2022年8月7日 『主の兄弟ヤコブ』(ヨハネ7章3-5節、1コリント15;7) | 説教      

2022年8月7日 『主の兄弟ヤコブ』(ヨハネ7章3-5節、1コリント15;7)

 主イエスの弟として同じ家で、家族として生活するのはどのような気分であったかちょっと想像してみてください。兄はいつも優等生。兄と口論しても、いつも正しいのは兄。兄はけっして間違ったことを言わず、悪いことをしません。何が起きても決してパニックになることなく、いつも冷静な兄。母マリヤからは、いつも「どうしてお兄さんみたいにできないの?」と言われるとしたら、イエスを兄に持つ弟は、どんな気持ちを持つでしょうか。さらに、そんな兄が、突然家を出て行くと、しばらくして兄についていろいろな噂が聞こえて来ました。あちこちの会堂にいって説教をして、大勢の人が兄のあとを追いかけるようになっていること、また、兄が自分が神であると言っていること、兄が不思議な業を行っている、そんな噂を聞いたら、ヤコブは、自分のともだちに、兄イエスのことをどのように説明することがするでしょうか。ヤコブは兄イエスを神だと信じることができず、むしろイエスは頭がおかしくなったのではないかと思っていました。そして、最後には、イエスは、極悪人の処刑に使われた十字架で死にました。そのことは家族にとって大きな恥となることです。これは、単なる想像にすぎませんが、主イエスの兄弟ヤコブはそのような感じで成長したのではないでしょうか。しかし、このヤコブは、のちに主イエスを救い主と信じるようになり、さらには、エルサレム教会の第一の指導者となります。また、彼が書いた手紙が新約聖書に加えられています。彼がどのようにしてクリスチャンになったのか、またエルサレム教会のリーダーになったのか、ヤコブとはどのような人物であったのか、そのことについて考えたいと思います。

  • 不信者の弟ヤコブ

 イエスの子ども時代のことは、生まれた後すぐにエジプトに逃げたことと12歳になった時にエルサレムの神殿を訪れたことを除いて、聖書には何も記されていません。ただ、聖書を見ると、イエスには4人の弟と何人かの妹がいたことが分かります。マタイ13章55、56節にはこう書かれています。「この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか。」この箇所から、父ヨセフは大工をしていたこと、また、イエスの家族がナザレに住むごく普通の家族であったことが分かります。これはイエスが故郷のナザレの会堂で説教をしたときに、人々が驚いて語った言葉です。ナザレの人々は、子どものころからよく知っているイエスが会堂で権威と力をもって教えていることに非常に驚きました。そして、人々はイエスにつまずきました。

 マルコの福音書3章20、21節を読みましょう。「さて、イエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。」これは、主イエスが神の御子として公の働きを始められたころの出来事ですが、イエスの教えには力と権威があり、また力ある業を行われたので、イエスの話を聞くためや病気を癒してもらうために、大勢の群衆がイエスを追いかけるようになりました。イエスの生活もどんどんと忙しくなりました。20節で「イエスは家に戻られた」と書かれていますが、これはナザレのヨセフとマリヤ家ではなく、主イエスが宣教活動の中心としていたカペナウムのペテロの家だと考えられています。主イエスは食事をする暇もないほどの忙しい生活が続いていました。その噂が、ナザレにいたイエスの兄弟たちのところにも届きました。イエスの兄弟たちは、生まれてからずっとイエスを生活をともにしていました。その生活をとおして、彼らはイエスが性格の面でも、言葉や行いも、自分たちとは違うということに気づいていたと思いますが、自分と同じ家で生活している者が旧約聖書が預言する救い主メシアであると信じることは、やはり難しかったと思います。21節に記されているように、彼らは、イエスの頭がおかしくなったのだと思っていました。福音書でイエスの家族のことが、各福音書に記されていますが、共通していることは、そこにマリヤの夫のヨセフの名前がないことです。そのため、多くの人はヨセフが比較的若くして死んだのだと考えています。父親が早死にした場合、残された家族を支えるのは長男の務めです。この家族では、人間的に考えると長男はイエスです。ヤコブは次男になります。ヤコブは、心の中で、父親が死んだら長男のイエスがその責任を負うべきなのに、イエスが勝手に家を出て行ったために、自分が長男の責任を取らなければならないと、イエスに対して恨みを抱いていたかももしれません。兄弟たちは、イエスに長男としての責任を果たしてもらいたくて、イエスを連れ戻そうとしたのかも知れません。

