2022年8月21日 『主に従った人テモテ』(使徒16章1-3節) | 説教      

2022年8月21日 『主に従った人テモテ』(使徒16章1-3節)

 テモテは、おそらく、パウロの宣教によってクリスチャンになった家族の影響を受けてキリストを信じるようになりました。テモテは、パウロの第二回伝道旅行の時に、パウロに同行するようになり、その後、ずっとパウロの弟子として働きました。最終的には、彼は、パウロがエペソで始めた教会の働きに加わり、パウロの死後もエペソ教会にとどまりました。伝説によれば、テモテは、エペソにあったアルテミスの神殿で行われていた不道徳な祭りを辞めさせようとする中、ローマ皇帝ドミティアヌスの迫害によって殉教したと言われています。

彼にとって非常に重要なことが2つあります。第一に、テモテはパウロの愛弟子であったことで、彼の弟子の中ではテモテのことが最も多く語られています。彼は、パウロから2通の手紙を受け取っただけでなく、パウロが書いた手紙のうち6つの手紙では共同著者になっています。(第2コリント、ピリピ、コロサイ、第1、第2テサロニケ、ピレモン)第二に、ペンテコステ以降の時代を生きた人物の中で、テモテの働きは、他の誰よりもはるかに重要なものでした。彼は性格的に弱い部分もあったようですが、最終的にはエペソ教会の主任牧師として働きました。パウロとテモテは非常に親しい間柄でしたので、パウロはしばしばテモテを自分の信仰の子どもと呼んでいます。テモテは、パウロの生き方を学んで、霊的に成長しました。私たちも、他の信仰者の生き方を学ぶことによってどのようにキリストにあって成長できるのか、そのような問題を共に考えたいと思います。

  • テモテのバックグラウンド

 テモテが最初に登場するのは使徒の働きの16章です。1-3節を読みましょう。これは、パウロの2回目の伝道旅行が始まってすぐの出来事です。第一回の伝道旅行に行ったパウロとバルナバは、その時にできた教会がその後どうなっているのかを見に行くために2回目の伝道旅行に行くことにしました。ところが、最初の伝道旅行に弟子訓練を兼ねて連れて行ったマルコが途中で帰ってしまったことでパウロとバルナバは激しく対立しました。パウロは激しやすい性格の持ち主で途中で逃げたマルコを赦せなかったのでしょう。バルナバはそんなマルコにもう一度チャンスを与えるべきだと考えていたので、二人は対立しました。それで二人は別行動を取ることにし、バルナバはマルコを連れてキプロスに出かけました。一方、パウロはシラスを連れて、第一回伝道旅行で訪れたデルべ、リステラの教会を訪問しました。リステラでパウロはテモテと出会いますが、1節に、彼は信者であるユダヤ人女性とギリシャ人の父親のハーフであると紹介されています。父親については信者と書いていないので、未信者だったでしょう。彼の母親と祖母については、第2テモテの1章5節に名前が記されています。「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。」祖母ロイスと母ユニケは、

恐らく、第1回伝道旅行でパウロがリステラを訪れた時にイエスを救い主と信じて、忠実な教会生活を送っていました。そして、二人はテモテにも福音を伝えて、それでテモテも信仰を持つようになったと思います。第2テモテの3章15節でパウロはテモテに向かって「あなたは、自分が幼いころから聖書に親しんできたことを知っているからです。」と言っているので、彼は、こどもの頃から、祖母や母親から聖書を学んでいました。ただ、当時はまだ新約聖書は存在しませんから、テモテが教わったのは旧約聖書です。祖母も母親もクリスチャンになる前は熱心なユダヤ教徒だったのです。ただ父親がギリシャ人だったので、テモテが生まれた時に、ユダヤ人の男の子が必ず受ける割礼をテモテには行っていませんでした。ハーフの子どもは、どこでも、いろいろ苦労すると思いますが、特に、ユダヤ人社会ではテモテはサマリヤ人と同じように見なされていたので、きっといじめやいやがらせを受けていたのではないでしょうか。しかし、テモテは立派に成長し、クリスチャンになっても他の信者たちの間で評判の良い人でした。パウロは、教会の将来を考えて、伝道旅行を行いながら弟子訓練をすることが大切だと考えていました。ところが、マルコが離れて行ったので、自分が訓練するべき弟子がいなくなっていました。そんな時に、テモテと出会って、彼は是非ともテモテを自分の弟子として訓練したいと思い、彼を2回目の伝道旅行に連れて行くことにしました。3節に「パウロは、このテモテを連れて行きたかった。それで、その地方にいるユダヤ人のために彼に割礼を受けさせた。」と書かれています。15章に記されたエルサレム会議で、異邦人がクリスチャンになるために割礼を受けさせる必要はないと決定されていたので、テモテは割礼を受ける必要はなかったはずです。第2回目の伝道旅行が始まったばかりの時点では、教会のメンバーのほとんどがユダヤ人信者です。これから伝道する場合も、ユダヤ人を最初のターゲットにして行くことになります。エルサレム会議での議論は福音の決定は、人が救われるために割礼を受ける必要はなのかどうか、真実の福音は何かということでした。テモテが個人的に救われるために割礼は必要ないですが、ユダヤ人にとって割礼というのは非常にデリケートな問題なので、これからユダヤ人にも伝道するのに不必要な妨げを取り除く意味でテモテは割礼を受けたと思われます。

