2023年4月2日 「救い主の埋葬」(ルカの福音書15章42-47節) | 説教      

2023年4月2日 「救い主の埋葬」(ルカの福音書15章42-47節)

 聖書は、私たちの世界は神様によって造られたものであり、私たち一人一人も神様によって造られた者であると教えています。私たちは、毎日の生活の中で、自分の考えや願いに従って行動していますが、実は、その背後にあって、神様が私たちの世界の動きを支配しておられると聖書は教えています。聖書によれば、神様は今も生きておられて、私たちの生活の中でも働いておられます。私たちの生活の中に神様の働きが現れる方法が二つあります。その一つは神による奇跡の働きです。主イエスが十字架に掛けられた時に、午後12時から3時まで、あたりが真っ暗になったのは、自然現象ではなく、神様がこの世界に介入して超自然の状況を創り出してくださった結果です。神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けたのも奇跡でした。しかし、神様は、奇跡よりもはるかに多くの場合に、神の摂理という方法で、この世界を動かしておられます。神の摂理とは何でしょうか。聖書によれば、全知全能である神様、時間的にも空間的にも一切の制限を受けられない神様が、実質的にこの世界を支配しておられて、いろいろなことを計画しておられます。その計画を実現するために、神様は、人間が自分の考えや思いに従って行う行動や、自然の状況などを用いて、それを一つ一つ組み合わせて、自分が計画されたことを実現するために働いておられます。これを神の摂理と呼びます。例えば、旧約聖書のヨセフの場合、彼は兄たちからの妬みによってエジプトに奴隷として売り飛ばされました。しかし、最終的に彼はエジプトのリーダーになり、イスラエルに大飢饉が起こった時に、ヨセフのおかげで、彼の父ヤコブと兄弟たちは、食料を得ることができました。また、最終的には、ヤコブの全家族がエジプトに移住することになりました。ヨセフは、最後に、自分の兄弟たちに言いました。「あなたがたは私に悪をはかりましたが、神はそれを良いことのための計らいにしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」これが神の摂理です。今日の出来事は、主イエスの十字架の死と三日後の復活という大きな出来事に挟まれた、イエスの遺体の埋葬という目立たない出来事ですが、実は、ここにも大きな神の摂理があったことを聖書は記しています。ただ、主イエスの遺体の埋葬は決して重要でない出来事ではありません。新約聖書の4つの福音書はすべて、イエスの埋葬について記しています。イエスの埋葬は、イエスが十字架で確かに死んだことを証明する出来事なのです。イエスの埋葬では、十字架の死や三日後の復活の時のような大きな神の奇跡は起きていませんが、神の摂理が働いていました。今日は、そのことについて学びたいと思います。

(1)イエスに無関心なローマの兵士たち

 神の摂理が働いたのは、まず、ローマの兵士たちに対してでした。兵士たちは、ユダヤ教の指導者たちの考えに対しても、イエスに対しても、まったく無関心でした。彼らは、自分たちに命じられた任務を果たすことだけを考えていました。主イエスは、午後3時ごろ、「父よ。わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」と大声で叫んで息を引き取られました。その時、イエスの両側にいた二人の犯罪人はまだ生きていました。ローマの兵士たちは、犯罪人が死んだのを確かめてから遺体を取り下ろすことにしていました。ところが、ユダヤ教の指導者たちは、イエスの遺体を早く十字架から下ろすことを求めました。それには理由がありました。旧約聖書の教えの中に、死刑囚が十字架に掛けられる場合、その死体を次の日にまで木に残しておいてはならない。その日のうちにかならず埋葬しなければならない。」(申命記21章23節)という教えがあったからです。この日は金曜日で、次の日は安息日、しかも、過越しの祭りが行われる大いなる安息日でした。そのため、ユダヤ人たちは、過越しの日に十字架にイエスの遺体が残っていないように、ピラトに、はりつけになった3人の脚の骨を折って、早く彼らの遺体を取り下ろしてほしいと願い出ました。なぜ、彼らが3人の脚の骨を折るように頼んだのかと言うと、十字架にはりつけにされると、人の体は重さのために下がります。体が下がると、胸が圧迫されて、呼吸ができなくなります。それで、はりつけにされた人は息を吸うために、足を踏ん張って自分の体を持ち上げて、必死になって息をします。ところが、脚の骨を折られてしまうと、踏ん張って体を持ち上げることができませんから、息ができなくなって死んでしまうのです。ピラトは、ユダヤ人たちの願いを聞き入れて、ローマの兵士たちに3人の脚の骨を折るように命じました。兵士たちは、毎日のように十字架の処刑に携わっているので、一目見ただけで、その人が生きているのか死んでいるのか、すぐに分かりました。それで、ピラトに命じられたローマの兵士は、イエスの両側にいた二人の犯罪人の脚の骨は折ったのですが、イエスのところに来ると、イエスはすでに死んでいたので、その兵士はイエスの脚の骨を折りませんでした。ところが、それを見ていた別の兵士は、イエスの死を確認するために、イエスの脇腹に槍を突き刺しました。すると、イエスの脇腹から血と水が流れ出ました。イエスの体から血と水が流れ出たことは、イエスが確かに死んでいることを示すものでした。死体を早く取り下ろすための一連の出来事は、ごく当たり前のことに見えますし、ユダヤ人たちもローマの兵士たちも、自分の考えに従って行動しているだけです。しかし、ここに神の摂理が働いていました。というのは、旧約聖書の中に、救い主メシアに関する預言が数多くあるのですが、その中の一つが詩篇34篇20節の言葉です。「主は彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、折られることはない。」また、他の箇所には、メシアは突き刺されるという預言もあります。ローマの兵士たちは、もちろん、そのような旧約聖書の預言は知りませんし、たとえ知っていたとしても、彼らは聖書の預言を成就するために行動しようと考えることは絶対にありません。彼らは、ただ、自分の考えに従って行動しただけだったのですが、その背後に、神の手が働いていて、イエスのことにまったく無関心だったローマの兵士たちの行動が、救い主に関する預言を成就することになりました。

