2022年10月23日 『息子の帰りを待つ父 』(ルカ福音書15章11ー24節) | 説教      

2022年10月23日 『息子の帰りを待つ父 』(ルカ福音書15章11ー24節)

 ルカの福音書の15章には、非常に有名なイエス様のたとえ話が3つ記されています。3つのたとえ話は一つの共通のテーマを持っています。それは、「失われたものの回復」というテーマです。そして、そこには、失われた一匹の動物、一つのもの、そして、一人の人を必死になって追い求める人がいるのですが、それは、神様の心を表しているのです。主イエスがこの3つのたとえ話を語ったのには、きっかけがありました。それは、1節に記されているように、「取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た」からです。取税人とは税金を集める人たちですが、不正を働いて、人々から厳しく取り立てた税金の一部を自分のものにしていました。当然、彼らは皆非常に裕福な生活をしていましたので、人々からは非常に嫌われていました。また、「罪人」とは大きな犯罪を犯した人のことです。もちろん、彼らも、世の人々からのけ者にされていました。そのような人たちがイエスのもとに集まっていました。その様子を見たパリサイ人たちや律法学者は、イエスに文句を言いました。「この人は、罪人たちを受け入れて一緒に食事をしている。」パリサイ人や律法学者は、ユダヤ教の聖職者です。彼らは旧約聖書の命令を守った生活をしていることを誇りに思い、取税人や罪人たちをひどく軽蔑していました。また、彼らは、自分が

神の前に清い者であるために、そのような人々と交わりを持つことをしませんでした。自分たちがそれによって汚れると思ったからです。しかし、主イエスは、彼らの「清さ」が自己中心的なものであることを知っておられました。主イエスは、むしろそのような人々と積極的に交わられました。ハンセン氏病の人々を何度も癒されましたが、ほとんどいつも自分の手で病人に触れていやされました。そして、取税人たちとも交わりを持っておられました。主イエスはご自分でも言われていました。「わたしは失われた人を捜して救い出すために、この世に来たのです。」と。

(1)放蕩の息子の愚かさ

 11節からのたとえ話は15章の最後までが一つのストーリーで、一人の父親と二人の息子の話なのですが、今日は、その前半部分11節から24節までを取り上げます。この個所は、一般に「放蕩息子の話」と呼ばれるとても有名なお話しです。ある人に息子が二人いました。兄はまじめに父のもとで働いていましたが、弟は仕事を手伝うこともせず、人々から「放蕩息子」と言われていました。「放蕩」とは、辞書によると、自分の思うままにふるまい、やるべきことをせず、特に酒や遊びにふけって、乱れた生活をしている人」と説明されています。弟は、毎日そんな生活をしていました。ある日、弟は、父親にびっくりするようなことを言いました。「お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい。」聖書は小説ではないので、弟の言葉を上品に書いていますが、実際には、もっと乱暴な言葉で父親に自分が受け取る遺産をくれと頼んだはずです。この弟の言葉は、ユダヤ人社会ではあり得ないことであり、また、モーセの十戒の5番目の戒め「あなたの父と母を敬いなさい」という命令に反する態度でした。息子が父親がまだ生きているのに、遺産を要求したということは、弟の本音は、「おやじ、早く死ねよ。」そんなものだったのです。弟は、父親と一緒に生活をしていることで、父親に守られて多くの良いものを受け取っていたはずなのですが、彼は家にいると、父親に監視されていようで自由がない生活だと思っていました。それで、彼は、自分が田舎で経験したのことのない人生を生きてみたいと思い、都会に行けば何かしら楽しいことがあるに違いないと思っていました。 弟は父親から財産の分け前をもらうと、何日もしないうちに家を出て、遠くの大都会に行きました。ここで「すべてのものをまとめて」と書かれていますが、それは、彼が自分の持ち物を全部お金に変えたことを示しています。また、「遠い国」とは、ユダヤの国を離れて異邦人の国へ行ったことを意味します。彼は、父親の息子として、遺産を受け継ぐ権利はありましたが、同時に、息子して、将来、父親の面倒を見ることや先祖からの受け継いだ土地を守る責任もありました。また、ユダヤ人の律法は、父と母を敬いなさいと命令しています。しかし、彼は、自分の責任はすべて無視して権利だけを主張し、父親を敬うことをせずに、父親のもとを離れて、遠い異邦人の国へ行ってしまいました。この息子の姿勢は、今日の多くの人が、神から離れて生きようとする姿を表しています。