  • イエスの兄弟たちの変化

 このように、イエスの兄弟たちは、イエスが3年あまり神の子として働いていた時は、イエスを救い主と信じることができず、常にイエスに対して苦々しい思いを持っていました。兄弟たちは、おそらく、ヨセフとマリヤからイエスの誕生の時に起きた様々なできごとについて話を聞いていたはずです。また、イエスが不思議な奇跡の業を行っていることも聞いていたでしょうし、実際に目撃していたでしょう。しかし、それでも、彼らはイエスを「生ける神の子キリスト」だと信じるには至りませんでした。主イエスが十字架に掛けられた時に、十字架の前に、母マリヤと主が愛した弟子ヨハネが立っていました。それを見た主イエスは母マリヤに、「そばに立っている弟子ヨハネがあなたの息子です。」と言い、弟子ヨハネにはマリヤが母だと言いました。そして、主イエスは、母マリヤの世話を実の息子のヤコブではなく弟子のヨハネに頼んでいるのを見ると、この時、ヤコブはまだイエスを救い主と信じていなかったと思われます。しかし、そんなヤコブもついに、イエスを救い主として信じるようになりますが、彼を信仰に導いたのはイエスの復活です。使徒の働きの1章12~14節には、主イエスが天に帰られた直後の出来事が記されています。14節に「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」と記されています。主イエスは天に帰られる時に、弟子たちに「いと高きところから力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」と命じておられたので、イエスを信じる者たちは、主から言われたとおりに一緒に集まって、天から新しい力、すなわち聖霊が注がれることを待ち望んで祈っていました。そのグループの中にイエスの兄弟たちもいたのです。集まっていた者たちは「心を一つにして祈っていた」と書かれていますから、この時、ヤコブも含めてイエスの兄弟たちも主イエスを信じていたはずです。実は、復活した主イエスは、特別に兄弟ヤコブに会っていました。パウロが第1コリント15章の冒頭の部分で、主イエスが復活された後、いろいろな人に出会ったことをまとめてまとめて書いていますが、7節に、「その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。」と記されています。このヤコブは、主の兄弟ヤコブのことです。7節の記事から、主イエスは兄弟ヤコブと1対1で会っていることが分かります。主イエスはヤコブを特別に扱っていたことが分かります。その理由は、一つには、ヤコブの不信仰を打ち砕くには1対1で現れるしか方法がなかったからであり、もう一つは、主イエスがヤコブが将来、エルサレムの教会のリーダーになってほしいという強い願いから、ヤコブが一人の時に現れたのだと思います。ヤコブは自分の目で復活の主イエスを見て、これまでイエスに対して抱いていた疑いがすべて消え去り、イエスを救い主と信じる信仰を持ちました。主イエスの復活は、どんなに不信仰な人をも、パウロのように激しくキリスト教に反対していた人をも、信仰に導く力を持っています。

  • エルサレム教会のリーダーとして

 主の兄弟ヤコブがどのような経過を経てエルサレム教会のリーダーになったのか、それは聖書にかかれていないので、想像するしかありません。エルサレム教会はペンテコステの日にペテロの説教により3000人の人が救われたことで誕生しました。さらに、別の日にはペテロとヨハネの説教を聞いた人々の中で5000人が救われました。多くの学者はエルサレム教会はアッという間に20000人を超える大きな群れになったと考えています。エルサレムで新しく生まれた教会への迫害がひどくなったために、多くの信者はエルサレムを離れましたが、ヤコブはエルサレムにとどまっていたようです。ヤコブは霊的な生まれ変わりを経験し、主イエスを信じる忠実なしもべになっていました。使徒の働きでは、ヤコブはいつも正しい人として描かれています。また、伝説によると、初代教会では、ヤコブは「らくだの膝」というニックネームで呼ばれていたそうです。それは、彼がいつも長い時間ひざまずいて祈っていたために、ひざを痛めて、彼の膝がラクダのひざのように曲がっていたからだそうです。

 ヤコブがエルサレムの教会でどのような立場であったのか、いくつか見て行きたいと思います。まず、使徒の働き12章17節を読みましょう。12章には、ペテロがヘロデ・アグリッパ王によって投獄された時に、み使いが現れてペテロが監獄から奇跡的に脱出した出来事が記されています。ペテロが仲間たちの所に戻った時に、彼が仲間に「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言っています。ペテロは「教会の兄弟たちに知らせてください」とか「教会のリーダーたちに知らせてください」とは言わずに「ヤコブ」ひとりだけの名前を挙げています。このことから、この時すでに、エルサレムの教会ではヤコブは最も大切な指導者と見なされていたことが分かります。

