2019年9月22日 『愛の働き』(ルツ3章) | 説教      

2019年9月22日 『愛の働き』(ルツ3章)

 9月は旧約聖書のルツ記を読んでいます。ごく普通の、しかも大きな苦しみを経験した家族が主人公ですが、そこには憎しみや悪意に満ちたものはなく、非常に美しい物語が展開しています。ナオミというユダヤ人女性は、ユダヤ地方が飢饉に襲われたために、家族全員で外国のモアブに移住します。するとすぐに夫が死にます。彼女には二人の息子がおり、彼女の将来は二人が支えるはずでした。ところが息子は二人とも結婚して10年が過ぎる頃に相次いで亡くなりました。ナオミはやもめになり、彼女のもとには息子と結婚した二人のモアブ人の嫁だけが残りました。彼女が故郷のベツレヘムに戻ることを決めた時、嫁の一人ルツがどうしても彼女について来ると言ってきかなかったので、ナオミとルツは女二人、モアブからベツレヘムに出かけました。ナオミは、この苦しみは神様から与えられた苦しみだと考えていました。ルツ記の1章は暗く悲しみに満ちていますが、2章に入って状況は変わります。働き者のルツはしゅうとめナオミを自分が養うことを決心し、畑に行って落ち穂拾いを始めました。当時、貧しい人は落ち穂を拾って生活していました。この時、神様の導きで、ルツは何も知らずにナオミの夫の親戚ボアズの畑で落ち穂を拾っていました。ナオミの親戚ボアズは自分の畑で働いているルツの境遇を知り、また彼女が自分の親戚の一人であることを知り、全力を挙げて彼女を助けました。畑から戻って来たルツは姑のナオミに、ボアズの畑で落ち穂拾いをしたことを話します。ナオミはルツの話を聞き終えると、「生きている者にも死んだ者に恵みを惜しまない主が、どうぞその人を祝福してくださいますように。」と神様をほめたたえました。
 モアブに行ってすべてを失ったナオミは、心のどこかで、もう自分は神様から見放されているのではないかと思っていたかも知れません。ところが、神様の不思議な導きで、ルツが自分の親戚の一人ボアズの畑に行き、そこで手厚い助けを得たことを知って、彼女の心に、再び神様に対する希望が目覚めてきました。自分のような死んだも同然のような者にも、神様の目は注がれていて、神様は決して自分のことを忘れてはおられない、見捨ててはおられないことを強く感じて、ナオミの口から、自然と神様を賛美する言葉が出て来ました。同時に、ナオミは、神様のために自分が果たすべき役割があることに気がつきます。それは嫁のルツを幸せにすることでした。ルツはボアズの愛にあふれた助けをもらってたくさんの落ち穂を集めていますが、そのうちに大麦の収穫が終わる時が来ます。そうなると落ち穂を拾うことはできません。ナオミは、ルツの幸せのために計画を立てて、行動に移します。
 1節で、ナオミはルツに言いました。「娘よ。あなたが幸せになるために、身の落ち着き所を私が探してあげなりません。」ナオミは、外国に来て暮らしているルツが自分の居場所、自分の家族、自分の休息の場を持ってほしいと願ったのでした。彼女は自分の将来のことよりも、嫁ルツの将来を案じて、行動を開始します。2節で、ナオミのはルツに言いました。「ところで、あなたが一緒にいた若い女たちの主人ボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。」ナオミは「ところで」という言葉を使いましたが、これは、「御覧なさい」「ほら、いいですか」のような意味で、ぐずぐずしている暇はありませんよ。とナオミはルツを急がせています。その日の夜、ボアズは大麦の刈り入れの後、夜、打ち場で大麦をふるい分ける予定でした。昼間に大麦の刈り取りをするので、大麦の実を茎から取り去る作業は夜行われていました。そして、脱穀した大麦が盗まれないように、男たちは脱穀する場所で寝泊まりしていました。ナオミはその夜がチャンスの時だと考えたのです。ついこの間までは悲しみに沈んでいたナオミはまったく別人のように、ルツの幸せのために、綿密な計画を立て、それを行動に移しています。そして3-4節でナオミはさらに細かい指示をルツに与えています「あなたはからだを洗って油を塗り、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。