 彼は、遠くの異邦人の町にたどり着くと、自分が考えていたように、父からもらったお金で放蕩の生活をしました。13節の「放蕩した」と訳されている言葉は、文字通りには「まき散らす」という意味です。彼は、将来のことも考えず、ただ自分の欲望のままにお金を使っていました。彼は、これが自分が求めていた自由な生活だと思っていました。しかし、それは、自分の欲望に支配された生活にすぎません。薬物中毒の人が薬物がないと生きていけないように、彼は自分の欲望を満たさなければ生きていけなかったのです。当然のことですが、罪の楽しみも、そのためのお金も消えるのは早いです。金がなくなると、それまで彼と一緒に遊んでいた仲間たちも、さっさと姿を消し彼は、独りぼっちになってしまいました。しかも、悪いことに、その地を激しい飢饉が襲いました。当時、よく飢饉が起こっていました。旧約聖書でも、アブラハムもイサクも飢饉のためにエジプトに行きましたし、ルツのしょうとめのナオミの家族も、飢饉のためにベツレヘムからモアブという国に避難しました。当時、飢饉が起こると、人々は本当に悲惨な状態になりました。この時、弟は、人生で初めて、食べるものに困るという経験をしました。彼は父親を見捨てて、遠くの町に来ましたが、今、彼は、町の仲間たちから見捨てられ、外国の地で頼る人もなくなりました。自由と楽しみを求めてやって来た場所で、彼はひどい苦しみの中で死に直面していました。これが、人間の罪がもたらす結果なのです。

 彼は、何とかして、自分の力でこの状況を乗り越えようとしました。そこで、「彼はその地方に住むある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って豚の世話させた」と書かれています。ユダヤ人にとって、異邦人の国で豚の世話をするというのは、考えられる限り最低、最悪の仕事です。しかし、これは弟がその人とアルバイトの契約を結んだという意味ではありません。「身を寄せる」と訳された言葉は、「ノリではりつける」という意味の言葉が使われています。恐らく、弟はこじきのようにその人にしがみついて離れなかったのでしょう。それでその人は、困り果てて、彼を畑に送って「豚の世話でもしろ」と言ったのだと思います。16節に書かれているように、弟は、豚の世話の仕事をしているのではなく、豚が食べるイナゴ豆を豚と争って食べようとしていたのです。しかし、イナゴ豆は人間が食べられるものではありません。また、彼に食べ物を与えようという人もいませんでした。何か月か前に、意気揚々と父親の家を出た弟は、気が付いたら、こんなどうしようもない状況にまで落ち込んでいました。しかし、それは自分の罪がもたらした結果なのです。この時、彼が救われる道は一つしかありませんでした。

(2)我に返った放蕩息子

 自分の力でどうすることもできない時、解決の道はただ一つです。弟は、この時点になって、初めて、自分の愚かさに気づきました。彼の解決の第一歩は17節の「しかし、彼が我に返った」ことです。「我に返る」とは「正気に戻る」ということですが、ここまで落ちて初めて、彼は、自分の現実が見えたのです。彼は、自分の家での生活を思い出しました。彼の家の雇い人はあり余るほどのパンを食べていました。雇い人とは家で雇われているしもべというよりも、日雇いの人で、非常に貧しい暮らしをしていて、今日の食べ物を得るためにどんな安い賃金でも働く人々でした。彼の父の家では、そのような雇い人でさえあり余るほどのパンを食べていました。それは、彼の父親が雇い人をとても大切にして、決められた賃金よりも多くのものを与えていたことを表しています。彼の父親は非常にやさしい雇い主だったのです。弟は、今までうっとうしいと思っていた父親のことが急にいとおしく感じ、また、今の自分には父親しか頼れるものがないことに気づきました。人生のどん底にいた弟に、小さな希望の光が見えました。そこで、彼は18節で決断します。「立って、父のところへ行こう。そして、こう言おう。『お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。』父親が、日雇いの人にあのように優しく接しているのだから、こんな自分でも、父親は雇い人としてなら受け入れてくれるかもしれない、それが彼の希望でした。

 ここで彼が行った決断を悔い改め」と言います。彼は、我に返りました。自分の現実に気が付きました。そして、彼は、自分の父親が優しい、良い父親であり、実は、父からたくさんの愛や憐みを受けていたことに気づきました。それで、彼は父親のもとに帰ることを決断しました。彼は、これまで父親の愛を無視して来ました。そして、父親にひどいことを言って家を出て来たので、普通なら家に戻ることは許されません。彼は、父親の憐みにすがるしかありませんでした。弟は、今いる場所から立ち上がって、遠くの自分の家に向かって歩き始めました。ギリシャ語の「悔い改め」という言葉は、もともと「Uターンする」「引き返す」という意味の言葉です。私たちが生まれつき持っている罪が赦されるために人間ができることはただ一つ、悔い改めることです。自分の生き方を見つめ直して、これまで神から離れて生きてきたことを認めて、神のもとへ引き返すこと、これが悔い改めです。この弟も、遠くの町で人生のどん底に落ちた時に、そこで、嘆いているだけでは解決はありません。その生き方を辞めて、父のもとへと戻らなければなりません。弟は、父親がいる家に戻るために、町を出て、家に向かって歩き始めました。彼は、父親が自分を息子として家に入れてくれるとは考えていませんでした。それで、彼は日雇いの労働者として雇ってもらおうと考えていました。弟は、未だに、自分の父親のことを正しく理解していなかったのです。