 ペンテコステの後、初代教会は非常な速さで拡大し、地域的にも、エルサレムから地中海沿岸の地域にまで広がって行きました。最初は、クリスチャンの大部分はユダヤ人でしたが、教会が広がるにつれて徐々に異邦人のクリスチャンが増えて行きました。そうすると大きな問題が出て来ました。それは、異邦人はどのように教会に迎え入れられるべきかという問題でした。ユダヤ人クリスチャンたちの間には、これまでのユダヤ教徒としての生き方が強く残っていたので、異邦人がクリスチャンになるためには、男性の信者はユダヤ人と同じように割礼を受けなければならないと考える人が多くいました。一方、パウロは、劇的な回心を経験して、救われるのは律法を守ることによるのではなく、ただイエスを信じる信仰によるのだと強く確信していたので、教会の中に、激しい対立が生まれていました。それで、その問題を解決するために急遽エルサレムの教会で宗教会議が開かれることになりました。ユダヤ教の影響を受けた人々とパウロたちとの間で激しい論争が交わされました。両者がそれぞれ自分の考えを述べた後、最終的な結論を下したのはヤコブでした。使徒の働き15章13節から21節までの個所で、ヤコブが会議の議長として結論を語っていますが、彼は、両者が語ったことを十分に吟味したうえで、神の言葉を引用しながら、神の言葉にもとづいて結論を下しています。19、20節で、彼は、次のように述べました。「ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。」この結論をもとに、エルサレム教会は、パウロの活動拠点であったアンテオケの教会に手紙を書き、パウロは、その手紙をもってアンテオケ教会に戻り、教会員の前で、その手紙を読みました。その結果はどうだったでしょうか。31節に「人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。」と書かれています。エルサレム会議では、教会が分裂する危機もあったと思います。しかし、この危機を乗り越える働きをしたのは、エルサレム教会のヨハネでもなくペテロでもなくヤコブでした。彼は、教会の一致を生み出す力を発揮しました。そして、ヤコブが書き送った手紙は、異邦人伝道の中心地であったアンテオケ教会の人々にも大きな励ましと喜びをもたらしました。

  • 神と主イエス・キリストのしもべ

 主の兄弟ヤコブは後に、手紙を書き、その手紙が新約聖書に含まれました。ヤコブの手紙1章1節によると、その手紙は「離散している12部族」に宛てて書かれたものでした。離散している12部族とは、ユダヤ人クリスチャンのことです。パウロが異邦人のための働きに専念したように、エルサレム教会のリーダーだったヤコブはユダヤ人クリスチャンのために働きました。多くのユダヤ人クリスチャンは迫害のためにエルサレムにとどまることができず、各地に離散していました。彼の手紙はそのような厳しい状況の中に置かれたクリスチャンのために書かれました。1節で彼は、自分のことを「神と主イエス・キリストのしもべ」と呼んでいます。「しもべ」と訳された言葉はギリシャ語の「doulos」という言葉で、奴隷を意味する言葉です。彼は、主イエスと半分血のつながった兄弟です。もしヤコブが「私は主の兄弟だ」と言えば、人々は、それだけで彼を尊敬し、彼を特別な人間だと思うでしょう。しかし、彼は自分を「主の兄弟」とは呼びませんでした。彼はエルサレムの大教会の主任牧師でした。しかし、彼は、自分のことを、神と主イエス・キリストに仕える奴隷だと呼びました。旧約聖書の時代、奴隷は主人に金で買い取られて、6年間、主人の命令通りに働かなければなりませんでした。7年目には奴隷は自由になれるのですが、もし、奴隷が主人を愛し、主人とともにいることが幸せだと感じたら、その奴隷はいつまでも、その主人の奴隷になることができました。その時、主人はキリで奴隷の耳を戸にさして、この関係が永遠であることを保証しました。ヤコブは、この奴隷のように、永遠に自分の意思で喜んで神に仕える者でなのだと言い表しているのです。そして、それを生涯、自分の行いで実践して行きました。彼は、手紙の中で、クリスチャンたちが偽善的な生き方をしないで、正しい生き方をするようにすすめています。人をえこひいきしないで、真実に隣人を自分のように愛するように勧めています。

 ヤコブは、もともとイエスを救い主と信じていませんでしたが、復活のイエスと出会って、彼はすっかり変わりました。自分がイエスの兄弟であることを決して誇らず、あくまでも、神に仕える奴隷として行きました。だからこそ、彼はエルサレム教会の指導者になったのであり、また、彼がいたからこそ、エルサレム教会は分裂せずにすみました。彼は手紙の最後に書きました。あなたがは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは働くと大きな力があります。」(5章16節)この言葉は、教会全体に向けて語られた言葉です。教会はキリストの体であり、私たちはそれぞれがその体の一つの部分です。体は各部分が一つになって初めて生きた体として機能します。私たちは、それぞれ、互いに依存しています。一つの部分が痛む時、体全体がその痛みを感じる野と同じように、私たちは、互いにお互いのために祈り合うことが大切です。また、私たちは、罪を赦された罪人の集まりです。教会生活の中で、私たちは互いに罪を犯すこともあり得ます。そんな時、互いに罪を言い表し、互いに赦し合い、互いに祈り合うとき、その祈りは大きな力となり、教会全体が強められて行きます。ヤコブは、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが鋭く対立する時代の教会のリーダーとして働いていましたから、誰よりも、互いに赦し合い祈り合うことの大切さを知っていました。今日、世界中が対立と分断が進んでいる中で、教会こそ、ヤコブが勧めている祈りを実践して行かなければならないと思います。

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