  • イエスを愛する者たち

 神の摂理は、イエスを愛する者たちにも働きました。42、43節に次のように書かれています。「さて、すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。」突然、アリマタヤ出身のヨセフという人が登場します。この人は、イエスを埋葬する時だけ現れます。アリマタヤという町は、ルカの福音書に「ユダヤ人の町」と書かれているので、ユダヤ地方の、おそらくエルサレムから遠くない場所にあった町だと考えられています。また、彼は有力な議員であったと書かれていますので、ヨセフはサンヘドリンと呼ばれた最高法院のメンバーであったことが分かります。彼は、イエスを死刑にするための偽りの裁判をし、無実のイエスを死刑に定めた最高法院の一員だったのです。しかし、彼は神の国を待ち望んでいたと書かれているので、彼は、密かにイエスを信じる者になっていました。最高法院で何かを決議する場合、全会一致が原則だったので、彼は、イエスが裁かれた時には、集まりに出席していませんでした。彼は、一週間前の日曜日、イエスが、熱狂的な群衆の大歓迎を受けてエルサレムに入った時に、大きな希望を抱きました。神の国がメシアによって実現することを期待しました。しかし、その後、ユダヤ教指導者たちの陰謀と群衆たちの心変わりの結果、イエスは十字架刑を宣告されて処刑されてしまいました。ヨセフの大きな期待は完全に打ち砕かれてしまいました。ただ、彼はユダヤ人なので、イエスの遺体は、金曜日、つまり備えの日が日没で終わる前に、十字架から下ろさなければいけないことを知っていましたし、もし、何もしないでいると、イエスの遺体はエルサレムの町の南にあった谷のゴミ捨て場に投げ捨てられることになります。それで、彼は、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げわたしを願い出ました。彼は勇気を出したと書かれていますが、もし、自分の行動が最高法院の別のメンバーに知られたら、ヨセフがイエスの味方であることが明らかになりますから、彼は議員を辞めさせられるはずです。しかし、今の彼にとっては、自分の地位とか自分の評判とかどうでもよかったのです。ただ、主イエスに対する尊敬と愛情の気持ちから、彼はイエスの遺体を引き取ることを決心しました。

