2022年5月29日 『あなたはわたしに従いなさい』(ヨハネ21章18~25節) | 説教      

2022年5月29日 『あなたはわたしに従いなさい』(ヨハネ21章18~25節)

 前回、主イエスの弟子ペテロの信仰と、彼の弟子としての立場を主イエスが回復された出来事を語りました。主イエスは、自分を知らないと3回否定したペテロを見捨てることはありませんでした。むしろ、失敗によって精神的にどん底まで落ち込んでいたペテロを立ち上がらせるために、主はペテロのために特別に働かれました。主が復活された日、主は、他の弟子たちに現れる前に、ペテロと個人的に会われました。続いて、主イエスは、他の弟子たちの前で、ペテロに3回繰り返して「あなたはわたしを愛するか?」と尋ねられて、そして3回繰り返して「わたしの子羊を飼いなさい」と3回繰り返して言われました。このようにして主イエスは、これから誕生する教会のリーダーとして改めて皆の前でペテロを任命されました。中東では、他の人の前で同じことを3回繰り返して言うことは、その言葉が非常に重要であることを示します。このようにしてペテロは精神的にも信仰的にも主イエスによって完全に回復してもらいました。それに続いて、主はペテロが初代教会のリーダーとしてどのような働きをし、どのような生き方をし、最後はどのような死に方をするのかをペテロに話されました。ペテロにとって、主イエスが、他の弟子たちの前で、自分の死について話されたことは、少なからずショックであったと思います。イエスを知らないと3回も言ってしまったペテロの罪を主は赦してくださいました。また、初代教会のリーダーとしてペテロは改めて主イエスから任命されました。それは、ペテロにとって大きな喜びでした。だからこそ、なぜ、そのような時に、わざわざ自分の死に方を他の弟子たちの前で言われたのか、それがペテロには少し残念でした。しかし、主はペテロにただ、「わたしに従いなさい。」と言われました。

 主イエスとペテロがこのように話していた時、恐らく、他の弟子たちも立ち上がって湖のほとりを歩いていたようです。ペテロは、自分の後ろに弟子のヨハネがいることに気づきました。ヨハネはこの福音書の中では、自分のことをヨハネとは呼ばずに、いろいろな方法で自分のことを説明しています。20節では、「イエスが愛された弟子」という呼び方に加えて、「夕食の席で、イエスの胸元に寄りかかり、『主よ、あなたを裏切るのはだれですか』と言った者と説明しています。これはまさにヨハネのことです。ペテロは、主イエスから、「わたしに従いなさい。」と言われていました。この言葉は、もう少し厳密に訳すと、「あなたは、私に従い続けなさい。」または「あなたは、絶えずわたしに従いなさい。」という意味の命令でした。従って、ペテロはきょろきょろあたりを見渡すのではなく、しっかりとイエスを見つめてイエスについて行かなければならなかったのですが、彼は、誰かいる気配を感じて、イエスから目を話して後ろを振り向いてしまいました。それで、後ろにヨハネがいることに気づいたのです。ペテロは、ヨハネの姿を見ると、ヨハネのことが気になりました。ペテロは、以前にも主イエスから目を離して失敗したことがありました。ある時、主イエスが弟子たちだけを船に乗せてガリラヤ湖の反対側へ生かせるということがありました。夜になると湖の上を強い風が吹いて、弟子たちはなかなか前に進むことができませんでした。その時、主イエスが湖の上を歩いて来られました。弟子たちは、幽霊だと思って恐ろしさのあまり叫びましたが、イエスが彼らに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。イエスの言葉を聞いたペテロは、主イエスに向かって「主よ、あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところへ行かせてください。」と言いました。イエスが「来なさい」と言われたので、ペテロが舟を出て水の上を歩き始めました。彼は何歩か水の上を歩いたのです。ただ、彼がイエスから目を話して周りの強い風を見たとき、怖くなって、彼の体が沈み始めました。イエスはすぐにペテロの手をつかんで、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」と言って、彼の体を引っ張り上げられました。この時、ペテロは、イエスをじっと見ていた時は水の上を歩けたのですが、イエスから目を離したとたんに彼の体は沈み始めました。私たちも、いつも主イエスを見ていなければなりません。私たちの信仰の力は自分の内にあるのではなく、主イエスの内にあるからです。私たちは、自分の周りの状況を見て、判断をしてはいけないのです。主イエスと話をしていたペテロは、この時、イエスをしっかりと見て、イエスのすぐ後ろについて行かなければならなかったのですが、イエスから目を離してしまったために、余計なことが気になって、彼は、主イエスに質問しました。「主よ。この人はどうなのですか。」

