2023年3月19日 『罵られてもののしりかえさず』(マルコ15章16節~32節) | 説教      

2023年3月19日 『罵られてもののしりかえさず』(マルコ15章16節~32節)

 ローマ総督のピラトは、イスラエルで最も大きな権力を持っている人物でした。彼は、主イエスが十字架刑に価するような罪を犯していないことを知っていました。しかし、彼は、自分の責任を果たすことよりも、自分の身を守ることを第一としたために、15節に記されているように、彼は、暴動を起こしそうな群衆を満足させるために、イエスを十字架にかけるために引き渡しました。

(1)ローマ兵士たちのからかい

 16節に「兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。」と記されています。ここまでは、ローマ総督の官邸の外側の群衆の集まるところでピラトと群衆とのやりとりが繰り広げられていましたが、イエスは、ローマ兵士に連れられて、官邸の中に入りました。そこはエルサレムの神殿のすぐ北側にあるアントニウスの要塞と呼ばれる場所でした。ピラトは全部隊を呼び集めたと書かれていますが、ローマ軍の一つの部隊は600人でした。総督官邸は大きな建物ではありましたが、その建物の中庭に、600人のローマ兵士と一人の主イエスがいたのです。ローマの兵士たちはローマ帝国全土から集められた者たちで、日頃から、異邦人を低く見るユダヤ人たちとの間に緊張関係があり、イスラエルを支配することに手こずっていました。当然、彼らは、ユダヤ人たちを憎んでいました。そこに、ユダヤの王と呼ばれる犯罪者としてのイエスが官邸内に連れてこられました。官邸の中には、異邦人の家の中に入ると宗教的に汚れると考えるユダヤ人は一人もいませんでした。そこで、ローマの兵士たちは、ユダヤ人に対する日頃抱いていた憎しみを、イエスに浴びせかけました。彼らは、イエスを、ユダヤの王としてからかい始めました。17節に「そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ」と書かれています。紫の衣は、当時、非常に身分の高い人が身に着けるものでした。紫色を創り出すことが難しかったからです。彼らはどこから紫の衣を持ってきたのでしょうか。これは、おそらく、兵士たちの使い古された制服の上着だったと思われます。ローマ兵士は真っ赤な制服を来ていましたが、長く来ていると制服はだんだん色があせて紫のような色になっていました。彼らは、使い古された兵士の上着をイエスの肩に乱暴に投げかけました。イエスの背中は、すでに、何度もムチを打たれていたのでぼろぼろになっていました。上着を着せられただけでも激しい痛みが走ったはずです。また、彼らは、茨の枝を何本か束ねて丸い輪をつくってイエスの頭にかぶせました。当時、ローマ皇帝が金で造られた月桂樹の葉をデザインした冠をかぶっていましたので、それを真似たものです。茨の冠をイエスの頭にぎゅっと押し込むようにかぶせたため、茨のとげがイエスの頭や額に食い込み、イエスの額から血が流れ落ちました。

 ローマの兵士たちの行動はますますエスカレートして行きます。18節-19節には次のように書かれています。「それから『ユダヤ人の王様、万歳』と叫んで敬礼しはじめた。また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。」彼らは、イエスをユダヤ人の王としてからかい、イエスの手には、王様が持っていた笏のかわりに葦の棒を持たせ、イエスに向かって敬礼したり、イエスが持っていた葦の棒で、イエスを頭をたたき、イエスの顔に唾を吐きかけ、イエスの前でひざまずいてうやうやしくイエスを拝みました。主イエスの十字架の苦しみは、釘ではりつけにされた時の肉体的な苦しみだけではありません。人間の中にあるあらゆる罪の性質の悪いものを浴びせられることもイエスにとって大きな痛みであったはずです。しかし、主イエスは、このことを以前から知っておられたので、弟子たちに話しておられます。イエスが十字架にかかる決意を持って、エルサレムに向かって進んで行かれた時に、弟子たちに次のように言われました。マルコ10章33,34節を読みましょう。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」それだけではなく、旧約聖書のイザヤ書も、苦しむしもべとしての救い主の姿を預言していました。50章5、6節の言葉です。「神である主は私の耳を開いてくださった。私は逆らわず、うしろに退けもせず、打つ者に背中を任せ、ひげを抜く者に頬を任せ、侮辱されても、唾を吐きかけられても、顔を隠さなかった。」この時、主イエスは、人間的には耐えられないような侮辱を受けていました。しかし、そのすべてを主イエスは耐え忍ばれました。主イエスは人間が持っている罪の性質や行いのすべてを背負って十字架にかかられたのです。ローマの兵士たちは、さんざんイエスをからかった後、紫の衣を脱がせて、主イエスが元々来ていた上着を着せました。そして、彼らはイエスを十字架につけるために、総督官邸から外へと連れだしました。旧約聖書の律法の中に、死刑を行う場合には街の外で行わなければならないという決まりがありました。そのため、主イエスは、当時ゴルゴタと呼ばれていた、エルサレムの街の城壁の外にあった丘に連れて行かれました。

