2022年12月4日 『救い主イエスの系図』(マタイの福音書1章1-17節) | 説教      

2022年12月4日 『救い主イエスの系図』(マタイの福音書1章1-17節)

(1)系図の意味

 キリストが神の子として働いたことを記録したものが福音書です。新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4つの福音書があります。なぜ、4つもあるのだろうかと考える人もいるかも知れませんが、一つのものを見ても、それを見る人によって、また見る人がいた場所によって、見方は変わります。先日のワールドカップのスペイン戦でも、三苫選手が最後に蹴ったボールは、いつもの角度から見ると、ラインの外に出ています。しかし、真上で取ったカメラではラインに入っていました。VARのシステムがなかったら、日本はスペイン戦を引き分けで終わっていたかもしれませんし、グループリーグで敗退していたかもしれません。したがっていろいろな角度から見ることは大切なことなのです。しかし、4つの福音書があるからこそ、私たちは、主イエスが何を教えたのか、何を行ったのか、ということをより正確に知ることができます。また、4つの福音書にはそれぞれの個性があり、また違った目的で書かれています。マタイの福音書はユダヤ人のために書かれた福音書です。ユダヤ人は基本的に、生まれると同時にユダヤ教徒と見なされます。ユダヤ人は旧約聖書をよく知っており、信じています。旧約聖書のテーマは救い主です。神様が決められた時に、救い主が来ることを、ユダヤ人は信じています。ただ、多くのユダヤ人は、強く栄光に満ちた救い主を願っていたので、馬小屋で生まれ十字架に掛けられたイエスを救い主と信じることができませんでした。そのようなユダヤ人に対して、マタイは、イエスこそが旧約聖書に預言された救い主であることを証明するためにこの福音書を書きました。旧約聖書には、救い主に関する預言が数多くありますが、その一つに、救い主はイスラエルの王ダビデの子孫として生まれるという預言があります。これは神様がナタンという預言者をとおしてダビデに知らせた預言で、第二サムエル記7章11-13節に記されています。「主は、あなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る。あなたの日数が満ち、あなたが先祖と共に眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼は私の名のために一つの家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」そこで、マタイは、主イエスが、人間的な面ではダビデの子孫として生まれたことを証明するためにこの系図を記しています。私たち日本人は、長々と名前だけが記されている系図に何の意味があるのかと思いますが、もともと、ユダヤ人は自分の家系を非常に大切にしていて、自分がどの部族のどの家系の出身であるのかということを誇りにしています。ユダヤ人が系図に対してこれほどこだわるのは、ユダヤ人は自分たちの血の純潔を守ろうとするからです。ユダヤ人は、わずかでも外国人の血が混じっているとユダヤ人としての資格を失います。私たちにとっては退屈な系図でも、ユダヤ人にとっては、主イエスの系図が、ダビデまでさかのぼり、さらには、最初のユダヤ人であるアブラハムまで遡ることはきわめて重要なことなのです。