 すると、イエスは言われました。「わたしが来る時まで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関りがありますか。」イエスの言葉はペテロの質問に対する答えではなく、お叱りの言葉でした。ヨハネの身に、これから何が起ころうと、それはペテロにはまったく関係のないことだとイエスは言われたのです。主イエスは、他の人のことに関心を持つことが悪いと言っておられるのではありません。キリストを知る前には、私たちはいつも自分のことばかり考える者でしたが、イエスの愛を受けて、キリストを信じる者になってから、他の人のことについても真剣に考え、他の人のために祈る者へと変えられました。ただ、この時のペテロもそうなのですが、私たちは、好奇心から他の人のことについて関心を持ちすぎることが多いのです。テレビや雑誌を見ると、誰が何をしたか、誰がどんなスキャンダルを起こしたか、そんな情報であふれています。そのような時代を生きていると、私たちも影響を受けて、自分がクリスチャンとして何をするべきかということ以上に、他の人がどうするべきかということばかり考えてしまいます。パリサイ人たちは、まさにそのような生き方をしていました。パリサイ人たちは、聖書の教えを自分に当てはめて自分の生き方を吟味することをせず、他の人の生き方に当てはめて人々を批判していました。

 ペテロは、自分の人生とヨハネの人生を比べようとしたのですが、自分の人生と、隣の人の人生とはまったく無関係であり、比べることには何の意味もありません。神様が一人一人に持っておられる御心はその人にだけ意味のあるものです。私たちがするべきことは、一人一人が自分に語られたイエスの言葉に従うことです。ペテロは自分の人生が厳しい終わり方になると主イエスから言われたので、ヨハネと自分の人生を比べたいという気持ちに襲われました。もし、ヨハネも同じように厳しい人生が待ち受けているのであれば、イエスの預言も納得できると思ったのかもしれません。

ヨハネの人生について詳しいことは分かっていませんが、初代教会時代のクリスチャンは、誰もが厳しい人生を過ごしています。彼らはローマ帝国の中で急激に人数が増えていったために、皇帝が恐れを感じました。皇帝ネロの時代、AD60年にローマで大火事が起こったのですが、その時、街中で噂が流れました。「皇帝ネロがローマに火をつけた」という噂でした。ネロは、身の危険を感じて、自分から「火事の原因はクリスチャンが火をつけたからだ。」と偽りの噂を流して、大勢のクリスチャンを捕らえて殺しました。伝説ではその時にパウロもペテロも殉教したと言われています。ペテロは、ローマ教会のリーダーとして大きな働きを残しました。その後もローマ帝国は300年にわたってキリスト教を滅ぼそうとしてあらゆる迫害を続けましたが、最終的に、ローマ皇帝がクリスチャンになり、キリスト教はローマ帝国の宗教となりました。そのような時代を生きたヨハネは、主イエスから母マリヤの世話を頼まれたので、彼はマリヤともにエペソに行きエペソの教会のリーダーになりましたが、1世紀後半に、ドミティアヌス皇帝の大迫害によってパトモスという島に追放されました。その後、彼はエペソに戻り、非常に長生きをして地上の生涯を終えたと言われています。そして、ヨハネはエペソの集会で語る時には、「幼子たちよ、互いに愛し合いなさい」と言うのが口癖であったと伝えられています。このようにヨハネは長生きをしましたが、パトモスという島に流されるという経験がありました。しかし、神様は、パトモス島で、彼に幻を与えられました。このようにして生まれたのがヨハネの黙示録です。当時、迫害に苦しんでいたクリスチャンにとって、黙示録には将来のこと、最終的なイエスの勝利のこと、イエスが再び来られることなど、彼らの心に希望を与えるメッセージがあふれています。ヨハネは、ペテロとは違った使命を最後まで果たして、この世の生涯を終えました。ヨハネもペテロも、イエスの弟子として立派な人生を生き抜いたのですが、主イエスは、ペテロに、ヨハネの人生がどのようなものであるとしても、あなたには無関係なことだ。あなたは、わたしに従って来なさい。」そのように言われたのです。