けれども、あの方が食べたり飲んだりし終わるまでは、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その場所を見届け、後で入って行ってその足もとをまくり、そこで寝なさい。あの方はあなたがすべきことを教えてくれるでしょう。」ナオミは、まずルツが体を洗って油をぬって化粧をして美しい着物を着ることで、彼女の喪の期間が正式に終わったことを人々に示しています。またボアズが寝込んだ後に密かに彼の足元に忍び込むようナオミはルツに指示しますが、これは、ボアズを誘惑するための作戦ではありません。ナオミの指示は当時のユダヤ人の慣習に従ったものでした。当時、イスラエルでは、召使いが主人の足元で寝ることは一般的なことでした。そして、ナオミがルツに亡くなった主人の親戚であるボアズに対してこのような行動をさせたことは、自分とルツを貧困から解放するために、ナオミが以前持っていた土地を買い戻すことと、、ボアズがルツと結婚することを願い出ていることを表しています。買い戻しの権利とは、土地や財産を買い戻すことに加えて、ルツの夫の場合のように、男の人が子どもがいないまま死んだ場合には、その人の兄弟や親戚が死んだ男の妻と結婚することが認められていたのです。ナオミはルツとボアズが結婚することで、自分の家系が存続し、自分の息子の名前が残ることを願っていました。外国人のルツにとっては、ナオミが言ったことにびっくりしたと思いますが、ナオミの言葉に従いました。それは、ルツがナオミを信頼していた証拠であり、二人は愛の関係で結ばれていたからです。ここでも、ナオミはルツの幸せを願い、ルツは、母親のナオミの言うことはすべて忠実に従おうと決心していました。
 ルツは、ナオミから言われたことを忠実に実行しました。ルツは明るいうちに、ボアズの脱穀場へ行き、ボアズが夜どこで寝るのか場所を確認しました。そして、ボアズがふとんに入って寝るのを密かに見届け、ボアズが寝たのを確認してから、布団のすそをめくってそこに横たわりました。すると、8節に記されているように、自分の足元で女性が寝ているのに気づいたボアズは非常に驚きました。ボアズから「お前は誰だ」と問い詰められたルツは次のように答えています。「私はあなたのはしためルツです。あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買い戻しの権利のある親類です。」ルツが言った「あなたの覆い」の「覆いは」鳥の翼をも表す言葉です。聖書の中には繰り返し、神様がご自分の民のうえに翼を広げて民を守るという表現が使われています。例えば、詩篇の36篇7節にはこのような言葉があります。「神よ。あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。」この詩篇を書いたのは旧約聖書で最も偉大な王様ダビデですが、彼は自分の生活の中で、何度も敵からいのちを狙われ、晩年には自分の息子からも命を狙われ、死の危険を何度も経験しました。当時のダビデ王国には王様を守るための強力な軍隊がありましたが、ダビデ王は、軍隊や人間の力に頼るよりも、神様の翼の陰に自分の身を置くことのほうがはるかに安全であることを経験を持って知っていたのです。ルツは、神様が人々を愛し守るように、ボアズが自分を愛し、自分を守ることを求めているのです。
 このルツの願いに対してボアズはどのように答えているでしょうか。10.11節を読みましょう。「主があなたを祝福されるように。あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています。あなたは、貧しい者でも富んだ者でも、若い男の後は追いかけませんでした。娘さん、もう恐れる必要はありません。あなたが言うことはすべてしてあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っています。」ボアズが「あなたが言うことはすべてしてあげましょう。」と言ったのを見ると、ボアズは、ナオミの畑を買い戻し、そしてルツと結婚することも心に決めているようです。ボアズは、ルツを最初に見た時から彼女を好きになっていたようです。ここで、ボアズはルツのことを「しっかりした女」と言っていますが、この「しっかりした」と訳されている言葉は2章の1節で、ボアズのことを「有力者」と呼んでいる時の言葉と同じ言葉です。ボアズはルツが働き者で、指導力や実行力がある誠実な女性であることを認めていました。ですから、ボアズは親戚の義務を果たすこと以上に自分の本心からルツとの結婚を望んでいました。