 さらに、ここに記されたイエスの系図は、計算されたものであることが分かります。というのは、この系図は3つのグループに分かれています。それは、第一部は2節から6節までアブラハムからイスラエル最大の王ダビデまでで、第二部はダビデ王からイスラエルがバビロンとの戦いに破れてバビロンに強制連行されるまでで、これはイスラエルの敗北と屈辱を描いています。第三部はバビロン捕囚からイエスまでです。そして、それぞれのグループに14人の名前が記されています。これは意図的に造られています。というのは、大雑把に言って、アブラハムからダビデ王までの時代は約1000年、ダビデ王からバビロン捕囚までは450年、バビロン捕囚からキリストの誕生までは550年ですので、それぞれの期間に同じ数の人の名前があるのは不自然です。従って、各グループが14人と言うのは、マタイが恣意的に選んだ14人の名前を記しているからなのです。なぜ、そのようなことをしたのかと言うと、一つには、イエスの系図を覚えやすいものにしたかったからです。当時は、印刷の技術はありませんから、聖書は、すべて手で写して造っていました。従って個人が聖書を持つことはありません。系図の写しを持つことができる人も限られていましたので、多くの人は、この系図を暗記していたと思われます。日本でも、戦前には、天皇陛下の名前を暗記すると言うことが行われていました。それと同じことでした。もう一つは、なぜ14人なのかという点ですが、それはダビデ王と関係があります。マタイは、主イエスがイスラエル最大の王ダビデの子孫であることを証明するために聖書を書いていますが、へブル語ではダビデの名前は3文字で表します。英語風に言えばDVDとなります。ヘブル語にはあいうえおの母音の文字はないので、この3文字でダビデを表すのです。また、ヘブル語には数字の記号がなかったので、ローマ数字のように、ヘブル語の文字を数字代わりに使っていました。アルファベットの順番で数を表していたのですが、ヘブル語のDはアルファベットで4番目,Vは6番目です。従って、ダビデの名前を数字だと考えて合計すると4+6+4で14になるのです。14と言う数はダビデを表しているのです。これらのことから分かることは、この系図は、イエスがダビデの子孫であることを証明するためのものであり、それを人々が記憶しやすいものにするために、3つの部分に分けてそれぞれに14人の名前を上げているということです。マタイの福音書に記された系図はイエスの母マリアの夫ヨセフの系図です。ルカの福音書には、母マリアの系図が記されています。それを見るとマリアもダビデの子孫であることが分かります。この二人がともにナザレに住んでいて、そしてその二人が結婚をすることによって、主イエスは、人間的には100%ダビデの子孫として生まれて来ました。ヨセフとマリアにはそれぞれ両親がいて、その親たちがもし、結婚していなかったら、マリアもヨセフも生まれてくることはありませんでした。このように考えると、主イエスがダビデの子孫として生まれるという預言が成就することがどれほど奇跡的なことなのかということが分かります。

  • 神の恵みの系図

 主イエスが、神としての栄光を捨てて、自分を低くしてわざわざこの世に来られたのは、私たち人間との関係を修復するためでした。元々、人間は神様に造られた存在であり、神の教えに従って神と共に生きる時が最も幸いなのですが、人間は、神の教えよりも自分の欲望を優先したために、神の掟を破ってしまいました。そのために、神と人間との関係が断絶し、人間は、神の怒りを受けて、永遠の滅びに向かって生きる者となってしまいました。人間は、自分の力でこの状況を変えることはできません。しかし、神様は、そのような自己中心の人間であっても人間を愛し、人間を永遠の滅びから救い出すために、神のひとり子イエスを、人間が受けるべき罰を人間の身代わりとなって受けるために、この世に送られました。それがクリスマスの意味です。したがって、このイエスの系図も、神様の恵みが表されている系図です。「恵み」というのは、一般的には、漠然と嬉しいもの、良いものと考えられていますが、聖書的に言うと、恵みとは、受ける資格のない者に、神様が一方的に与えて下さるものを意味します。聖書は、イエスを救い主と信じる者に、神様があふれるばかりに恵みを与えてくださると教えています。その恵みを受け取る方法は一つしかありません。イエスを救い主と信じる信仰だけです。神様の恵みは、私たちが良い行いをした結果の報酬として与えられるものではありません。この系図の中には、神様の恵みを受ける資格のない人の名前も記されています。普通は、誰か偉大な人物の系図を記す時に、もし、その中に、その人物に相応しくないような罪人や悪人が含まれていれば消し去るのが普通です。そして、多くの場合は、偉大な人物の権威を高めるために、伝説を創り出して、その人の経歴を事実以上に美化します。しかし、神の御子イエスの系図は、まったく反対で、神様の恵みを受けるには相応しくない人の名前が記されているのです。そこに、神様の恵みは、すべての人に注がれるというメッセージが含まれています。