  • ローマ兵士たちによる処刑

 21節には次のように記されています。「兵士たちは通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。」イエスは、ロ―マ帝国の死刑囚となったため、ローマの規則で、十字架の2本の木のうち、横木を背負って、処刑場まで歩かされました。主イエスは、前日から一睡もしていないこと、ムチを打たれたことなどで、総督官邸を出る時から、すでに体はぼろぼろ状態でした。そのため、イエスは、途中で倒れ込んでしまいました。そこで、近くにいたローマ兵士が、たまたま通りかかったクレネ人シモンにイエスの十字架を無理やり背負わされました。クレネとは北アフリカの地名で、現在のリビアです。おそらく、シモンはユダヤ教の信者で、過越しの祭りに参加するために、エルサレムに来ていたのでしょう。彼は、神殿に行こうとしていましたが、突然、彼の意に反して、神殿ではなく、エルサレムの街の外のゴルゴタの丘に向かうになりました。ところで、ここに、クレネ人シモンについてイエスの十字架とは関係のないことが記されています。シモンが、アレクサンドロとルフォスの父親であるということです。マルコの福音書は、ローマ人のために書かれた福音書、ローマにいるクリスチャンのために記された福音書だと言われています。そして、マルコの福音書の読者であるローマの教会の人たちにとって、アレクサンドロとルフォスはよく知られていた人物だと思われます。パウロがローマ教会に書き送った手紙の最後のところに、ローマ教会の人々に対する個人的な挨拶の言葉が記されているのですが、その中に「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また、彼と彼の母によろしく」という記事があります。ルフォスと彼の母によろしくとありますから、言い換えると、クレネ人シモンの奥さんとその息子であるルフォスによろしくということです。こう考えると、クレネ人シモンは、ゴルゴタの丘での主イエスを目撃し、イエスが十字架の上で言われた言葉を聞いてクリスチャンになっていたのではないでしょうか。そして、その信仰は、彼の妻と、息子たちにも受け継がれて行ったのです。シモンにとって、自分の計画がだめになった出来事が、実は、その後、彼の家族にとって大きな祝福の出来事に変わったのです。

 主イエスは、ローマの兵士たちによって、エルサレムの街の外にあったゴルゴタという丘に連れて行かれました。22節に「訳すとドクロの場所」という説明がついていますが、それは、この福音書を読むローマのクリスチャンたちはヘブル語を知らないために、マルコがその意味を教えるために書き加えた言葉です。その場所が「どくろ」と呼ばれたのは、その場所がどくろに似ていたからとか、あるいは、その場所には処刑された人間の頭蓋骨が埋められていたからだとかと言われています。「ゴルゴタ」はラテン語では「カルバリ」と言います。したがって、ゴルゴタの丘は、カルバリの丘とも言われます。いずれにせよ、この丘の近くには人通りの多い道がありました。それは、十字架刑は、人々への見せつけのために行われたからです。イエスをはりつけにする前に、ローマの兵士たちは、イエスに没薬を混ぜたブドウ酒を飲ませようとしました。没薬は香水に使われることもありましたが、麻酔のような働きがあったので、受刑者への憐みから、処刑前に受刑者に与えられていました。しかし、主イエスは、完全な私たちの身代わりとなって十字架の刑を受けるために、このブドウ酒を飲もうとはされませんでした。そして、24節にマルコはすごく簡単に、「それから彼らはイエスを十字架につけた。」と記しています。この福音書の読者であったローマの住民は、十字架刑をいつも見ていましたから、それがどのようなものかよく知っていたので、マルコはあえて何も書き加える必要はなかったのです。ローマの人々はその恐ろしさをよく知っていました。当時のローマの学者キケロという人は十字架についてこう述べています。「十字架は、人間が考え出した最も残酷で、おぞましい処刑方法である。」ペルシャが起源と言われる十字架刑は、のちにローマ帝国に受け継がれ、人々への見せしめとしてローマ人以外の犯罪者の処刑に用いられました。ローマ帝国が紀元70年にエルサレムを滅ぼした時、あまりにも多くのユダヤ人を十字架刑にしたため、ローマでは一時材木が不足したという記録も残っているそうです。