 ただ、ボアズは本当に誠実な人間で、自分がルツと結婚したいという願いを強く主張しません。12節で彼はこう言いました。「ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類ですが、私よりももっと近い、買い戻しの権利のある親類がいます。」これがテレビドラマであれば、見ている人は、ボアズの態度がもどかしいと思うでしょう。「お互いが好きなんだからさっさと結婚すればいいじゃないか。」彼がこう言ったことには2つの理由があると思います。一つは、彼が誠実な人間なので、自分の願いを実現させることよりも、律法をきちんと守ること、フェアプレーをすることを第一としていることです。もう一つは、ボアズの優しさだと思います。彼はルツが自分と結婚することを願い求めているのは、自分の幸せよりもナオミの幸せを考えてのことだと感じていたからです。ボアズはルツよりもかなり年上でした。ルツのような若い女性なら、自分のような年寄りと結婚することを本心で願うだろうかと考えていたのだと思います。いずれにせよ、ボアズは、律法に従って行動することを優先したので、ルツをナオミの下へ送り返しました。ただ、その時も、誰にも知られないように、ルツについて変な噂が流れないように注意して彼女を送り出しています。さらに、たくさんの大麦を持たせて、ルツをナオミのもとへ送り返しました。
 ルツは大麦を6杯背負って、ナオミのところへ戻りました。ナオミから、どうなったのかを訪ねられたルツは次のように答えました。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方はこの大麦6杯を私にくださいました。」ルツは、最初にボアズの畑に落ち穂広いに行った時から、ボアズの行為によってたくさんの大麦を持ち帰りました。ナオミは、モアブからベツレヘムに戻った時、すべてを失っていました。手の中は空っぽだと言いました。しかし、ボアズのおかげで、ナオミのもとにはたくさんの大麦が与えられていました。ボアズは、主イエスを暗示する人物として描かれていま「買い戻す権利」ということがルツ記には何度も出てきますが、この「買い戻す」という言葉は、主イエスが十字架のうえで私たちの代わりに罪の罰を受けてくださり、私たちを罪から贖いだしてくださいましたが、この「贖い」と同じ言葉なのです。ボアズがユダヤ人でないルツに対しても憐れみや恵みを示したのは、主イエスがすべての人のために、十字架でいのちを捨ててくださったのと同じ愛の行為なのです。3章の最後の18節でナオミはこう言いました。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、今日、そのことを決めてしまわなければ落ち着かないでしょうから。」これは、ボアズが、困っている人の願いを聞くと、居ても立っても居られなくなり、すぐに責任を持って行動する性格の持ち主であることを示しています。他人からお願い事を頼まれても、ある人は無関心であり、ある人は助けてあげようと約束するがすぐに忘れてしまいます。ある人は、他人が困っていてもいっさい関わろうとしません。ボアズはルツを何とか助けたいという気持ちで落ち着いていられないのです。これは、私たちを罪から救い出そうとしておられる神様も同じです。イザヤ書30章18節に次のような言葉があります。「それゆえ【主】は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。【主】が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」神様は、この時のボアズと同じように、私たちのために何とかしたいと熱い思いを持っておられます。3章の冒頭では、ナオミはルツのためにテキパキ考え、てきぱき行動しています。しかし、やるべきことをやったすべてやった今は、すべてを神様の手にゆだねて待つときであることをナオミは知っていました。私たちは、神様が正しい方であり、私たちを最高に愛してくださる方であることを、知っているので、神様が立ち上がって働き始めるときを待つことができるのです。

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