 44節に「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた」と書かれています。ピラトは、ユダヤ教指導者たちからの願いを聞き入れて、ローマ兵士たちに十字架上の3人の脚の骨を折るようにと命令を出していましたが、まだ、ローマ兵士から3人が死んだという報告を受けていなかったのです。ピラトは百人隊長を呼び、彼からイエスが死んだことを確認すると、ヨセフにイエスの遺体を取り下げる許可を与えました。ヨセフは、すぐにゴルゴタの丘に戻り、イエスの遺体を十字架から取り下ろしました。イスラエルではエジプトのように死体をミイラにすることをせず、亜麻布に良いにおいのする薬を塗って死体にまいて埋葬していました。彼は、46節にあるように、岩を掘って造った墓に納めました。マタイの福音書によると(27章60節)それは、彼自身の新しい墓でした。ヨセフは、動物や盗人が墓の中に入らないように、入り口に大きな石を転がしてふさぎました。この出来事も、人間的に見れば、密かにイエスの信者となっていたヨセフが、主イエスに対する尊敬と愛から、イエスの遺体を丁重に埋葬したいという思いで、自分の将来がどうなろうと気にせず、勇気を出してイエスの遺体を引き取ったという出来事です。しかし、彼の行動は、旧約聖書のイザヤ書53章9節に記された、メシアの預言を成就することになりました。そこにはこう書かれています。「彼の墓は、悪者どもともに、富む者どもとともに、その死の時に設けられた。」ユダヤ教指導者たちが、願い出たことも神の摂理として用いられました。彼らが願い出なければ、イエスの死体は他の二人が死んだ時に、一緒にゴミ捨て場に投げ捨てられていたはずです。しかし、彼らの願いによって、二人の犯罪人も早く死んだので、イエスの遺体は予定よりも早く、金曜日が終わる前に取り下ろされることになりました。そして、ヨセフがイエスの遺体を自分の墓に埋葬しましたが、ヨセフは有力な国会議員でしたので裕福な人でした。最終的に、イエスの体は、イザヤの預言にあるように、富む者の墓に埋葬されたのです。神様は、いろいろな人が自分の思いで行動したことを組み合わせて、ご自身が計画しておられたことを実行される方です。

 イエスが金曜日が終わる前に埋葬されたことも非常に大きな意味がありました。というのは、主イエスは繰り返しご自身で預言しておられましたが、メシアは十字架につけられた後、三日目に復活することになっていました。ユダヤ人は、何かの出来事の日数を数える時に、たとえどんなに短い時間であっても、その日に行われたことは一日と考えていました。イエスは、金曜日が終わる直前の夕方にヨセフの新しい墓に埋葬されました。そして、日曜日の早朝に死から復活されました。その結果、イエスは、十字架の上で死んだ後、金曜日に埋葬されて、金曜日、土曜日、日曜日と三日目に死から復活されることになります。イエスの遺体が埋葬されたことは非常に大切なことです。埋葬されなければ、本当にイエスが死んだのかどうか分からないからです。イエスの遺体は確かに埋葬されました。それを目撃していた人々もいました。それは女性たちでした。12弟子は、イエスが逮捕された後、ヨハネ以外、皆、どこかへ逃げてしまい、十字架の近くにはいませんでした。40、41節にはこれらの女性たちのことが記されています。「女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブと寄席の母マリヤと、サロメがいた。イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従っていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。」主イエスが神の子として働いた3年間の活動の中心はガリラヤ地方でした。これらの女性たちは、ガリラヤで、イエスの教えを聞いて主イエスを救い主と信じ、その後、イエスの教えを受けながら、イエスの働きを陰で支える奉仕をしていました。彼女たちには、特別な力も権威もありませんでしたが、彼女たちの忠実な信仰が主イエスにとっては大きな励ましになっていたと思います。自分が訓練した弟子たちは11人のうち10人がイエスを見捨てて逃げて行きましたが、これらの女性たちは、自分の身の危険を顧みずに、イエスに従っていました。彼女たちは主イエスの苦しむ姿を近くから見ることができず遠くからその様子を見守っていました。彼女たちは、深い悲しみに襲われていましたが、主イエスの遺体がどこに葬られるのか見ておきたいと思いました。彼女たちは、アリマタヤのヨセフが主の体を自分の墓に納める様子をじっと見ていました。彼女たちは、主イエスの埋葬が金曜日の日没までに終えるために大急ぎで行われたのを見て、もっときちんとイエスの体に薬を塗ってあげたいと思って、イエスの埋葬の場所を確認していたのだと思います。この女性たちが三日後の日曜日の朝、イエスが復活したことを目撃する第一発見者となるのです。

 父なる神様は、主イエスの埋葬のためにも、すべてのことを計画しておられて、それを旧約聖書時代の預言者にメッセージとして伝えておられました。そして、イエスの埋葬に関わった、ローマの兵士、ユダヤ教の指導者たち、最高法院の議員であったアリマタヤのヨセフ、その場所を確認していた女性たちが、それぞれ、自分の考えと自分の思いで行動しましたが、結果的に、神様の預言どおりに、主イエスの遺体はアリマタヤのヨセフが造った新しい墓に納められました。父なる神様は、御子イエスのたましいを受け取られただけではなく、イエスの体のことも最善のことを計画し、実現されました。神様は、ご自身が愛する者のために、魂だけでなく、体のことも心配し、配慮してくださるお方です。神様は、私たちのためにも、私たちの魂だけでなく私たちの体のために最善のことを行われる方です。何と幸いなことでしょうか。

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