 エペソ書2章10節に、「実に、わたしたちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」という言葉があります。作品とは、芸術家が一生懸命にデザインして、丹精込めて造られたもので、造った者にとっては非常に大切なもので、どれをとっても同じものは一つもありません。それぞれに個性があり目的があります。そのように、私たちは、一人一人、神様に造られた目的がありますから、他の人の生き方と比べることはまったく無意味です。神様は、ペテロにはペテロの使命をお与えになり、ヨハネにはヨハネの使命をお与えになりました。主イエスは、ぺテロの愚かさを示すために「わたしが来るときまで彼がいきるように、わたしが望んだとしてもあなたに何の関りがありますか。」と言われました。ところが、そこにいた弟子たちは、主イエスが言われた言葉の意味を正しく理解しませんでした。そのために、ヨハネ以外の弟子たちは、ヨハネの将来についてあれこれ詮索して、彼らは「ヨハネは死なない」という無責任な噂を広めてしまいました。ペテロだけでなく、他の弟子たちも、自分の人生と周りの人間の人生を比べていたのです。この無責任な噂は、当時の教会の信徒の間に広く広まってしまったようです。そのため、ヨハネは、福音書の中で、その噂を訂正しなければなりませんでした。私たちは、この時の弟子たちのように、他人のことに不必要な関心をもっていろいろ詮索するならば、それは、時間の無駄であるだけでなく、噂を流された人にとっては大きな迷惑ですし、彼ら自身にとっても、イエスに従っていくことの妨げになってしまいます。ペテロは、殉教することをイエスに預言されましたが、ペテロの死は神の栄光を表すものであると記されています。一人一人の人生は、人間的な評価と神様の評価はまったく異なっています。この世的にどれほど恵まれた人生を生きたとしても、神様の栄光を表すものでなければ空しいものです。反対に、どれほど、苦労の多い人生であったとしても、その人生が神様の栄光を表すものであれば、それはその人にとって最高の人生なのです。私たちは、一人一人、主に従って行けば良いのです。それが神様の栄光を表す人生になります。

 先週、私たちの教会にジュディス宣教師が30年ぶりに来て下さり、礼拝でメッセージを語って下さいました。そのメッセージを聞きながら、私はいろいろ忘れていたことを思い出しました。ジュディスが宣教の実地訓練のためにハワイの弟子訓練学校から北本に来たのは1990年の8月でした。実は、その時、私たちの教会の前任者の牧師が突然辞任することになり、同時に、教会の英語教室で教えていた二人の教師も帰国することになり、教会は大変な状況になっていました。礼拝も、英語教室も、代わりの人を見つけなければなりませんでした。そんな時に、私はジュディスに、代わりの教師が見つかるまで、英語を教える語学宣教師として北本に残ってほしいとお願いしたのです。ジュディスはイギリスを離れてかなり時間が過ぎていたので、本当は両親に会うために、イギリスに帰国したいと思っていました。しかし、ジュディスは私の願いを聞いて、神様に祈ってくれました。彼女は祈りの中で神様から「あなたは家族を愛する以上に、私を愛するか?あなたは日本に残りなさい。」という言葉を聞いたそうです。彼女にとって、日本に残る決断は簡単ではなかったと思います。彼女には、日本に知り合いは一人もいませんでした。彼女は言っていました。弟子訓練のためにハワイから来ていた3つのチームがハワイに戻ることになりましたが、ジュディス一人が日本に残りました。一緒に日本に来た仲間たちと東京で別れた後、突然、自分が見知らぬ国で独りぼっちになったことに気づいてとても不安を感じたそうです。彼女はハワイから夏に日本にやって来たので、冬服を持っていなかったのですが、その時、ジュディスにたくさんの冬服をあげたのがすでに召された吉田暁美さんでした。ジュディスは、ハワイの弟子訓練学校に入る前は、ロンドンで航空会社の社員として働いていました。もし、彼女が献身をしていなかったら、イギリスで裕福な生活をしていたかも知れません。しかし、日本に宣教訓練に来て、しかも、神様の声に従って私たちの教会に英語教師として残ったことによって、彼女は、日本で宣教師として生きる道へと導かれました。宣教師としての日本の生活は、この世的に見ると、イギリスで働いていた時ほど裕福ではなく、苦労も多い生活だと思います。ジュディスが先週の礼拝の中で言っていましたが、教会堂を手に入れる時の最大の問題は、近所の人々との関係でした。彼女は近隣の住民のために3回も説明会をしなければならず、住民からはかなりひどいことを言われたようです。彼女は、日本人のもう一つの顔を見て、興味深かったと言っていました。特に教会の隣に住んでいる人とは、今も関係が難しいようですが、彼女は、最大限の努力をして、関係の改善しようとしています。ジュディスの宣教師としての働きは、目立たないものかもしれませんが、彼女は、主イエスの「わたしに従ってきなさい。」の言葉に忠実に従って歩んでいます。その生涯は神様の栄光を表すものであり、きっと、天において、大きな報いを得ることになると思います。私たちも、この世の価値観に流されることなく、他の人と比べることをせず、自分に関するかぎり、主イエスの言葉に従って、しっかり主イエスの後をついて行く者でありたいと思います。

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