさい。」と励ましたそうです。ペテロが殉教したのは紀元67年ごろと言われていますが、彼は、十字架にはりつけにされる時に「主イエスと同じように十字架にかけられるのはもったいない。だから、頭を下にして逆さにしてはりつけにしてくれ」と言って、地上の生涯を終えたと言われています。ペテロは、一度は砕けた岩になってしまいましたが、最終的には、キリスト教会の岩となるのに相応しい生涯を全うしました。私たちも、信仰生活の中で失敗をすることもありますが、主は、そのような私たちを回復してくださる恵みの主です。たえず主を見上げて歩み続けましょう。

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