2023年1月8日『霊を見分けなさい』(1ヨハネ4章1-6節) | 説教      

2023年1月8日『霊を見分けなさい』(1ヨハネ4章1-6節)

 私たちは、クリスマスを終えて、また、イエスの弟子であったヨハネが書いた手紙に戻ります。イエスの弟子のヨハネは、年を取ってからエペソの町にあった教会の指導者になったと言われています。エペソの町は当時、非常に栄えた町で、今もその遺跡が残っています。エペソには、世界の7不思議の一つと言われた「アルテミスという女神を祀った壮麗な神殿がありました。町全体が、神殿で栄えていました。そのような場所にあったキリスト教会は非常に大きな霊的な戦いがありました。そして、教会の中に、いろいろな間違った教えが入り込んでいました。そのために、ヨハネは、エペソ教会のクリスチャンたちが正しい信仰にしっかりと立ち続けるように、彼らに警告の手紙を書き送りました。

 今の日本も様々な宗教やカルトや迷信が入り込んでいます。テレビでも、どのチャンネルでも、必ず今日の運勢と言って占いが使われています。聖書は、目に見えない世界、霊的な世界があることを教えており、神様も霊的な存在です。確かに霊の世界が存在します。しかし、霊的世界には、様々な間違った霊、悪霊も働いているのです。たとえば聖書は、占いは悪霊の働きであるとハッキリと述べています。悪霊の大元は、神の敵であるサタンです。サタンは、あらゆる方法を用いて、私たちが神から心が離れて、神以外のものを信じるように仕向けています。悪霊にも霊的な力がありますから、不思議な現象が起きることがあります。旧約聖書に登場するモーセは、今から3500年ほど前のユダヤ人の指導者ですが、彼はエジプトで奴隷として苦しい生活を強いられていたユダヤ人を助けるためにエジプト王と激しく対立しました。神様は、エジプト王がユダヤ人をエジプトから出ることを認めるように、モーセを通してエジプトに様々な災いを引き起こしました。しかし、エジプト王にも魔術師がいて、彼らもまた、モーセと同じような不思議な働きをしました。このことから分かるように、悪霊にも不思議な業を行う力があるのです。人々は、占いが当たったと感じるとそれにはまってしまい、占いの通りに行動するようになります。自分で自由に行動することができず、どんなこともすべて占いの声に従うようになってしまい、占いに完全に支配されてしまいます。これが悪霊の働きです。レーガン大統領のナンシー夫人が水晶占い師の教えに支配されて、政治に口出しをしていたと噂されていますし、日本でも、占い師に支配されて姿を消した有名人がいます。統一教会の働きも悪霊の働きですが、その影響を受けている政治家がこれほど多いとは、驚きとともに大きな不安を感じます。世の中には様々な霊が働いていて、人々の心を惑わしています。ヨハネは、「霊をすべて信じてはいけません。」と警告の言葉を発していますが、子のエッセー時は、当時のエペソ教会の人に対するものだけではなく、今の時代の日本人にも語られているメッセージなのです。

(1)霊を吟味しなさい。

 まず、この手紙を受け取ったエペソ教会の状況について考えましょう。新約聖書の中にパウロが自分が設立した教会に宛てて多くの手紙を書いていますが、パウロは、生涯を通じて3回の伝道旅行を行い、現在のトルコとギリシャに多くのキリスト教会を造りました。彼は、教会が成長し、信頼できるリーダーが生まれると、別の場所に移動して、宣教活動を進めて行きました。すると、パウロが教会を去った後に、パウロとは違う教えを教える者が現れて、それらの教会が混乱することが繰り返して起こりました。そのため、パウロは、教会宛に手紙を書く時に、まず、自分たちが信じている福音とは何かということを説明して、混乱を解決しようとしました。パウロが教えた福音とは、神様が私たちに与えてくださったもので、それは、主イエス・キリストの十字架の死と復活による罪からの救いと永遠のいのちの約束です。

 3章の24節には正しい霊、聖霊の働きが記されています。本当に主イエスを罪から私たちを救い出す救い主と信じる者には、聖霊がわたしたちのうちにとどまっておられることが約束されています。4章に入って、ヨハネは、聖霊以外の様々な悪い霊がこの世の中で働いているので、それに惑わされないように注意しています。それで、4章1節の終わりのところで、ヨハネはエペソ教会の人々に「吟味しなさい」と命令しています。何を吟味するのかと言うと、「その霊が神から来ているものかどうかを吟味しなさい」と命令しています。ギリシャ語の命令には二つのかたちがあって、1回だけやりなさいという命令と、いつもやり続けなさいという命令がありますが、ここでは、ヨハネは、毎日吟味し続けなさいと命令しています。彼がこのように命令しているのには理由がありました。それは、偽預言者がたくさん世に出て来ていたからです。サタンは、神を信じる者たちの群れである教会をつぶそうと必死になって働いています。サタンは、必ずしも、教会の教えに真向から反対する形で教会を攻撃するとは限りません。サタンがエデンの園でアダムとエバを誘惑した時のように、聖書の正しい教えを微妙に変えて攻撃することもあります。パウロはコリント教会への第二の手紙の中でこう言っています。「彼らは人を欺く働き人であり、キリストの使徒に変装しているのです。しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光のみ使いに変装します。」今日でも、韓国の新天地という宗教団体は、正統的なキリスト教会に信徒を送りこませて、熱心な信者を装わせて、他の教会のメンバーからの信頼を得た後で、教会を批判して、教会を分裂させることを行っていて、日本の教会にも被害が及んでいると聞いています。私たちは、いつも、霊を見分けることを意識して行わなければなりません。