 マタイは、イエスの系図の中に4人の女性の名前を記しています。ユダヤ人の系図は、一般的に男性の名前しかありません。当時は、女性は男性よりも低い存在と見なされていたからです。系図の中に女性の名前が含まれていること自体、とても珍しいことであり、偉大な人物の系図には相応しくないことなのですが、それだけではなく、系図に記された4人の女性がすべて、神の恵みを受けるには相応しくない人物なのです。最初に登場するのは、3節のタマルです。ユダにタマルという女性によってペレツとゼラフが生まれたと記されていますが、実は、この女性は、ユダの長男の嫁ですが、ユダヤ人ではなくカナン人でした。タマルの夫、すなわちユダの長男は、主の目に悪い人間だったために、主は彼のいのちを取られました。イスラエルの民は家系を守ることがきわめて大切なことだったので、長男の役割が大きく、長男が子どもを残さずに死んだ場合、結婚していない弟が長男の妻と結婚することになっていました。そこで、ユダの次男がタマルと結婚しますが、次男も神の目に悪を行ったので、次男も死んでしまいました。そこで、ユダはタマルに三男を夫として与えることを約束したのですが、三男がまだ幼かったのでタマルに実家に帰って、しばらくやもめのまま暮らすように言いました。ユダは、三男もタマルと結婚して死ぬことを恐れて、この約束を果たしませんでした。タマルは何とかユダの家系の子どもを産んでその家系にとどまろうとして、売春婦に変装してユダに近づきました。ユダは、情欲にかられて、タマルと知らずに彼女と肉体関係を持ちました。このような不法な行為によって、ユダにはペレツとゼラフの双子が生まれましたが、当然のこと、この二人の行為は神様に受け入れられるものではありませんでした。しかし、ユダも、タマルも、そしてペレツも約束の救い主の系図の中に含まれていて、彼らに神様の恵みが注がれています。

 2番目に出て来るのは、5節に記されているラハブです。ラハブはヨシュア記に出てくる女性ですが、エリコに住んでいた売春婦です。ヨシュアをリーダーとしたイスラエルの民は神様に導かれてエジプトを脱出し、40年間荒野をさまよった後、ついに約束の国に入りました。ただ、約束の国にはすでに人が住んでいたので、彼らは、それらの場所を戦いで勝利して自分のものにしなければなりませんでした。彼らが最初に滅ぼしたのはエリコでしたが、ヨシュアは、戦いをする前に、町の様子を知るために二人のスパイをエリコに送りました。二人はエリコに入るとラハブの家に泊まりました。そのことに気づいたエリコの王がラハブのもとへ人を遣わして、二人を引き渡すように言いましたが、ラハブはうそをついて二人をかくまい、密かにエリコから脱出させました。ラハブは、異邦人でしたが、すでにイスラエルの神を神と信じていました。そして、彼女は二人のスパイのいのちを助けました。そのため、イスラエルの民がエリコを滅ぼした時に、ヨシュアは、ラハブと彼女の家族を助け出しました。神様は、ラハブのいのちを守っただけではありません。彼女をサルモンという人物と結婚するように導き、彼女はサルモンとの間にボアズという男の子を産みます。ボアズはルツ記のルツと結婚しオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデ王が生まれます。このようにして、エリコに住んでいた一人の女性、しかも、売春をしていた女性が、イエスの系図の中に組み込まれました。

 3番目の女性はルツです。ルツもラハブと同じように外国人でモアブという国の女性でした。彼女の最初の夫は、飢饉のためにベツレヘムからモアブへ避難していた家族の息子と結婚しますが、夫は早死にします。彼女の姑のナオミは夫も二人の息子にも死なれた後、故郷のベツレヘムに戻る決心をしますが、その時、ルツは、自分の家族を離れてナオミについてベツレヘムに行きました。そして、そこで、彼女は2番目の夫となるボアズと結婚することによってイエスの系図に組み込まれます。彼女は、素晴らしい女性でした。彼女はユダヤ人ではなくモアブ人でしたが、イスラエルの神を信じていました。ただ、ユダヤ人の系図の中に、異邦人が入っていることは、普通は、非常に恥ずかしいことなのです。ユダヤ人は異邦人は犬と同じと考えていたからです。そのような女性がイエスの系図に入っています。