  • テモテの性格

 当時のユダヤの文化では人の名前には重要な意味がありました。テモテはギリシャ語の名前で、「神を敬う」という意味です。この若い伝道者これからパウロに忠実に仕えて、さらに彼の働きを継続させていったことを考えると、彼はその名前のとおりを生きた人と言えるでしょう。彼は、イエスの12弟子とパウロを除いて、もっとも数多く聖書にテモテと名前で登場する人物です。新約聖書では彼の名前は12の書物に登場します。彼のことを知るためには、他の人が彼についてどう述べているのか、それを見る必要があります。最初に第二テモテ1章6-8節を読みましょう。パウロがこの手紙を書いたのは、彼が殉教する寸前だと言われています。若き伝道者だったテモテも、この時はエペソの教会で働きを続けていたと思われます。迫害がどんどんと激しさを増す中で、テモテはいろいろな苦労をしていたことと思います。そんなテモテにパウロは言いました。「私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を再び燃え立たせてください。」テモテはパウロの按手によって伝道者になりました。その時に、テモテは神様から賜物を受けていました。テモテが伝道者として働くのに必要なものを神様が備えてくだったのです。その賜物とは7節で、パウロは、臆病の霊ではなく力と愛と慎みの霊だと言っています。パウロが臆病と言っているので、テモテの性格には少し臆病な部分があったかも知れません。人を恐れる心があったかも知れません。しかし、パウロが按手した時に、彼は神様からの力と愛と慎みを受け取ったのです。力とは宣教する力であったり忍耐する力でしょう。また、福音を宣べ伝える時に最も必要なものは、失われた魂に対する愛です。相手が福音に反対していてもその人を愛する心が必要です。慎みと訳されている言葉は、英語の聖書ではいろいろな言葉で訳されています。自分をコントロールする心、健全な心、バランスの取れた心などど訳されています。神様はテモテがよりよく伝道ができるように、このような賜物を与えてくださいました。ところが、パウロが「神の賜物を再び燃え立たせてください」と言っていることから、何らかの理由で、彼はこれらの賜物を十分に働かせていなかったようです。彼は、もともと臆病なところがあったので、エペソでの伝道は大変でした。エペソには世界の七不思議と言われたアルテミス女神の壮大な神殿がありました。エペソの人々は何らかのかたちで神殿と関わっていたので、偶像礼拝を禁じる福音を伝えることは反対を招き、人々と対立することになります。テモテは、そのような対立を避けようとすると、どうしても伝道の働きが引っ込みがちになっていたのでしょう。パウロは、テモテに、神様から受けたものを再び燃え立たせなさいと言いました。テモテには新しい力や新しい賜物は必要ありませんでした。パウロは6節で言っているように、テモテにとって必要なことは、神様から賜物を受けた時のことを思い出して、その賜物を再び燃え立たせることでした。

 彼は、このパウロの言葉を素直に受け取り、少し福音宣教に対して心が引き気味になっていたのですが、彼がパウロの按手を受けて伝道者の働きを始めた時のことを思い出したのでしょう。それまでの伝道の働きは自分の力で行ったものではなく、神から受けた賜物に支えられて行ったっことを思い出したのだと思います。彼を取り巻く厳しい状況は変わらなかったでしょうが、もう一度彼は、新しい思いと献身で伝道に励みました。そのことを証明する記事がへブル書の13章23節に記されています。「私たちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。」へブル書は、エルサレムがローマ軍によって滅ぼされた紀元70年ごろに書かれたと言われていますが、当時、クリスチャンへの迫害はますます激しくなっていました。性格的に臆病さを持っていたテモテは、そのような中で、信仰に固く立って迫害に立ち向ったために、しばらくの間投獄されたようです。

 テモテには、もう一つの弱さがありました。それは病弱な体質でした。第一テモテ5章23節でパウロはこう書いています。「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。当時、人々は井戸水を飲んでいましたが、水質が悪かったのかテモテはたびたび、水を飲んでお腹をこわしていたようです。非常にデリケートな胃腸だったのでしょう。伝道する者にとってたびたび病気に倒れることはマイナスです。パウロ同じように思い持病を持っていましたので、神様に病気を取り除いてくださいと何度も祈りましたが、神様は彼の病気をいやすことはしませんでしたが、病気という弱さの中に神の恵みが大いに働くことを示されました。パウロは体の弱さによってテモテがどんな気持ちになっているのかよく分かったので、とりわけ、テモテの体を心配していたようです。当時、ぶどう酒は病気の治療薬として用いられたようです。テモテには、パウロと同じように、肉体の弱さがありました。決して、テモテは、人間的に見て伝道者としては、精神的にも肉体的にも最適な人物ではありませんでした。しかし、その弱い器の中のほうが、神の力が現れやすいのです。按手の時に与えられた神の賜物が彼の働きの原動力となっていました。テモテはいわば土の器だったのですが、彼はその中に神の賜物という宝を持っていました。