  • どのように吟味するのか

 ヨハネは、ここで、教師やその教えが神から来たものなのか、サタンから来たものなのかを見極めるためにどうすれば良いのかを記しています。第一に、その教えは、人となってこれらたイエス・キリストを告白しているかどうかを吟味しなさいと教えています。告白すると訳されている言葉は、ギリシャ語では「同じことを言う」という意味を持っています。つまり、主イエス・キリストについて、聖書と同じように、「主イエスは、確かに、私たちの罪を赦すために、私たちと同じ肉体を持つ人間となってこの世に来られた」と言っている人は、神からの霊を持っている人だということです。ヨハネはこのことを何度も繰り返して告白しています。この手紙の書きだしを覚えていますか。1章1節で、ヨハネはこう言いました。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」いのちの言葉とはイエス・キリストのことです。ヨハネはイエスの弟子として、3年余り、イエスと生活をともにしていましたから、イエスが、私たちとまったく同じまことの人間であったことを経験的によく知っています。しかし、ヨハネがこの手紙を書く頃には、すでに40~50年過ぎていましたから、若いクリスチャンたちは、実際のイエスを見たことがなく、主イエスが本当に人間の姿を持っておられたのか、疑問を感じる人もいたようです。主イエスは、私たちの身代わりとなって、罪人が受けなければならない刑罰を受けてくださいました。私たちの完全な身代わりとなるために、主イエスは、私たちとまったく同じ人間になられましたが、それだけでなく、主は十字架の上で、十字架の苦しみをはっきりとした意識の中ですべて経験されました。ローマの兵士は、十字架刑の苦しみの大きさをよく知っていたので。憐みの心で、受刑者に酸っぱいブドウ酒を口に含ませていました。酸っぱいブドウ酒には、一種、麻薬のような働きがあるようです。しかし、主イエスはその酸っぱいブドウ酒を飲まれませんでした。それは、私たちの身代わりとして十字架刑の苦しみを100%経験して、私たちのための完全な救い主になるためでした。しかし、ギリシャ哲学の影響を受けた人々の中には、キリストが完全な人間であったことに疑いを持つ人もいました。というのは、ギリシャ哲学では、すべてを二つに分けて考える傾向があり、目に見えるものと目に見えないものに分けて、目に見えないものは善であり、目に見える形のあるものはすべて悪だと考えていました。したがって、神であるイエスが、悪である肉体を持つことに抵抗を感じる人がいたのです。ある人は、主イエスは、神であり、人間のように見えたが本当の肉体を持っていたのではなく、幽霊のような存在だったと考えるようになっていました。しかし、主イエスが私たちを同じ肉体を持っていなかったなら、主イエスの十字架はまったく意味のないものになってしまいます。主イエスは、聖書が言うように、確かに、私たちと同じ肉体を持つ者としてこの世に来られたのです。

 イエスを告白しない霊はみな、神から出たものではありません。ヨハネは、それは反キリストの霊だと言いました。つまり、サタンの霊です。反キリストの霊が、すでにヨハネの時代に現れていました。その時から2000年過ぎ去りましたが、今もなお反キリストの霊が働いています。統一教会も反キリストの働きです。エホバの証人も、父なる神だけをエホバの神として認めて、イエスは神によって最初に造られたもので、限りなく神に近い存在ではあるが唯一の神として認めていません。

  • 神から出ている者

 確かに、今、悪霊は働いています。しかし、私たちは恐れる必要はありません。もし、私たちが本当に、主イエスを救い主と信じるなら、私たちは「神から出た者である」とヨハネは言いました。神から出た者のうちには、聖霊が与えられています。この世にいる者とは、神の敵であるサタンのことです。聖霊はサタンよりも偉大なお方です。三位一体の神である聖霊が私たちのうちにおられるなら、私たちは何を恐れる必要があるでしょうか。どんな悪霊の働きも、私たちを神から引き離すことはできません。私たちは、信仰生活の中で不安を感じる時、迷ってしまう時があります。しかし、それらは信仰の視点で見ると、二次的、三次的なことがらです。私たちの信仰の土台はイエス・キリストです。私たちの行いではありません。ペテロの言葉を引用すると、私たちは朽ちない種によって新しく生まれたのです。この時に与えられた永遠のいのちは誰も奪い取ることはできません。一方、イエスを信じない者たちは、この世から出た者です。この世から出た者は、この世の考えや価値観で生きています。それらのものは私たちに永遠のいのちは与えません。この世から出た者は、滅びに向かって進んでいるのです。

 6節で、ヨハネは「私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。」神を信じないでこの世の流れの中で生きている人は、この世のことを話します。しかし、神から出た者は、神のことを話します。ここで、ヨハネが私たちと言っているのは、ヨハネ自身を含めて聖書の言葉を書き記した人々を指しています。彼らのように、本当の教師、真の預言者は、神の言葉を語ります。聖書に記されている言葉は、皆、聖霊のインスピレーションによって書かれたものです。クリスチャンにとって、神について知らなければならないことはすべて聖書に書かれています。私たちは、聖書の言葉だけに神の言葉としての権威を認めています。世の中はイエスの時代から2000年たって、世界はすっかり変わっています。良い方向に進んでいるというよりも、自然界を含めて、人間は滅びに向かっているように思います。しかし、聖書の言葉は2000年前と何一つ変わっていません。これからも変わることはありません。主イエスは言われました。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」私たちは、この世の霊に惑わされないためにも、聖書の真理、福音の中心となるみ言葉をしっかりと握りしめておかなければなりません。しかし、これだけは覚えておいてください。私たちは、この世に勝つ者としての生涯を歩んでいるのです。

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