 最後4番目の女性は6節に出て来ます。6節にこう書かれています。「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」ウリヤの妻と書かれていますが、この女性には名前があります。バテシェバと言います。名前があるのに、彼女だけはわざわざウリヤの妻と書かれています。それには訳があります。ダビデ王には何人もの妻がいたのですが、神様は、ダビデが彼女を自分の妻に迎えた迎え方をよしとはしませんでした。それは明らかに律法に反することだったからです。ある日、ダビデ王は、宮殿で過ごしていると、隣の家の庭でバテシェバが水を浴びていました。その様子を見て、ダビデ王は情欲に捕らえられて、部下を遣わして彼女を宮殿に連れて来させ、彼女と肉体関係を持ちました。しばらくしてバテシェバが妊娠したことが分かりました。彼女の夫ウリヤは、その時、戦争の最前線でイスラエル軍の兵士として戦っていました。ダビデは自分が犯したことを隠すために、ウリヤを戦場から呼び戻します。そして、ウリヤにしばらく家に戻って妻とゆっくり過ごすように進めますが、まじめな兵士ウリヤは、仲間が戦争で戦っている最中に自分だけ家に戻ってゆっくりすることはできないと言って、自分の家に戻りませんでした。ダビデは、自分の作戦がうまく行かなかったので、今度は、自分の不倫を隠すために、部下に命じて言いました。「ウリヤを最も危険な最前線に送れ。敵が近づいて来たら、彼だけを残して他の兵士を後ろに下がらせろ。」ダビデの部下が指示通りにしたため、敵の軍隊が近づいてきた時に、取り残されたウリヤは戦死します。そして、その後、ダビデはバテシェバを自分の妻に迎え入れました。しかし、神様はこのダビデの行為をお赦しになりませんでした。この時バテシェバのお腹にいた赤ちゃんは死んでしまいます。そして、神様はナタンという預言者をダビデのもとに遣わして、ダビデの罪を厳しく指摘しましたので、ダビデは自分の行ったことを悔い改めました。神様は、ダビデの罪もバテシェバの罪もお赦しになり、二人にソロモンという跡継ぎの息子を与えてくださり、二人は、イエスの系図に残ることになりました。

 このように見てみると、イエスの系図は、単に古い時代の人の名前が羅列してあるだけのものではないことが明らかです。イエスの系図の中に、4人の女性が入れられていること、しかも、それぞれの女性は決して系図に加えるのにふさわしい女性ではありませんでした。しかし、このことは、イエス・キリストによって、罪ある者にも、社会でのけ者にされている者にも、イエスの愛と恵みが注がれていることを示す証拠でもあります。特に、ダビデが犯したことは、自己中心のひどい行いであり、到底赦されることではないのですが、主イエス・キリストは、そのような者の罪をも消し去ってくださるのです。ダビデもバテシェバも、神様の恵みによって、イエスの系図に残っています。私たちは、皆、どんなにこの世で立派な生き方をしているとしても、神の目には罪人です。しかし、そのような私たちも、誰一人例外なく、イエスの系図の中に加えられています。ラハブもルツも、イエスが救い主として来てくださらなかったら、無名の一人の女性として死んでいく者でしたが、神様の恵みによって、イエスの系図という名誉ある系図に加えられました。私たちは、主イエスを救い主と信じるならば、国籍や、家柄や、能力などいっさい関係なく、どのような人も、イエスの家族に加えられ、天国を国籍とする新しい国民になることができるのです。そのことを実現するために、イエスは、このような系図を通して、私たちのところに来てくださいました。そして、私たち一人一人に、神のために生きるという新しい使命を与えてくださいます。私たちが、神様と共に、神様のために生きるとき、私たちは、もっとも有益な生き方ができるのです。

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