(3)待ち続けていた父親

 20節にはこう書かれています。「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き口づけした。」父親は、自分の息子が戻って来たのを、彼が村に入る前に見つけました。そのことから、この父親は、息子が家を出て行ったその日から、ずっと、家の外で彼が帰って来るのを待っていたことが分かります。父親は息子が出て行った方角を見つめて、息子の姿をずっと待っていました。何日も息子が戻らない日が続いたので、父親はどれほど心の中で苦しんでいたことでしょう。村の人々は、父親にひどいことをして家出した弟を批判していたでしょう。父親に「あんなバカ息子は、死んだと思えばいいんだ。」とか「あんなひどいことをして、家に戻ってくることはないでしょう。」など、いろいろなことを言ったと思います。しかし、父親はずっと待ち続けていました。その時、遠くに息子の姿が見えました。弟は家を出て行った時はおしゃれな格好をしていたと思いますが、帰って来た時は、やせ衰え、ひげや髪の毛は伸び放題、ぼろぼろの服を着ていましたから、村の人には、それが誰だか分からなかったでしょう。しかし、父親には分かりました。愛する者には見えるのです。すると、父親は、「かわいそうに思って駆け寄りました。」イスラエルでは、ある程度の年齢や地位の高い人は人前では走りません。堂々と歩きます。日本でも天皇陛下は人の前では走りません。しかもここで「駆け寄る」と訳されたギリシャ語の言葉は、ジョギングのような走りではなく、レースを走る時の言葉が使われています。父親はなぜ全速力で息子の所へ走って行ったのでしょうか。おそらく、彼が村の中に入る前に彼を抱きしめたかったのです。村の人が、彼の姿に気づいたら、きっと弟に対して厳しい言葉を浴びせたことでしょう。「よくも戻ってくることができたな。」とか「どの面下げて戻って来たのだ」などと。父親は、息子を抱きしめることによって、村人の厳しい言葉を自分が受け止めようとしたのです。当時の人はすその長い上着を来ていたので、走るためには裾をまくらなければなりません。裾をまくると脚が見えますが、当時、人前で自分の脚を見せることは恥ずかしいことでした。父親は、息子を受け入れるために、そのような恥をものともせず、息子を守り、息子を受け入れるために全力で走りました。それだけではありません。彼は息子の首を抱いて口づけしました。息子は直前まで豚と一緒の場所にいましたから、彼の服も体も汚れてどろどろで、非常に臭かったと思います。しかし、父親にとってはそんなことは何の問題にもなりません。父親は、息子を愛していました。受け入れていました。赦していました。この父親は、神様を表しているのです。

 弟は、父親に言うべき言葉を繰り返し練習していました。21節の言葉です。彼が帰る道々、ずっと練習していた言葉です。弟は、父親が自分を家に迎えてくれるとは思っていなかったので、雇い人の一人として雇ってもらおうとこの言葉を練習していました。しかし、父親は、彼が一番言いたかった言葉「雇い人の一人にしてください。」を言わせませんでした。弟は、雇い人として働く必要がなかったからです。彼は家を出て行った時も、帰って来た時も父親の息子であることに変わりはないからです。父親は息子が家に戻って来たのを受け入れたのです。父親はしもべたちに命じています。「急いて一番良い衣を持ってきて、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履物をはかせなさい。」一番良い着物は、特別に大切な家族の行事の時に着る服です。当時、人々がはめていた指輪には、その人の家の家紋がついていました。指輪は、それをつけている人が家族の一員であることの証拠でした。また、父親は弟に履き物をはかせなさいと言っていますが、当時、家の中で、しもべたちは裸足でした。家族だけがサンダルをはいていました。足の履き物も、弟が家族の一員であることの証拠でした。弟は、父親の息子に相応しいものを何も持たずに、ぼろぼろの服をまとって、ひどい姿で戻って来ました。しかし、父親は、悔い改めて戻って来た息子に、家族であることを示すのに必要なものをすべて息子に与えました。父親は言いました。24節です。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなったいたのに見つかったのだから。」そして、父親は息子のために盛大なパーティーを開きました。

 この父親は、神様を表しています。神様は、私たちを愛しています。毎日、自分のところに帰って来るのを待ち続けたこの父親のように、神様は、私たちが、神様のもとへ戻るのを待ち続けておられます。ただ、罪のために汚れた人間を、聖なる神様はそのまま受け入れることはできません。そこで、父なる神様は、自分にとってもっとも大切な存在である御子イエス・キリストをこの世に送り、私たちのすべての罪を十字架の上でイエス・キリストに背負わされたのです。御子イエス・キリストが罪の罰を受けて死んでくださったのです。これが十字架でキリストが死なれた理由です。このことを信じて、罪を悔い改める人は誰でも、罪が赦されて、神の子として神様に喜んで迎えられるのです。

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