  • テモテの成長

 使徒の働きに登場する使徒たちの実際の働きを見ると、彼らは生まれつき特別な能力に恵まれ、神様との特別な体験を持って特別な信仰を持っていたのではないかと、私たちは考えるかもしれません。しかし、実際には、誰もが、いろいろな経験や失敗をとおして、またいろいろな訓練をとおして、時間をかけて成長して行きました。パウロは、ダマスコで劇的な回心を経験しましたが、実際に伝道の働きを始めたのは、しばらくの準備の時を経てからでした。モーセの場合は、大きな失敗をしたため40年間羊飼いをしてから神の働きを始めました。神様の役に立つ器となるためには時間がかかります。テモテの場合もそうでした。テモテがどのように神様の働き人として成長して行ったのかを見てみましょう。

 使徒の働きの17章13-15節、18章5節を読みましょう。テモテは使徒の16章で、パウロからの要請を受けて伝道チームに加わりました。この伝道チームはその後ピリピに行きます。ピリピでは、パウロが女占い師にとりついていた悪霊を追い出したことで大騒ぎになり、パウロとシラスが捕らえられて監獄に入れられます。その夜に地震が起きたことがきっかけで看守の家族全員がクリスチャンになるという出来事がありました。この時、テモテはパウロとシラスとともに伝道チームにいましたが、彼だけは捕らえられませんでした。それは、テモテがまだ本格的に伝道の働きに加わっていなかったことを示しています。そして、その後の17,18章でも、テモテはシラスともに、パウロのアシスタントとして行動しています。テモテは、この時期は、パウロとシラスの働きをすぐそばで見て、彼らから伝道者の働きやあり方を学び取っていました。

 次に第1コリント4章16,17節を読みましょう。コリント教会には争いや不道徳や様々な問題があり、それを解決するためにパウロが手紙を書き送ったのですが、パウロは手紙とともにテモテを派遣しています。それはパウロの代理としてコリント教会の問題を解決するためでした。また、第2コリント1章19節を読むと、テモテがパウロやシラスとともに教会での説教の務めにも加わっていることが分かります。したがって、パウロは第1テサロニケ3章2節でパウロのことを「私の兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者」と呼んでいるのです。

 さらに、パウロが最後に書いた手紙と言われる第2テモテ2章2節でパウロはテモテに向かってこう言っています。「多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。」テモテにとって、パウロが語った説教を聞きパウロが行った働きを見ることが訓練でした。英語にteachableという言葉があります。この言葉は「教える」という意味の「teach」とできるという意味の「able」をくっつけてできた言葉ですが、teachableという言葉の意味は、人が誰か他の人に教えることができる能力があるという意味ではなく、その人が他の人の教えをよく聞く、よく学ぶという意味です。テモテはまさにteachableな人間でしたので、たくさんのことを学びたくさん成長しました。彼は、その訓練によって備えられて、厳しい状況の中で伝道者の働きを続けていました。しかし、今、パウロは、テモテに対して、自分が学んで来たことを信頼できる次の世代の人に委ねることを始めなさいと命令しているのです。パウロがテモテの模範となって訓練して来たように、今度はテモテが若い伝道者を養い育てる人となる時が来たのです。主イエスご自身も、3年余りの地上で生活の間、様々な働きをされましたが、その中心は12弟子を養い、訓練することでした。パウロも多くの時間をテモテの訓練のために用いました。そして、パウロが行って働けない場所にテモテを遣わして彼に自分の代理として働きをさせました。最後には、パウロは自分が苦労して立ち上げたエペソ教会を牧する働きをテモテに委ねました。

 主イエスが11人の弟子たちに与えた最後の命令は「大宣教命令」と言われます。それは「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という命令です。主は彼らに「あらゆる国の人々を信者にしなさい。」とは言われませんでした。私たちは、牧師とか信徒とか関係なく、誰もがイエスの弟子として生きることを神様は願っておられます。私たちも、テモテのように、teachableな弟子となって、聖書の言葉から、また長谷川先生ご夫妻のお働きから、まずよく教えられ良く学んで、こんどは自分が学んだことを他の人に教えられる人になることが、神様が私たちに願っておられることではないでしょうか。今日、私たちを取り巻く社会には、様々な問題があり、さまざまな災害が起きていて、本当に暗闇の中に置かれている人が大勢います。私たちは、ちいさな地の塩として、また小さな世の光として、この世の人々に神様から委ねられたものを届けることを続けて行きたいと思います。

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