  • 主イエスへのあざけり

 主イエスが十字架にはりつけにされたのは午前9時でした。十字架のイエスの頭上には罪状が死記された板が取り付けられましたが、そこには「ユダヤ人の王」と書かれていました。ユダヤ教の指導者たちは、この罪状書きが気に入らず、ピラトに変更するように申し出ました。実は、これまでのイエスの裁判の中で、ユダヤ教の指導者たちはいろいろな罪をイエスになすりつけて訴えていました。イエスは悪いことをした人だと訴え、イエスは国民を惑わしたと訴え、また、イエスはローマ皇帝に税金を納めることを禁じたと訴え、イエスは自分が王だと言っていると訴え、イエスは民衆を扇動していると訴え、イエスは自分を神の子としたと訴えています。この中で、真実なのは、最後の「自分を神の子とした」ということだけで、後はすべて偽りでした。様々な訴えがあった中で、ピラトは「ユダヤ人の王」という罪状書きを選びました。これは、自分を脅迫したユダヤ教指導者に対するピラトの復讐と言えます。ユダヤ教の指導者たちは決してイエスをユダヤ人の王とは認めていなかったからです。イエスは二人の強盗とともにはりつけにされましたが、「強盗」と訳された言葉は、大きな罪を犯した人を意味する言葉です。ルカの福音書には、イエスの代わりに釈放されたバラバはエルサレムで起こった暴動と人殺しのかどで牢に入れられていたと書かれているので、この二人は、バラバの共犯者だったかもしれません。実は、このことも旧約聖書に預言されていました。ピラトがイエスを無実と知っていながら、ユダヤ教指導者たちの脅迫におじけづいて、イエスを十字架刑にしたのですが、彼がどのような動機で、イエスに十字架刑を宣告したとしても、彼の行動は、旧約聖書に預言されていたことを実現することになりました。

 数時間前に、ローマ総督ピラトに向かって「十字架につけろ」と叫んでいた群衆の一部が、イエスを追いかけてゴルゴタの丘まで来ていました。彼らは、ユダヤ教の指導者たちと一緒になって、十字架にはりつけにされているイエスに向かって罵りの言葉を投げかけています。彼らは頭をふりながら罵っていますが、頭を振るのも嘲りと軽蔑のしるしでした。彼らは、イエスに対する偽りの訴えを繰り返しました。ただ、彼らの中には、その週の日曜日に主イエスがエルサレムに入られた時に、「ダビデの子にホサナ」と叫んでいた人もいたはずです。彼らの行動は、人間の心がどれほど変わりやすく、罪深いものであるかを示すものです。彼らは、主イエスに向かって「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」と叫びました。主イエスは、神としての力を使えば、十字架から降りることなど簡単にできることでした。しかし、もしイエスが十字架から降りれば、人間の罪が赦される道はなくなってしまいます。主イエスは、人間の罪が赦される道を開くために、父なる神のみ心に従い、自ら進んで自分のいのちを捨てられました。それは、主イエスが、人間にとって一番必要なことは、罪に対する永遠の裁きから解放されることだと知っておられたからです。自分が人間の身代わりになって罪の罰を受けないと、すべての人間は永遠に滅ぶ者になってしまうからです。そのために、主イエスは、自分のメンツや恥などをすべて無視して、十字架の道を進んでくださいました。主イエスが知っておられた人間の必要、 私たちは、その必要を本当に知っているでしょうか。聖書によると、主イエスを受け入れない人は、この世でどのように成功したとしても、永遠の滅びに向かわなければならないのです。主イエスは、そんなことが絶対に起きてはならないという強い思いで、自分のいのちを十字架で捨てられました。どうか、主イエスのこの犠牲の働きを無駄にすることなく、主イエスの十字架が自分のためであったことを受け入れてください。

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